イメージ 1

 著者の肩書は、外洋カヌー航海士とある。ホクレア号は、映画 『地球交響曲第3番』 で紹介されていたという。この書籍もいいけれど、『地球交響曲第3番』 も見てみたい気がする。

 

 

【ホクレア号】
 「ホクレア」、幸せの星という名のカヌーが完成しました。
 全長62フィート(約19メートル)。素材こそグラスファイバーでしたが、ハーブが長年研究してきた古代ポリネシアの双胴カヌーに、できるだけ近づけてつくられたものです。
 ハーブは1975年3月8日に、ホクレア号の進水式を行いました。
 ハーブはこの進水式を、歴史や伝統的なしきたりにそった、純粋なハワイの儀式にしようと言いだしました。 (p.42)
 ハワイ、ニュージーランド、イースター島を結ぶ三角形の海域は、ポリネシア・トライアングルと呼ばれているのだという。外洋を航海して生活していたハワイ原住民の伝統を復活させるため、ホクレア号はハワイからポリネシア・トライアングルのほぼ中央に位置するタヒチ島に向かっての航海を計画していた。

 

 

【伝統技法の遠洋航海士、マウ】
 あとで知ったことですが、そのころ世界にはまだ6人の伝統技法の遠洋航海士が現存していました。(p.60)
 ミクロネシア海域をフィールドとしていた伝統技法の遠洋航海士マウが、世界に現存していた6人のうちの一人である。彼がハワイからタヒチへの航海を指導した。
 マウが受け継いできた伝統航海術は、すべて口伝によるもので、字に書きとめることはしません。しかし、マウは、自分と同じ方法では、私が学べないことをよくわかっていたのです。
 マウは、自分が習い覚えた方法にかたくなに固執するのではなく、ハワイという島で、アメリカ人として暮らしてきた者でも学べる方法で、私たちを育て、自分は何者なのか、自分もまた海の人なのだという誇りを、私たちの魂の中から引き出してくれたのです。
 文化のちがいさえも柔軟に超えてゆける、勇気と誠意。私がマウを真の天才航海士といってはばからないのは、この点にあるのです。
 もしマウに出会うことがなかったら、私の人生はどうなっていたか、考えることがむずかしいくらい、私はマウによって育まれました。
 マウは、私たちに航海術を教えてくれただけではなく、私たちハワイ人が心の中に抱きつづけてきた静かな怒りを、どのように癒してゆくべきかを、本当に教えてくれたのです。この二つの偉大なことを、同時に成し遂げられるのは、この地球上にただ一人、マウしかいないと思うのです。(p.70-71)

 

 

【分かち合い】
 島の社会では一般的に、「蓄財」 よりも 「分かち合い」 のほうが、大事なこととして考えられています。現代の一般社会とはまったく反対の発想です。現代の一般社会の豊かさは、富をどれほど蓄積しているか、どのくらい金品を消費しているか、その物量で計られているように思います。富を手に入れることに奔走していくと、人は知らぬまに、分け与える心を忘れてしまいがちです。 (p.78)
 その通りであろう。 鉱物資源を独占し、エネルギー資源を独占し、富を独占するためには、惜しみなく資本と軍事の刀を使い分け振り回す現在の地球の支配者たちの有り様は、星を頼りに大海原を航海し、島々を巡ってあらゆるものを分かち合って生活していた人々から見れば、まさに狂気の世界以外の何ものでもない。
   《参照》   『ソウル・サーファー』 ベサニー・ハミルトン  ソニーマガジンズ
              【アロハの精神】
              【アロハ】
 

 

【島がみえるか】
 かつて、マウのそばで、毎日カヌーについて学んでいるときでした。ある日の夕方、東へ張り出したラナイ展望台の岩の上で、師であるマウが私に聞きました。
「ナイノア、島が見えるか」
 島とは、これから航海していく目的地、タヒチ島のことです。オアフ島の4000キロかなたにあるタヒチ島、実際には当然見えるはずのない島。
 私は考えた末に、
「心の中でなら見えます」
と答えました。
 マウはいいました。
「ナイノア、その島を絶対に見失ってはいけない。その島を見失ったら迷子だから」
 それは、マウから形式的に習うべきことがすべて終了した瞬間でした。  (p.105)
              【引き寄せの法則】
 

<了>