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 2008年8月初版。この本は複数の富裕層を直接取材して書かれているから、具体的な情報が豊富に記述されていて面白い。『富裕層ビジネス成功の秘訣』 の興味の続き。

 

 

【実在するニュー・リッチな人々】
 現在、日本経済はかつてのような勢いがない。それは、誰もが認めることだ。しかし、日本は、83人に1人が金融資産1億円以上の 「お金持ち」 という国民を抱えている国でもある。(p.14)
 83人に1人というのは、「えぇー、そんなにー!」 という感じだけれど、富というのは遍在すべきなのに、実際は偏在しているのである。特に、小泉改革以後、偏在傾向は一層加速した。
 今や日本国内でも、宝石などの高級品店であれ、銀行であれ、パンピーと富裕層の客室は、別に用意されているのが当たり前になっている。
            【パンピー】

 

 

【『LUXE City Guides』】
 富裕層には 『LUXE City Guides』 という専用の旅行ガイドブックがある。
 「アメリカの 『ロンリープラネット』 は大衆向けだし、日本の 『地球の歩き方』 なんて、いかにトクできるかだけのビンボー学生向けのガイドで全然おもしろくないです」(p.292)
 と、まあ、庶民を逆撫でするニュー・リッチな日本人青年の見解がすんなりと記述されている。

 

 

【「Facebook」】
 SNSの世界も、ニュー・リッチたちは当然のように住み分けている。
 ここになぜ、富裕層の子どもたちが集中しているかと言えば、それは 「Facebook」 が、もともとはハーバード大学の学生だけのSNSだったからだ。(p.293)
 Facebookは、できたばかりの頃はそうだったかもしれないけれど、今日では一般大衆に流布している。というより、一般大衆を管理するために作られたシステムツールである。
            【Facebook のユーザー数】
 ハーバードは私学で、設立当初は、富裕層の子弟でなければ入学できないような大学だった。Exclusive という単語が、「排他的な」 と 「特権階級に限られた」 という二つの意味を持つけれど、Exclusive な大学だったのである。
 

 

【アスタナ】
 日本ではほとんど知られていないが、カザフスタンの新しい首都 new capital であるアスタナの街のマスタープランを計画したのは、黒川さんである。現在、アスタナには黒川さんのプランに基づいて次々に未来建築が建ち、カザフスタン経済の好調 booming もあって、ニュー・リッチの旅行客もたくさん訪れるという。(p.71)
 彼らがアスタナへ行くのは、観光旅行というよりは、投資視察を兼ねた旅行なのだろう。投資で資産を形成している人々は、世界中の情報に目ざといのが当たり前で、そうでなければニュー・リッチになどなれない。

 

 

【富裕層の集まる街:銀座】
 つまり、「高級ブランンド」 と 「グルメ」 「ラグジュアリーホテル」。この3点セットがそろうと、その街は、富裕層 wealthy class の集まる街に生まれ変わる。これがジェントリフィケーション(高級住宅化)の究極の姿だ。
 そして、この現象は、前記したように世界のどの大都市でも起こっていて、銀座は世界とは周回遅れで生まれ変わったと言っていいのである。(p.78)
 銀座と言えば高級クラブというイメージだけれど、ニュー・リッチ層の3点セットの中に高級クラブは入っていない。
 不景気なのに何故、銀座は生まれ変わってゆくのか疑問だったのであるけれど、庶民とは関係ないところに富は唸るほど偏在している。その富が銀座を生まれ変わらせたのである。つまり、生まれ変わった銀座は、富裕層の街であっても一般庶民の街ではないということ。パンピーな庶民は、通りで写真でも撮って街角を賑わすエキストラである。

 

 

【高級車の王者:ロールス・ロイス】
 ニュー・リッチ層は、車よりプライベート・ジェットやヨットに資金を投ずるらしいけれど、車市場を活性化させるオールド・リッチ層の消費傾向が消えたわけでもない。
 ロールス・ロイスに乗ることで、周りに自分はリッチだと言える快感が、ファントムにはあった。 ・・・(中略)・・・ 。
 現在、販売されている 「ファントム・アーマード」 は、価格帯から言うと、「5000万円代カー」である。(p.211)
 車に5000万は、“呆れる” を超えている。ファントム・アーマードとは、“鎧を着けた怪人(幻想)” というような意味だろう。富裕な人々には実に相応しいネーミングである。なんか笑える。
 

【中丸三千繪さん】
 ビジネスを通じてではなく富豪になった人も取材されている。
 『それじゃ、すぐ海外に行きなさい。こんなところにいちゃダメだ。潰される』 って言うんです。(p.249)
 中丸さんに、そう言ったのは、小沢征爾さん。
 イタリアに渡り、数年後、マリア・カラス国際声楽コンクールで優勝した。
 (250頁の写真の説明が、コンクールではなく、コンクリート! になっている)
 オペラ歌手っていうのは、イタリアでは最大のスターで、どこに行っても最高の扱いを受けるようになりました。ギャラもどんどん上がって、夢というか計画が本当に実現してしまったんです。(p.251)
 中丸さんの人生の軌跡が12頁ほどにわたって記述されているけれど、凄い人らしい。幼少のころから並みではないのである。この人はオペラ歌手でなくても必ずや成功していたに違いない。

 

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