《前編》 より

 

 

【世界を知る力】
 英米などの先進国には、当然のことのようにシンクタンクがあり、それらの存在こそが 「世界を知る力」 となってそれぞれの国家運営に大きな影響力を持ってきた。ところが、日本は
 国家の命運を左右するような情報のインフラ、足下の基盤インフラをずっと整備しないまま、ここまで来てしまった。(p.169)
 ということは、ほぼアメリカの言いなりであったということである。
 著者は、現在、アジア太平洋時代の “情報の磁場” をつくり出すために、「アジア太平洋研究所」 の推進協議会議長を務めているそうである。

 

 

【本と本との相関】
 大量の情報にアクセスできるようになるにつれて、膨大な情報のなかから筋道を立てて体系化したものの見方や考え方を作っていくことが、ますます難しくなってきている。(p.172)
 わたしは、まず古本屋通いをおすすめする。 ・・・(中略)・・・ 
 古本屋通いの何がバラバラな情報を統合していく上でのトレーニングになるのかといえば、目当て以外の、それまで意識しなかった、あるいは知らなかった本が同じ棚や近くの棚に並んでいるのを目にし手に取ることで、わたしたちに思いもかけぬ相関の発見を促すからである。本と本との相関が見えなければ知性は花開かない。(p.173)
 本と本との相関というのは重要なことなので、私のこの読書記録のブログでも、量的にある程度たまってきた3年目あたりから、些細なことであれ、できるだけ記憶にある範囲内でリンクさせている。私のブログが繋げている本と本との相関など痴性的なレベルであるけれど、それでもこのブログを読んだ人が御自身で読んだ本の中に更なる相関を見い出してゆけば知性といえるレベルにはなるだろう。
 このブログに掲載している書籍の6割近くは古書店で手に入れたものである。人文系ならそれであっても何ら支障はないけれど、政治経済の分野であっても10年前の古書の中に重要な記述を見い出すことは決して少なくない。

 

 

【書物を扱う人々】
 ロンドンに行くと、世界最大の売り場面積と書籍数を誇るといわれるフォイルズ書店(Foyles)で、あえて半日時間をつぶしたりする。フォイルズが日本の新刊書店と違う点は、まず古典がそろっていること。そして店員が、書物・文献に関する体系的な問題意識をもっていることだ。(p.175)
 英米には、高度な知性を持っていなければ書物を扱う職業に就けないという伝統があるはずである。かつて、いずれかの本で、「(欧米の)図書館司書は大学でトップの成績をとった学生だけが就ける仕事」 と書かれているのを読んだ記憶がある。
 総合的な知が結実した書籍と言えば、私はアルビン・トフラーの 『第三の波』 を思い出す。これを読んだ大学生時代の私にとっては、まさに “知のデパート” だった。

 

 

【世界を知る力の源泉】
 泥臭い言い方だが、人類史に多大なる影響を及ぼしたユダヤ的思想の根底には、どんな逆境にもくじけない根性が横たわっている。世界を知る力の源泉は、そういうところにあるのである。(p.100)
 逆境が嫌だからという理由で、和を尊んでいるだけの日本人であるなら、「世界を知る力」 の源泉などどこからも生じはしないであろう。
 しかし、状況変化の激しい世界の中にあって 「日本を屹立させねばならない」 と思っている若者なら、あるいは、「(闇雲であるにせよ)日本は素晴らしい国のはず」 と思っている若者なら、その思いを源泉として、「世界を知る力」 を伸ばすべきである。

 

 

【agree to disagree】
 「賛成はできなくても、相手の主張の論点は理解した」 という姿勢を持つことが肝要だ。中国の大学生たちも、話が 「agree to disagree」 に及ぶと、さすがにシーンとなって、最期まで聞いてみようという姿勢に変わるのである。(p.183)
 若いうちは誰だってそんな傾向があるけれど、自分だけが正しいと思い込んで熱くなっている人は、“正義と言う名の猛毒” に侵されて知性の発達がとまっているのである。
 海外ビジネスなどの実務に携わる人は、この姿勢を会得していなければ、とても勤まるものではない。
 絶望や屈辱を含めた異文化でのさまざまな摩擦や衝突を経て、わたしたちは次第に自分を多面的な鏡に映し出していくことを覚えるのである。そして、自らの心の奥深くに向かって問い始める。 「日本とは何か」 「日本人とは何か」 と。そういった自分との対話に支えられたメッセージだけが、外の人の心をも動かす力をもつようになるに違いない。外を知れば内が分かる。内が分かれば外とつながる回路ができるのだ。(p.186-187)

 

 

【マージナルマン】
 マージナルマンとは境界人という意味で、複数の系の境界に立つ生き方という意味である。ひとつの足を帰属する企業・組織に置き、そこでの役割を心を込めて果たしつつ、一方で組織に埋没することなく、もうひとつの足を社会におき、世界のあり方や社会のなかでの自分の役割を見つめるという生き方、それをマージナルマンという。(p.203)
 著者は、三井物産に入社した時から、海外での体験を積み重ねてきた方なのだから、世界を視野に入れた上述のようなマージナルマン的な生き方が、もっとも自然に実践できたはずである。
 今の若者たちは、著者の時代に比べたら、海外で活躍する機会などいくらでもあるはず。マージナルマンが増えなければ日本はよくならないだろう。
 しかし、日本人なら、必ずしも海外に出る機会がない人でも、世界的な視野を持つマージナルマンになれる可能性は高い。日本には書籍が数多あるのである。通常の書店にしても古書店にしても図書館にしても、日本ほど様々な分野の書物が豊富に提供され容易に得られる国はないのだから。
 
<了>
 

  寺島実郎著の読書記録

     『1900年への旅』

     『新しい世界観を求めて』

     『世界を知る力』