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 著者さんのことは日下公人さんとの共著、『上品で美しい国家』 を読んで初めて知った。この本は、4年近く前(2005年6月初版)に書かれていたのだから、その頃、このタイトルに気付けなかったこと自体が私自身信じがたい。

 

 

【勝ちパターンに入った日本企業】
 日本はアメリカに対して、製造業のかなりの分野で、これまでも勝利を重ねてきた。1970年代の後半には、カラーテレビから鉄鋼、そしてオートバイと次々に貿易摩擦が起きたが、その大部分において日本製ブロダクツの品質がアメリカ製を明らかに凌駕していた。アメリカの多くの業界は、政治の助けを借りて保護貿易の壁に逃げ込んだ。
 しかし、その後のアメリカの消費者が行った選択の結果を見ても、日本の製造業のそれに対する全面的勝利は明らかである。iPod などは日本の企業の慢心が生んだ、局地戦の敗北にすぎない。(p.23)
 日本で成功しているiPod のようなアメリカ製品は他にほとんどない。アメリカで成功している日本製品は数えきれない。iPod はまさに局地戦の敗北というだけである。

 

 

【中国における定期借地権という問題】
 中国では土地は公的所有の対象だ。ならば、なぜ不動産投機が起こるのか。その理由は、土地を持っているはずの国が、商業地でおよそ50年、宅地では70年の定期借地権を設定してそれを売っているからである。この定期借地権を基礎に土地の売買が行われ、マンションが立ち並び、投機の対象になっているのだ。
 しかし、誰も正確にその定期借地権の価値を知らない。時間の経過とともに、借地期間が短くなるという「タイム。ディケイ」(時間の経過とともに、価値が低下すること)の問題をどう考えたらいいのかもわかっていないし、そもそも定期借地権の権利がいかなるものであるかも正しく理解されていない。(p.54)

 

 

【中国の金利決定権をにぎる者】
 中国人民銀行貨幣政策委員会には金利に関して決定権がなく、・・・中略・・・。温家宝率いる国務院と相談し、時には指示を仰いで、国務院の名の下に金利操作を行うということだ。中国では金利決定権を中央銀行が握っていないのだ。・・・中略・・・。社会主義的な共産党一党支配システムのカラーを色濃く残しているのだ。 (p.67)
 そりゃあそうでしょう、と思う。共産党の支配下の経済なのだから。

 

 

【創造性が欠如する中国】
 中華民族はもともと 「商」 の民族である。中国が真に 「モノつくりの国」 になって中国ブランドを確立するか疑問であると書いている。その理由として、
 中国の今の政治体制の下では、最後のところでは、企業やそこに勤める個人は自立性を主張できないと思う。(p.94)
 日本は、犯罪にならないかぎり何を言っても、何をやっても許されている。一見だらしなくしまりがないように見えるこの自由な環境、それに社会のあちこちや個人に宿っている 「遊び心」 が、日本の創造力を生み出す基盤になっていると筆者は考える。そしてそれが、「日本力」 の底力となっているのだ。・・・中略・・・。
 自由という活力源を持った日本を、体制が変わらない中国が追い抜くことなど不可能なのである。(p.95)
 砂粒のようにバラバラになってしまう中華民族をまとめ上げるためには、強力な権力を有する政治制度が必要だけれど、そのための共産主義を放棄しない限り、自由という活力源は生じない。中国が大国であり続けようとする限り日本に及ばないという結論になる。

 

 

【中国には祭りがない】
 中国には祭りがないというのは実に意外だが、真実である。中国出身の柯隆さんだからこそ、日本との差を確信できるのだろう。「春節は中国の祭りだ」 という人もいる。しかし、春節は日本で言ってみれば正月である。正月は日本では祭りではない。日本の祭りの多様性と頻度は、世界でも例のないものである。これも 「日本力」 のバックグラウンドにある 「遊び心」 をくすぐる要因になる。 (p.154)
     《参照》   『上品で美しい国家』  日下公人・伊藤洋一  ビジネス社
                  【「お祭り国家」 日本が世界をリードする】

 

 

【サファリパークと動物園】
 上記にある柯隆(富士通総研経済研究所主任)さんは、以下のようにも言っている。
 「日中の国民性はまったく違う。違いすぎて恐ろしいくらいだ」
 「中国は、言ってみれば動物が放し飼いになっていて、ボーッとしていると食われてしまう社会、つまりアフリカのサファリパークだが、日本はかく動物が安全を保障されている社会、言ってみれば動物園だ」(p.169)

 

           

