イメージ 1

 2007年5月初版本だけれど、既にこの 読書記録に書いてきた著者の既刊本 の内容をコンパクトにまとめたような内容になっている。

 

 

【サラリーマンは職業的絶滅の危機】
 一言でいえば、すべてのサラリーマンは職業的絶滅の危機にある、といっても過言ではない。かりに同じ職業が地球のどこかで存続したとしても、日本でやる必要がなかったり、より安い国に取って代わられる、ということは十分考えられる。
 昨年後半からの世界同時不況以降、酷暑の平日に図書館に行ってみると、40代50代と思われる男性が非常に多いことに気づく。 仮に世界の景気が回復傾向にあったとしても、いったん日本企業への発注を断ったのを機に、日本固有の付加価値を持たない工業生産品は人件費の安い中国などへシフトしてゆくのは明らかである。
 大前さんの本に書かれている内容は、出版当初、「そんなものかなぁ」 と人ごとのように思いつつ読んでいても、数年後には必ずそのようになって行くから、あとあと慄然とするのである。

 

 

【 Forces at Work 】
 この 「FAW」 というのは、マッキンゼーの創始者の一人であるマービン・バウアーの考え出した概念であり、無理やり日本語を当てはめるなら 「そこに働いている力」 ということになる。ある傾向を伴った事象があれば、そこには必ずその事象を発生させるだけの力(FAW)が働いているはずだから、それを分析し発見するのだ。
 それがわかったら次は、その力の方向に現在の事象を早送り(FF)してみる。そうすると、5年後、10年後、今の事象が社会にどのような変化をもたらしているかが見えてくる。
 わたしのいう先見力とはこの、①観察、②兆しの発見、③FAW、④FFが正しくできる能力のことなのである。(p.19)
   《参照》   『ザ・プロフェッショナル』 大前研一 ダイヤモンド社 《後編》
               【先見力の鍛え方】

 

 

【学校教育】
 本当は、実現したいアイデアがまだ山のようにあるのである。たとえば、北海道の高校はロシア語、九州の高校は中国語か韓国語を必修にする。東京にいるとピンとこないかもしれないが、北海道や九州のような、他国と海を隔てて接しているようなところは、そういう国との交流が意外に盛んなのである。・・・中略・・・。
 だが、高校でそれをやろうと思ったら、指導要領を改訂しなければならないので、現実は難しい。(p.42)
 こういった学校教育に関するアイデアは、 “ボーダレス経済” や “地域国家論” の提唱者である大前さんにとっては、当然のこととして発想されることであり、その論拠に基づく大前さんのビジネス書籍は、韓国・中国・台湾などで圧倒的に売れて支持されている。
イメージ 2
<上掲の写真は、台湾・台北市郊外の教室ひとつ分程度の売り場面積の小さな書店で撮ったもの。大前さんの書籍が3冊並んでいる>
 大前さんが海外でコンサルタントをしている企業も多い。海外では大前さんの影響力は絶大なのに、日本だけが何故か “シカト” しているという感じだ。

 

 

【影響力を持つ人間はみな、自分なりの型をもっている】
 私はボーダレス経済と地域国家論という思考の 「型」 の持主なのだ。
 私に限らず、影響力を持つ人間はみな、経験に裏打ちされた自分なりの型をもっている。その型が余人をもって代えがたいものであればあるほど、強い影響力を行使できるのではないだろうか。(p.85)
 その型の創出と維持の方法は、
 その型というのは、日々のたゆまないトレーニングに耐えなければ身につけることはできない。とくに思考法というのは油断すればすぐに衰えるから、型が崩れないよう、毎日欠かさずトレーニングしてメンテナンスすることが重要なのである。(p.94)
 人体の筋肉組織に即した閾値は60%である。出力60%のトレーニングで現状維持、それ以上なら強化され、以下なら衰える。頭も筋肉も、使わなければ衰えるのである。強靭な知性の大前さんも、御自身はマシンでないことを表明している。

 

 

