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 この本を読んだのは4回目。宗教的世界に興味があった頃、仏教やキリスト教に関して、宗教学者さんの書く本は、それぞれに精通してはいてもその宗教内の閉鎖的な内容ばかりで、私の興味には全く答えてくれなかった。
 その点シュタイナーの著作は、霊的な背景から宗教が世界史に果たした役割を語ってくれていたので、明確には分からないなりにも、その時点の自分のキャパで分かるところまでと割り切って何度も読み継いでいたものだった。今も、実家の書斎の棚には、シュタイナーの書籍5冊ほどが背表紙を輝かせている。


【4つの福音書と、第五福音書】
4つの福音書を対比的に書き出すと、
マタイ福音書:建設的:イマジネーション段階:
 イエス・キリストの肉体とエーテル体を叙述:ケルビーム(叡智)が働いている:ユダヤ教に対して書かれた。
マルコ福音書:彫刻的:イマジネーション段階:
 太陽のオーラとしてのキリストを叙述:セフラフィーム(愛)が働いている:ローマに対して書かれた。
ルカ福音書:絵画的:イマジネーション段階:
 イエス・キリストのアストラル体と自我を叙述:トローネ(力)が働いている:人類全体のために書かれた。
ヨハネ福音書:音楽的:インスピレーションの要素:
 太陽霊キリストの魂を叙述:叡智・愛・力が働いている:死者または天使たちのために書かれた。

 4つの福音書が地球に結びついているように、大宇宙の祈りを告げる第五の、原初の福音書は月と木星に結びついています。   (p.123-124)

 

 

【三つの霊統】
 キリスト・イエスの時代に、パレスティナでそれまで別々に流れていた霊統が合流しました。・・・(中略)・・・。一つは仏陀、もう一つはゾロアスター、三番目はヘブライ文化につながる流れです。  (p.8)

 

 

【ベツレヘムのイエスとナザレのイエス、そしてイエスの変容】
 ベツレヘムのイエスはダヴィデ家のソロモン系の血を引いていました。ナザレのイエスはダヴィデ家のナータン系の出でした。ルカはナータン系のイエスについて語り、マタイはソロモン系のイエスについて語っています。
 ベツレヘムのイエスの中には偉大なゾロアスターが受肉したのです。
 12歳のとき、ベツレヘムのイエスの自我、つまりゾロアスターの自我は、もう一人のイエス(ナザレのイエス)の中に移り行きます。
 このように、ナザレのイエスの中で、仏陀は応身でゾロアスターの自我とともに働きました。仏陀とゾロアスターがイエスの中で協力して働いたのです。   (p.12-14)
    《参照》   『仏陀からキリストへ』  ルドルフ・シュタイナー  風の薔薇

 

 

【自然科学はキリスト教の生み出したもの】
 キリスト教に敵対するようになっている現代の自然科学はキリスト教の生み出したものであり、キリスト衝動を継承するものなのです。現代の自然科学は現在の小児病状態を脱すると実際、霊学に直結します。ヘッケルから霊学へと至る首尾一貫した道があるのです。 (p.25)

ヘッケルは「個体発生は、系統発生を繰り返す」という人類進化の解明をなした科学者。シュタイナーは、DNAの解明は霊学へと通じていると言っていることになる。

 

 

【キリスト衝動】
 何がキリスト教拡張の原動力になったのでしょうか。キリスト教の理念でも、キリスト教的学問でもありません。キリスト教と通して植えつけられた道徳的感情が広まっていったということができるかもしれませんが、・・・(中略)・・・、敵対者に対して抱く怒りの数々を正当化する道徳が見出されるだけです。・・・(中略)・・・。キリスト教を広めた人々の魂の中にあったものが、知的衝動でも、道徳的衝動でもないとしたら、一体何だったのでしょうか。------ キリストです。   (p.28)

 

 

【仏陀との対話】
 イエスは仏陀との霊的な対話から受け取った「全ての人がエッセネ派教団の修行者に成れるのではない」という第三の重要な言葉を語ります。ヒレルの語った「私は全体から離れない、私は全体の中で働き、創造する。愛を人々に向けなさい。もし、あなたが一人だったら、一体あなたは何なのか」という言葉は正しいのです。 (p.96)
 エッセネ派を、東洋の仏教で比定すれば上座部(小乗)仏教である。大乗仏教の興隆は、仏陀自らが霊的に働いて行ったことということになる。
 阿含経を依経とする教団が言っていた 「仏典(阿含経)の成立年代が古いから正統である」 という主張は、霊学的見地からは全く意味をなさない。むしろ、霊学的見地をこそ重視すべきなのが宗教というものであろうのに、そんな視点を全く欠いた教学をもって宗派を立宗する教祖というのは、霊智のない単なる野心家なのであろう。そうでないならば、大した審神力(さにはりょく)のない低級霊能者ということになる。

 

 

【再びイエスの変容】
 12歳以降イエスの中に生きていた体験はすべて母の中にうつり、・・・(中略)・・・ゾロアスター自我はナザレのイエスの体から去って、霊界に帰ってゆきました。数日後イエスは家から出て行き、既に知り合いだったヨハネのところへ行き、洗礼を受けるのです。・・・(中略)・・・12歳までのイエスが大きく成長した形で再び現れます。  (p.98-99)
 この記述の後、エッセネ派の結界から排除されていたアーリマンとルツィフェルとの対話へと繋がってゆく。
 イエスのような偉人だけでなく、私たち凡人も、人生の節目節目において霊的背景が変わっていることは、普通にあることである。人生は学んだ深さにおいて霊的に進化するらしい・・・・・。

 

 

<了>