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 1995年初版の古書だから、HISなどの参入で海外旅行の大幅コストダウンが生じる前のことであり、現時点から見ると、記述されている内容に多くのズレがある。 特にIT技術の進展による入管手続き方法の変化は大きく、15年前のこの書籍は、完全に過去の事実を記録したものになっている。

 

 

【新聞募集のツアー】
 「まず最初に視線がいく右上に目を引くツアーを載せる。そして真ん中は内容的にしっかりしたもの。そして左下に新企画ツアー。これを週前半に出して、お茶の間で主婦が保存しておき、週末の家族会議で決めさせるようにするんです」 (p.43)
 新聞募集で申し込む人々なんて今どき・・・・と思うけれど、老人や主婦層の中には今でもいるのだろう。時間が自由に使えるはずの老人なんて、経済的なツアーなど選り取り見取りなのだろうけれど、若者のような機動性はないから旅行会社の企画募集の術中にハマる。次に美味しい肥えたカモ軍団が、暦通りに行動するビジネスマンや公務員とその家族である。ハイシーズンの美味しい時期にピタリと網にかかってくれる。

 

 

【大麻の持ち込み】
 最近増えているのが大麻類の持ち込みである。大麻取締法によると大麻に関する罰則は10年以下の懲役、もしくは300万円以下の罰金となる。
 こうした刑罰も知らずに、好奇心で持ち込む若者が急増しているのである。(p.70)
 自慢したくて持ち込むというお目出度い連中もいるというから唖然とする。
 「そんな法律、知らなかった」 は通用しない。

 

 

【機内トイレ】
 こうして最小限に作られたラバトリー。あの中に入れるのかと気になるのが大相撲の大型力士たちである。海外巡業の際、果たしてあの狭いトイレに入ることができるのか、と思ってきいてみたら、やはり無理なようだ。(p.100)
 ヨーロッパ巡業みたいに遠かったらどうするのか。ガマンにも限界があるだろうに。相撲協会には、機内用ポータブルトイレみたいなのがあるんじゃないだろうか。私の想像である。そこまでは書いてない。
 国内巡業の移動には、おそらくデブ用シートに改装されたバスが使われているのだろうけれど、飛行機の場合は、座席にしてもエコノミーは絶対に無理だから、みんなビジネスやファーストなのだろう。出世してない外国人力士はオチオチお家に帰れない。

 

 

【コンシェルジュ】
 修道院は地域社会の中枢としての役目を果たし、外来者を無料で接遇するのが信仰上の義務であった。大きい僧院にはポーター(荷運び人)や、コンシェルジュ(門番)の役目を持つ僧侶がおり、旅人の世話をした。今日でもホテルのスタッフをそれらの名前で呼ぶのは、当時の名残だそうだ。(p.129)
 コンシェルジュ(concierge)のルーツが門番だったとは! 確かに辞書にあった。

 

 

【スイス・ホスピタリティー】
 19世紀中頃に、ヨーロッパのホテル・サービスは 「スイス・ホスピタリティー」 と呼ばれ、ヨーロッパのホテル経営の基本となっていた。今日でも世界の各ホテルにスイス人のスタッフが多いのはそのためである。(p.131)

 

 

【安全なホテルの見分け方】
 ホテル業界では “フロントマンの顔はホテルの顔” といわれている。つまり、いいホテルほどハンサムで折り目正しいフロントマンがいると覚えておこう。(p.180)
 安全なホテルを見分けるポイントが、フロントマンの顔だと書かれている。
 日本はどこだって安全だから、地方のホテルなんてほとんど普通の人々である。
   《参照》   『なぜ英国のホテルは世界で最も愛されるのか』  三澤春彦  オータパブリケーションズ
             【フロント係りは通過職】

 

 

【サボイ・ホテル】
 1889年、ロンドンに世紀の興行師と呼ばれたイギリスのリチャード・ドイリー・カルテという男がいた。彼は湯水のように大金を投じて、ロンドンに 「サボイ・ホテル」 を建て、その総支配人としてセザール・リッツ、そして料理長としてエスコフィエを招いた。まさに伝説の人々が作った 「愛」 のホテルである。
 「プライバシーは遵守する」 「客は常に正しい」。 これがリッツのホテル哲学であり、モットーであった。(p.133)
 このホテル名、なぜか気になる・・・。

 

 

【欧米社会内のホテル・チェアマン】
 日本では想像できないことだが、欧米社会では、ホテル・チェーンの “チェアマン(会長)” のイスは非常に高い。その時代でもほんの一握りの極めて大きな成功を遂げた者のみに、ホテル・チェーンの総帥の座が与えられるのだ。
 だから、1988年10月、ホテル業界の名門インターコンチネンタル・ホテルズが日本のセゾングループ(堤清二代表)に21億3千万米ドルで買収された時、欧米の人々はついに来るものが来たという感慨とともにそれを受け止めた。繁栄する日本経済が、ついにそこまでの地位に上りつめたのである。(p.147)
 89年にはバブルが崩壊しているのに、著者は何でセゾンのことなど誇らしげに書くのであろう。翌年にはホワイトマンたちから嘲笑されていたはずであろうに。

 

 

【アメリカ・サイドだと・・・】
 先だっての湾岸戦争の最中も、東南アジアなら大丈夫だろうとタカをくくって出かけたある青年は、現地がイスラム教国だったため、道を歩いていると、「日本はなぜアメリカに90億ドルも出すんだ」 と地元の若者に胸ぐらをつかまれて殴られた。(p.172)
 おそらくインドネシアでのことなのだろう。イスラム教国に限らず、第3世界には反米意識をもつ国々・人々が多いことは知っておかねばならない。
   《参照》   『女ひとり 世界危険地帯を行く』 岡本まい 彩図社 
               【南米で嫌われる日本】

<了>