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 成功したいサラリーマンやOLも、この書籍からホットポイントが学べる。

 

 

【出世するために・・・】
 「出世できますように、出世できますように」 とお祈りした結果、「お前は、まともになれよな、人が何を考えているのかわきまえろよな、常識をわきまえろよな、協調性を持てよな」 と。大きい組織であればあるほど優秀な人が多いから、自分ではできない要素がたくさんあるので、協調性というのが大事になってきます。神道でいえば和魂(にぎみたま)が大事になってきます。
 中小企業では、確かに先頭に立ってやらなければならないので、荒魂(あらみたま)的、奇魂(くしみたま)的要素が重要ですけど、優秀な人がたくさんいる大企業では、協調性を持つ人間がやはり求められている。(p.51-52)
 自分の努力は棚上げにして、神頼み的に解法を教えてほしいと祈っている人なら、この結論に、結構ガッカリする人が多いような気がする。

 

 

【ゴマをするべし】
 一回ゴマをすってみたら分かります。いかに大変か。だからゴマをすっている人に対して、ゴマをすれない人間が偉そうに言ってはいけないと言うんです。とくに社会人はいってはいけない。
 ゴマをすらずに出世できる社会は絶対にありません。(p.70)
 この話を初めて聞いたら、シックリこない人は少なくないだろう。わたしもそうだった。ゴマをすられても “巧言令色すくなし仁” と思えて不快になるだけである。ところが、以下のように書かれている。

 

 

【神も仏もゴマすりを喜ぶ】
 仏典を見てください。「文殊菩薩経」 とか 「不動明王経」 とかを見たら、文殊菩薩、不動明王がいかに素晴らしいかということを、目一杯謳い上げています。それから、「地蔵本願嘱類品」 には、お地蔵さんを褒め讃える言葉がずらーっと並んでいます。「観音経」 を見てください。普門品の25番。観音様がいかに素晴らしいかということをもう、あの手この手で表現しています。よくここまで褒めちぎれるな、というのが 「観音経」 ですよ(笑)。それで、観音様もその気になれるわけでしょう。
 ということは、密教の護摩(ゴマ)焚きは、大日如来を中心とする神々へのゴマすりの儀式(!)である。
 供物の中に胡麻は不可欠である。なんたって油分が多いから良く燃えるもんね。
 

 

【全方位ゴマ】
 コマすりもおべっかも、それ自体は、悪でも善でもありません。ただ目上だけにやるから、同僚から脇腹を殴られ、目下から蹴りあげられたりするのであって、全方位にゴマをすれば何も問題はありません。
 目上にゴマをすっておべっかを言ったら、同僚にもゴマをすっておべっかを言う。そして目下にもゴマをすっておべっかを言う。天人地にゴマをするから、天ゴマ、人ゴマ、地ゴマ。アメリカにすったらベーゴマと言うわけですね(笑)。新宿ですったら新宿コマ(笑)。黒い心ですったら黒ゴマ、純粋な気持ちですったら白ごま。そして愛と真心ですったら観音ゴマになるわけです。(p.76-77)
 ダジャレを含めて、よくまあ “細ゴマ“ と説いてくださっている。

 

 

【動機は不純でも・・】
 出世欲であろうと、みだらな欲望であろうと、何であろうと、御魂が発動して頑張っている。全身全霊を使って頑張っているではないですか。そのほうが絶対に尊いとわたしは思います。やる気をなくしてボーッとしている人、ただ死ぬのを待っているような人、燃え尽き症候群でボーッとしている人、「やる気がない」 と言いながら家で悶々としている人、二日も三日も四日も会社に出てこない人よりは、「出世だ、ゴマが、おべっかだ、女だ」 と言いながら(笑)、一生懸命働いている人のほうがずっといい。(p.84-85)
 とにかく、神道では、御魂の輝きが第一基準。元気がなくて、気が枯れ(穢れ)ている状態は最悪と考えるのが神道的世界観。仏教的な倫理観とは大違い。以下にも同様なことが書かれている。
   《参照》   『こんな恋愛論もある』 深見東州 (たちばな出版)
            【没入、忘我で顕現する動中の静】

