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 東京の浅草にある浅草寺。いつも人で混雑しているのは、それなりのご神霊がいらっしゃるから。

 

 

【心の底から興味を持たば・・・】
「男性社員の扱いは得意なのだが、女性社員は本当に苦手で」 という場合、どうしたらいいのか。それに対する観音さまからの答えが 「心の底から興味を持たば、自ずから達するなり」 というものだったのですが、・・・(p.57)
 でもって、著者が女性に対して心の底から興味を寄せた結果、分かったこと。
 知性を使って仕事をしたら、その分だけ感情を満たすために、紅茶とケーキを食べながらペチャペチャお話をする。それが女性にとってのストレス発散であり、そのひとときがハッピーなひとときなのです。
 「ああ、なるほど」 と。私もそういうことが分かってきて、ケーキ好き、紅茶好きになって、お茶でも飲みに行こうよということで、いろいろ女性社員と一緒になってペチャペチャ話すようになりました。最初は虚しくて、腹が立ちました(笑)。「もっと有意義な人生を送れ、バカ者」 と(笑)。
 読書なんかしていません。いや、しています。週刊誌という本を。 ・・・(中略)・・・ 。
 女性は基本的に、出世がどうのこうのではありません。周囲の人間関係において、感情が満たされていたら幸せを感じるから、そうすると、一生懸命働くのです。(p.64-65)
   《参照》  『なでしこ力』 佐々木則夫 (講談社) 《後編》
            【女性の特質】
            【協調・共感】
            【男女は比較できない】
 地図の読めない女は、理屈だけで説明しようとする男では、感情が満たされないからプッツンする。
 人の話を聴かない男は、ケーキだのゴシップだのにウツツを抜かす女に、愛想を尽かして黙りこむ。
 どっちも観音様の教えに、お尻を向けている。
 失礼じゃん。
 仕事の場合はどうかというと・・・
 「経理は得意なんだけど、営業はあんまり向いていない」と思う人は、営業というものに対して、心の底から興味を持ったらいいんです。 ・・・(中略)・・・ 。
 得意、不得意、むき、不向きはまったく関係ありません。まず興味を持つ。そうすると、「ああ、営業というのは面白みがあるんだな」 「こういう営業をやればいいんだな」 ということが分かってくる。だんだん知識や情報が増えてきて、面白みとうま味が分かってくる。そうすると、自分でもやってみたくなります。(p.74)

 

 

【観音様の導き方】
 観音様の導き方は、人によく思われようと思ってすぐ現金、というのとは全然違います。 ・・・(中略)・・・ 。人によく思われようと思われまいと、八方美人的ではなく、憎まれ役を買ってでも導くのが観音様であって、その観音様は、実は、誰も分かってくれないから、悲しい思いをしていらっしゃるのです。(p.52)
   《参照》   『京都の秘密 経営の絶対ヒント 深見所長講演録5』 (菱研)
              【義政の天命と観音様】
 

 

【浅草観音の縁起談】
 ○○○○が亡くなって6年目の3月18日の夜明けのころに、観音様の像が漁師の網にかかったわけです。だから、浅草観音というのは要するに、○○○○さんの御働きそのものなのです。関東において、○○○○が巷の一番低いところに現れ出てきたのが浅草の観音様であり、ここに祀られている観音様は、まさに○○○○さんの御働きそのものということができます。これは聖観音です。
 その聖観音は静の状態です。ひとたび動となったのが救世観音です。 (p.139-140)
 もう一人、空海も○○○○と同じように、魚ごっこしていて捕まっちゃった。

 

 

【川崎大師の縁起談】
 この年に鎌倉幕府が成立したのですが、その50年前に、これまた漁師の網に何かの像がかかって、それが要するに空海のお像だった、と。これが川崎大師になったわけです。
 弘法大師空海は、鎌倉に幕府ができるだろうということをちゃんと見越しまして、その鎌倉幕府成立の50年前に関東に現れ出てきたわけです。(p.140)
 川崎大師は空海だから真言宗。浅草寺は天台宗だから最澄の系譜に当たる。これも大切な縁起。

 

 

【会社の寿命】
 これは私だけではなく、どの経営者にも言えることで、気力と念力が衰えたら会社はダメになるのです。会社の寿命は30年といわれていますが、なぜ、30年で寿命が尽きるのか。それをひと言で言えば、社長のパワーが落ちるからです。 ・・・(中略)・・・ 。現役としてやっていく限りは、気力と念力を絶対に衰えさせてはいけない。「一念創業」 とはそういう意味です。(p.149)
 ビジネスマンの書く本は “活魚” みたいで面白いけれど、公務員の書く本は “干物” みたいにつまらなく感じてしまうのは、内容それ自体もあるけれど、本質的には、書籍に籠っている著者の気力と念力のレベルの違いなのであろう。
 
<了>