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 十字架の両側に晒し首にされて喜色満面なのは左・小林誠先生、右・益川敏英先生。昨年、2008年度は日本人のノーベル物理学賞3人、化学賞1人、一挙4人が受賞した年だった。
 新聞に載った記事ばかりなので、かなり重複しているし、読み物としては、ちょっと古くなった散し寿司みたいである。

 

 

【 「静」 の小林、 「動」 の益川】
 白髪の益川先生は、ハゲぎみの小林先生より5つ年上。お二人とも愛知県出身、名古屋大学・同大学院、京都大学と、同じ経路を辿っている。
 物理や数学、哲学から日米安保まで、級友と議論に明け暮れていた益川に比べ、小林は一人で本に向かうことが多かった。(p.9)

 高校、中学時代にそれぞれ 「坂田モデル」 に出会った益川敏英と小林誠は、名古屋大大学院に合格するとその生みの親、坂田昌一が教授を務めるE研(素粒子論研究室)に入る。 (p.35)

 大学院に合格して出入りするようになったE研に、ゼミで見た益川がいた。
 「ロジック(論理)の展開がユニークで、すごい人だ」
 すでに助手になっていた益川は仰ぎ見る存在。だが、小林自身、すぐに皆から一目を置かれるようになる。口数は少なく、ぼそぼそっとしゃべるが、湯川のノーベル賞論文のちょっとした間違いを指摘したり、皆がてこずる難問を先輩にすらすらと説明したり。E研にいた5年間、益川らとの共同論文をいくつも書いた。
 「益川さんがへんてこなことをいっぱい考えては、小林さんがそれはだめ、ここはこう、と交通整理する」。独特のひらめきの 「益川語」 を小林はよく理解していたと、二人を知る研究仲間は言う。(p.9)
 この記述の後に、E研のコロキウム(討論)室の様子が書かれているけれど、「こういうのって、いいなぁ~」 と思う。大学時代がちょっと、懐かしくなる。
 E研は、「上下関係があって、下の人が委縮したら、学問の探究はできない」 という主旨で運営されていた。研究室の外では一般社会常識に則していたのであろうけれど、研究や技術向上の場面では、”幼長の序” を尊ぶ儒教精神ほど妨げになるものはない。韓国からは科学技術の関する受賞者がいまだに一人も出ていないのは、そんなことが関与しているのだろう。

 

 

【異質が交わり 『理論』 生む】
 「新しいアイデアを思いついて小林君に持っていくと、彼は実験例を挙げて 『これは矛盾する』 『これはあかん』 と全部つぶしちゃう」 と益川氏。小林氏も 「考え方が違うと両方とも譲りませんから」 と、当時の激しい議論を振り返る。
 こうしてアイデアを出してはつぶすことを繰り返すうちに、二人はクォークが当時知られていた3種では、どうやってもCP対称性の破れは説明できないのではないか、という考えに行きついた。
 ある日、入浴中の益川氏が、風呂桶をまたいだ瞬間 「あっ、6元にすればいける」 とひらめき、クォークが6種類あるモデルを小林氏と詰めに詰めた。
 最終的に英語の論文を書いたのは小林氏。益川氏が 「英語は極端に苦手」 だったからだ。そのわずか6ページの共同論文は、1973年に世に出た。 (p.55)
 今から35年も前に出された当時、この論文を評価する人は誰もいなかったけれど、その後、4つめ、5つめのクォークが発見されるに及んで、俄かに脚光を浴びるようになった。最終的にこの理論の正しさが実験で証明されたのは2003年なのだという。
 お二人と共に受賞された南部陽一郎先生は1921年生まれで、88歳の受賞。素粒子理論物理学の世界ではすでに数多の業績を評価されている方。先行してい過ぎた天才、ということで遅ればせながらの受賞ということらしい。
 クォークについては、実験物理学の分野でノーベル賞を受賞している小柴先生の書籍に書かれている。

 

 

【CP対称性の破れ】
 「C」 はチャージ、 「P」 はパリティーの略。チャージは粒子が持つ電荷を示し、パリティーは鏡に映した鏡像の世界を示す。粒子の電荷の正負を入れ替え、鏡に映すと反粒子になる。CP対称性が破れるとは、粒子と反粒子が異なる性質を持つことを示す。(p.67)
 「CP対称性が破れているからこそ、この世(物資世界)は存在している」、ということになる。
    《参照》   『宇宙の羅針盤(下)』 辻麻里子 (ナチュラルスピリット) 《後編》
              【創造の秘伝:エラー率】

 

 

【研究に行き詰まったときの解決方法は?】
小林 : 行き詰まるのはしょっちゅう。私の場合は棚上げする。頭の片隅ではその問題を考えているので、少し時間を置くのがいい。発酵するというほどではないが、時間とともに意味が変わっていく。それを待っている。
益川 : 私はまず。その問題がすぐに答えをだせるものかどうかを判断する。出せないのなら次の機会まで待つ。一方、答えは出せそうだが難しくて突破できない場合は徹底的に歩く。机に向かうと思考が停止する。博士論文の指導をしていて難問に直面したとき、大学まで片道5時間を歩いて往復し、良い解決方法を見つけた。途中で休息はしたが。(p.133-134)
 栗本慎一郎さんは、「脳は大腿筋と強い相関性をもっている」 と書いていたっけ。そう、歩いたりチャリンコで走るのは脳を刺激するのによい運動である。
 これ以上アホにならないように、少し歩く工夫をしよう。
 
 
【名古屋大学】
○野依良治(のよりりょうじ)先生
 2001年にノーベル化学賞を受賞していた野依良治先生は、神戸生まれ京都大学出身だけれど、名古屋大学の教授をされていた。
○下村脩(しもむらおさむ)先生
 お二人と同じ2008年度にノーベル化学賞を受賞した下村脩先生も、長崎大学を卒業した後、名古屋大学の研究生として平田義正先生の元で仕上げた成果が認められ、フルブライト留学生としてアメリカに行くことになったのだという。

 

 

【下村脩先生の講演要旨】
 平田研究室でのテーマは、ウミホタルの発光物質ルシフェリンを結晶で取り出すこと。10ヶ月間努力して成功した。偶然とはいえ米国の偉い学者らができなかったことを学識も経験もない私が成し遂げた。この成功は、終戦以来、灰色だった私の将来に希望を与えた。最も大きな収穫は 「どんなに難しいことも努力すればできる」 ということだった。 (p.139)
 GFPは、オワンクラゲの研究中に副産物として発見した。発見は天の導きによるものであり、天は私を使って人類にGFPを与えたのではないかと思うことがある。(p.138)
 下村先生は1928年生まれとあるから、受賞時80歳。 語りもお顔も雰囲気もなんだか牧師さんみたいである。自伝のような図書があったら読んでみたい気がする。
 
 
<了>