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 2002年は、日本人のノーベル賞ダブル受賞で、サラリーマン技術者の田中さんばかりがマスコミに注目されていた観があります。サラリーマン技術者と東大名誉教授ですから、一般大衆にとって小柴教授の受賞など、当然という感じで受け止められてしまい、余り関心が向かなかったような気がします。私もカミオカンデという意味不明な単語が耳に残っていた程度でした。


【物理学の世界】
 小柴先生は物理学者ですから、素粒子関連の基礎的な用語がどうしても出てきます。しかし、この書籍は、一般読者向けに書かれているのですから、辞書で調べるだけで誰でも容易に読み進めることができる程度の内容です。
 講談社ブルーバクスや、F・カプラの『タオ自然学』(工作舎)を読んだことのある人ならば、そこに描かれていた乾板に映るニュートリノの飛跡のイメージ記憶を思い出しつつ、時間の経つのも忘れて殆ど一気に読み終えてしまうと思います。

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【全体的な読後感 : 日本は凄い!】
 小柴先生本人の語りのままに記述されていたので、読みやすい書籍でした。
 そして、小柴先生の研究過程や研究内容に関する、興味深くも分りやすい記述を読みながら、「小柴先生に限らず、日本には凄い研究者や技術者が何人もいるもんなんだ・・・・」 などと、当然と言えば当然なことに、妙に感心してしまいました。感心したと言うより、「日本人の才能やら技術力についての “凄っごい力量” 」 を感じた、と言う方が相応しいかもしれません。実験によって物理理論を検証するには、超高度な技術力が絶対に必要だからです。


【小柴先生の受賞に至るまでの過程がまた・・・・・】
 先生は小学生の頃、小児麻痺にかかってしまい、そのために片手が不自由なままだったそうです。また、東大でも最も優秀な学生でなければ入れない物理学科に入るために奮起したことや、その後の研究生活で、国内や海外を渡り歩いて実績を積み上げていった過程や、抱いていたアイデアを証明するための実験装置を考案し作り上げてゆく過程など、読み進めば進むほど、私の頭はボキャ貧状態になってしまい、唯一つ 「凄い!」 という単語しか思いつきませんでした。   
 先生の語りの中に、「苦労した」 と言うような表現はありません。それは先生が、常に前向きな心と、非凡な意志力と、強靭な精神力と、周囲の人々の協力を取り付けるだけの人間力を持っていたことの証拠なのです。タイトルの 『やればできる』 の前提として、これらのことを考えない訳にはゆきません。


【カミオカンデ】
 KamiokaNDE = Kamioka(神岡) + Nucleon(核子) + Decay(崩壊) + Experiment(実験)  
 岐阜県の最北部、富山県との県境近くの神岡町にあった三菱鉱山の地下に作った核子崩壊実験装置のことだそうです。核子って、理論物理学でいうところの陽子や中性子を意味する言葉です。
 現在の神岡町には、海外からの研究者が100人以上も住み込んでおり、カミオカンデは、世界中のニュートリノ研究者のメッカに成っているのだそうです。


【偶然ではない】
 小柴先生は、1987年2月23日に地球に到達した、超新星の爆発による観測データを、カミオカンデで捉え、これを解析して核子の存在を証明して、ノーベル賞受賞に至ったのです。先生が東京大学を退官する1ヶ月前のことでした。
 しかし、超新星の爆発を観測できるチャンスなんて、千年で数回程度しか起こらないものなのだそうです。その正に千載一遇のチャンスの時に間に合うよう、神の岡という土地に、小柴先生を中心に優れた人材、高度な技術、それらを可能にする莫大な費用など、「全てが予定調和的に調えられていったのではないか」、と私には思えてなりませんでした。
 この2月23日というエポックの時のことが記述されている部分を読んでいた時、私の部屋で故障して何年間も放置されたままになっていたMDプレーヤーが、勝手に動き出したのです!!! そしてMDから流れてきた曲は冨田勲の「宇宙幻想」でした!!!!!。これってホントです。
   《参照》   『「本気」になって自分をぶつけてみよう』 小柴昌俊 (三笠書房)
 

<了>