【究極の時間短縮法】
 ネットを利用すればすぐに調べることはできるが、これから先も頻繁に使う事が予想される人名や単語なら、いっそのこと腹を決めて暗記してしまう方がいい。そうすれば探す時間は短縮どころか必要がなくなるのだから、これこそ究極の時間短縮法といえるだろう。(p.118)
「情報などPCやインターネットの中にいくらでもあるのだから、人間は暗記する能力より創造する能力を開発すべきだ」 という意見を聴くことが多い。しかし、人間は、PCではなく脳の中に蓄えられた情報が元となって初めて創造が可能になるのである。 IT技術力に秀でているインド人の記憶力・暗記力には、日本人技術者も蒼ざめているというけれど、メモ一つとることなく会議の内容をすべて把握しているインド人技術者だからこそ、システム全体を正確に構想することができるのだし、不測の事態にも極めて冷静に対応できるのである。
 大前さんは、「日本は、落ちこぼれを救済することばかり考えていて、それに必要な “資源” を稼ぎ出すことのできる優れた人材育成を考えていない」 と常々書いているけれど、大前さんのように優れた人材で、記憶力の劣った人間など決してありえない。概して元々優秀な人材には秀でた記憶力・暗記力が備わっている。優れた人材は、記憶力・暗記力という究極の時間短縮法を用いて、密度の濃いビジネス行い、密度の濃い人生を歩んでいる。記憶力・暗記力を重視すべきなのは、落ちこぼれであれ優秀な人材であれ共通である。
   《参照》  『本物の実力のつけ方』 榊原英資・和田秀樹 東京書籍
            【「詰め込み教育」 肯定の論拠】

 

 

【トヨタが日本を捨てる日?】
 21世紀の日本が繁栄するかどうかは、格差を埋めることではない。突出した個人、そして企業をどのくらい生み出せるかで決まる。トヨタやキヤノンのような突出した企業は、いずれ日本(人)を捨てるだろう。日本の教育制度では、世界で勝負する人材が生まれないからだ。
 トヨタはすでに、現地でトップを雇い始めている。日本人のみを優遇していたら、世界のナンバーワンの地位を維持できないからだ。これはキヤノンも同じである。 (p.169)
 ボーダレス化する世界経済の中で日本人を優遇し続けるというのはやはり偏頗なことだから、これが改善されるのは自然な流れであるとして、トヨタが日本を捨てる日が本当に来るのだろうか?
 基幹産業として最も先に進んでいることが必然である鉄鋼業の場合、例えば新日鉄の研究室内の研究者はかなり前から多国籍で会話は常に英語であるという。ビジネスにおける先進ということは、無国籍化方向へのシフトを必然とするものなのだけれど、企業文化としての国の重心位置まで拮抗点に向かう必然性はないと思う。
 トヨタもキヤノンも、国際社会で通用する人材を育成する独自の社内教育システムを既に構築しているけれど、日本と欧米のビジネス手法の長短を知り尽くして、良いとこどりをしているはずである。

 

 

【農業問題】
 日本の農業が衰退したのも、農業に問題があるのではなく、農業に革新性を持ち込めなかったことにある。国の指導のもとで補助金漬けにして、農民から 「考える力」 を奪ってしまったからだ。
 そもそも農業を 「産業」 として考えたとき、コメの最適地は日本ではない。もともと米は東南アジアのものだから、強いのはタイやベトナムといった国々である。ならばいっそ農業を世界化することである。日本の農民を農業経営者にして世界に送り込み、世界で採れた作物を日本に逆輸入すればよい。
 かつて鉄鋼業で、日本は同じことをやっていた。 (p.174)
 この論理はそれなりに一貫しているのだけれど、 「地産地消」 という風土論に基づく健康維持を含めた人間存在の最適化は考慮されていない。
 全ての農民が 「考える力」 を持ったとしても、すべての農地が有効利用できるアイデアが明確に描けないのであるならば、日本国土の緑地保全という視点からも、大前さんの考えを実行する訳にはゆかないのだろう。
 いきなり大前案を実行したならば、結局のところ、農業生産では生活を維持できない農民の全てを救済するために、国土緑化保全を目的とする国有企業の社員として雇用し、「補助金」 を 「給与」 の名目に変えて支給するというようなことになってしまうことだろう。
 日本のように生産性の高い工業力を中心に経済基盤が確立してきた国がボーダレス経済に突入した先にあるのは、どう見ても共産化に他ならないように思えて仕方がない。極限まで技術が集約されたロボットによって高付加価値の工業製品が生産され、同様に国内のロボット農産物工場から農産物が生産され供給されるようになるならば、かつての共産主義国家ソビエト連邦で芸術が繁栄していたように、人間は芸術活動にでもいそしむ以外に時間を消費する方法はなくなるのではないだろうか。
 実際のところ、いずれはそうなるであろうし、早くそうなるべきだと思っている。
 
<了>