【IMF後の韓国の実態】
 2004年の韓国訪問は、二つの驚くべき事実を知ることができたことで、非常に有用だった。
 一つは、韓国経済におけるサムスンという会社の過剰とも思える存在の大きさであり、もう一つは、韓国における製造業労働者の急速な減少である。 (p.113)
 サムスンという過剰な存在にかかわる数値。
 ・韓国の全法人収入の4分の1 
 ・韓国の株式時価総額の22%
 ・韓国の全企業の純利益の25%
 ・韓国の全輸出の16%  
 ・韓国の貿易黒字の3分の1
 これだけ1企業が突出する韓国経済は、「多様性こそ力である」 という汎論に違うのだから、逆に言えば 「脆弱性を内包している」 ということにもなる。経済規模で言うならば、日本には、サムスンに匹敵する企業が5社もある。スピード経営で巨利を稼いできたサムスンの長所は、その長所ゆえにこそ短所となって自らの首を絞めかねない。
 製造業労働者の急速な減少は、何ら驚くことではない。IMF 後の韓国は、日本型経済からアメリカ型経済へとシフトすることを強要されていたのである。だから88年を境に、明瞭に上昇から下降に転じている。
 IMF後にできた個人向けローンで消費が過熱し、今では100人のうち13人が信用不良者 (p.124) だという。そもそもの国民性からも、個人財政の現状からも、韓国はすでにアメリカと同様な状態に陥っているのである。韓国もアメリカも “好況” と日本のマスコミが伝えていた状況は、 “ローン三昧” が実態だった。
 IMF後の韓国は、中国とアメリカの中間にあって、バナナ(肌は黄色で中身は白)であることを、強要されつつ、また自発的にも受け入れざるをえなかったはずである。
 韓国が国を挙げてソフト文化産業を企画し、どれほど振興しても、それによって韓国経済への波及効果(韓国製消費財の輸出増加)は生じない。ソフト文化は、日常生活の中にある物(高品質な工業製品)が先行するする状態でペアリングしなければ相乗効果はないのである。
       《参照》      日本と韓国 <文化に関する雑記
            ● 世界は日本化する? ( 世界史からみた文化の流れ )  ●

 工業製品の品質において韓国は日本に及ばない。ハリウッド的手法が色濃く残った韓国映画より、日本独自のマンガやキャラクターの方が、世界中に対して普遍的特異性というインパクトおいて圧倒的に勝っている。
 「日本力」 は、「特異性」 と 「普遍性」 という相反するものを具有しているのである。
 物質次元における「特異性」と、高次元における 「普遍性」 ということである。

 

 

【インドの問題点】
 何よりもインドがかかえる最大の問題は、国内に根強く蔓延る貧困と、それと表裏一体の関係にある多くの国民に対する教育の欠如だ。(p.189)
 一説によれば、インドでは全人口の35%は文字が読めない。(p.179)
 意思の疎通を欠く状態では、調和的前進、相乗的向上は決して起こりえない。
 インドにはカースト制度、中国には戸籍制度という人種差別があり、極度の貧困が放置されたままである。
 インドも、中国も、日本とは程遠い社会なのである。決して高みには至れない。

 

 

【コックは大抵バラモン】
 コックは大抵バラモン(最高位の階級)のようだ。職業区分からは矛盾しているようだが、もし自分より低い階級の人間が料理を作っていたら、それを食べた人間は汚れてしまうというふうにインド人は考えるからこうなっている。(p.191)

 

 

【キティーのかわいさ】
 台頭してきたのは 「かわいさ」 を売り物にする、日本のポップカルチャーである。具体例を一つ書こう。
 2004年の末にロンドンに数日間滞在したとき、ロンドン在住の友人から聞いた、「ロンドンでも最近はキティちゃんが人気」 という話には、非常に興味を持った。・・・中略・・・。英紙 「ザ・タイムズ」 もキティを 「ゲイシャや桜と同様に日本の象徴」 ともてはやしている。 (p.222)
 ウチの猫の親分は、着物を着たテディーベアをもってやがる。
 「ド阿呆!」
 「猫なら猫らしく同族を揃えるべきじゃんか」

 

 

【「かわいい」 以外の理由】
 アメリカの評論家であるドナルド・リッチー氏は、日本が輸出するソフト製品に共通する要素として 「かわいい」 以外に、「子供らしさ」 「天真爛漫さ」 「新鮮さ」 があると指摘する。 (p.228)
 子どもたちは、そのままで無垢であるから、日本のソフトにハマるのは当然である。
 一方、苛烈な現実に辟易している大人たちは、イデオロギーや宗教臭さのない “子ども的なるもの” に心が向かうだろう。 「人的作為」 の対極にある 「本来的無垢」 に向かう。 大人たちが本能的にいだく、進化が誤りであった場合に幼形の地点まで戻って再度進化をやり直すという 「幼形進化」 願望が、日本のソフト製品にマッチするのであろう。
 あるいは、もっと単純に、世界は “汚れた者” と “無垢なる者” の二つに分かれつつあるのかもしれない。日本文化は、「無垢なる幼児・童子に神が宿る」 と見る文化であるから、先天的に後者に属している。日本以外の国でも、 “無垢なる魂をもつ者” たちが増えているのである。
 もっと単純に霊学的に言うならば、「日本力」 を排撃するのは 「邪力」 以外にないのである。
 「邪力」 は 「軍事力」 で侵略する。 「日本力」 は 「文化力」 で進出する。
 
 
<了>
 

  伊藤洋一・著の読書記録

     『上品で美しい国家』

     『日本力』