 

 

【深い人間理解】
 人間には魂があるから、より素晴らしいものになりたいという心もあるわけです。清く正しく美しく、これは 「道心」 です。別名 「魂」。それから肉体を存続するための欲求である人心は、別名 「魄」 と言います。「魂魄この世にとどまりて・・・」 という魂と魄が人間の中にはあるわけです。
 魂というのは道心、神なる部分のいいところ。清く正しく美しいところ。お花とか花びら、葉っぱ。魄というのは人心。身体を存続していく欲求。食欲、性欲、睡眠欲、出世欲。両方ごちゃごちゃになっているわけです、人間というのは。
 シェークスピアも、そういう人間の本質を見て、それをあたたかく見ていたんです。空海も、仏教の理解だけではなく、儒教の深い学問があったから、清く正しく美しい人間だけを見るような人間ではなかった。深い人間理解があったのです。深い人間理解がある分だけ、愛の心になって行くし、道が広まっていきます。
 清く正しく美しい人間は、どうしようもないような上司、同僚、目下をゆるせないんです。素晴らしい人間にはついていくんだけど、素晴らしくない人間は軽蔑する傾向があります。しかし、銀行業界で出世している頭取などの、正しい人間理解を持つ人間はそうではありません。(p.126-127)
 自分自身の中に清らかならざる部分があるのに他者のその部分を許せないって、不条理なことだけど、深い人間理解ができていない殆どの人間ってそんな風に手前勝手な生きものである。「清濁併せ飲む」 と言うのは簡単だけど、その通りに実行するのはけっこう大変。

 

 

【人たらしの秀吉】
 そこまでの人間理解。女性というものの理解、男性というものの理解、 ・・・(中略)・・・ 、出世欲にドロドロしている人間理解、 ・・・(中略)・・・ 。こういうのはみんな文学であり、文学性、宗教性、哲学性の人間理解が秀吉にはあったわけです。(p.134)

 

 

【人たらしの鄧小平】
 彼の文章や詩集から滲み出る人間性、人となりが結局のところ、彼をして不動の出世、揺るぎない大出世を可能にしたのです。
 いうなれば、「人たらしの鄧小平」 です。人間理解があるから、それだけ細やかな気配りで手書きを書くこともできる。結果、人をたらし込む。(p.137)
   《参照》   『経営者よ咀嚼力を身につけよ! 深見所長講演録18』 (菱研)
                             【文学性】

 

 

【出世に一番大事なもの】
 わたしは神様に聞きました。出世するのには何が一番大事ですか、と。そうしたら神様いわく、「一番大事なのは、表現力と根気だ」 と。 ・・・(中略)・・・ 。
 今日は 「人たらしの秀吉」 の話をしましたが、人たらしとは何か。罪悪感を持たずにゴマをすって、おべっかを言って、しかもハートを込めて、そして、満遍なく人を幸せにし、楽しくさせる、心地よくさせる。これが表現力なのです。(p.152-153)

 

 

【出世を約束してくれる神様】
 出世ということに関してはやはり厳島神社、竹生島、それから江ノ島の日本三大弁財天です。中でもとくに○○神社が一番強い。これはお薦めの神社です。(p.161-162)
 弁財天とは、弁舌(表現力)の才を持って財を築く神様だからこそ、出世の神様。
 それから、表現力でもう一つお勧めできるのが木花開耶姫様です。木花開耶姫というのは表現力の神様。浅間神社です。語学の神様でもあります。木花の咲くが如く言葉がほとばしる。だから、木花開耶姫は表現力の神様です。(p.162)
 神社に行って、あらん限りの表現力で “神様たらし” して、会社に行って “人たらし” したら、最低でも “みたらし団子“ をゲットできる程度には出世できるかも。
 
<了>