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 この本の著者は岡田多母さんであるけれど、神界の言を取り次ぐ人々は、自らの思念による筆記ではないことを常に明確にするだけの謙虚さがある。(審神力のレベルによっては、玉石混交の場合も多いらしいけれど・・・)
 同著者の同系統の著作として、先に 『あなたへ・・・そしてイヤサカ』 という読書記録を書いている。


【神界】
 霊界、その中に天使界、神霊界、そして、すべての運営を司るところに神界という界があります。ここは霊界を越えています。ボディはあまりつけません。わたしたちの思いの中に必ず現れて、そのように能(ハタラ)きを見させてくれる素晴らしい長です。コーチでも監督でもありません。とても素晴らしい愛だと思ってみてください。 (p.12)
 20世紀は仏教やキリスト教が主催する “霊界宗教” の時代であった。21世紀は既存宗教の枠を超えた人々や日本神道を知悉する人々が導く “神界宗教” の時代である。20世紀の既得権益保持宗教を主催する宗教団体構成員が、21世紀を担うのに必要な「宗教的叡智」と「日本本来の役割」の顕現を阻んでいたりもする。

 

 

【ラブストーリー】
 ラブストーリー それは
 人々が自らの内側に神を見出し
  そのものであったことを思い出す物語
 自らがどれほど聖なるものかを思い出す
          その瞬間への旅路  (p.67)
 

【日本人は、神々の創造の担い手として地上に現れた】
 日本人は、源から命を生命とし、生命体に宿った初めての人祖である。それは、ヒのモトと呼ばれたり、黄金の国、日出づる国と呼ばれていることに認められる。
 これは、その言語の形式にも認められる。人類共通の特有の言葉は、その知性や経験の認識を決定するものであるからである。日本のカナは、カミのナから、カナと呼ばれ、カミのナにカタとして、神を形成するために使用され活用された。ウタは、字を誕生させる手段として、日常、日本人はウタをウタイ、源の想像を神々の創造として、日本人は神々と共に共存していた。つまり、神々の創造の担い手として、地球に存在していた人類だった。 (p.111)

 日本、ヤマトの国の御言葉の復活は、どうしてもDNAの読み取りに必要だ。ヤマトの言葉は、自然の法則(理)とその摂理に則って形成され、その発音と発生は、全被造物、この世とあの世を蘇らせる情報とエネルギーを有している。その響きは、まさに直と神々に通じ、直と源の意思を反映させることができる。
 死人をも蘇らせると言われている「ヒフミ祝詞」、大調和としてあの世この世まで調和させる「アワの宇誕(ウタ)」、陰陽の大調和を具現化し、生誕という巡りを生み出す「イセの宇誕(ウタ)」など、日本の祝詞はすべて共存共栄により、互恵という恩恵の中で、生かされて生きる、健やかで世の理想郷の基本を担っている。 (p.112)
 日本人として日本に生まれながら、霊界宗教(仏教)しか知らない人々は、神道が保持してきた様々な祝詞すら知らないのである。言霊に関する知識すら欠いている人々が殆どである。
 神名:カミナ → カナ:仮名 である。
 数といろはの言霊と神名の対応関係については、下記参照。
   《参照》   『日本人が知らない「人類支配者」の正体』 太田龍・船井幸雄  ビジネス社

               【数と言葉の関係】

 

 

【闇ではなくヒ(日・火・陽)に向かう】
 神と共に喜びのある人生を生きられます。そして、一番美しく、誉れ高き、誇り高い自分を見つめることができます。それをあきらめないで欲しいんです。常に、常に、常にね。あきらめないこと。あせらないこと。飽きずに懲りずに求め続けることです。良いですか? 暗ければ暗いほど、陽を見つめることです、ね。カゲをみつめちゃいけない。暗さを見ちゃいけないの。火を見なさい。自分の希望の陽をみなさい。自分の愛の灯をみなさい。 (p.132)
 “悩み” を言霊で解くと “汝が闇” である。人を助けようとして、悩みに共感してあげたところで本質的な解決にはなっていない。悩んでいる人に共感してあげるよりは、悩んでいる人を “愛のヒ” で包んであげる方が正しい救済になる。その方が神界の長たちは圧倒的に働きやすいのである。
 ところが、未熟な霊界宗教(仏教)信者は、相手の幸せを祈るどころか、自分が勧める宗教を受け入れるかどうかで相手の愛を確認しようとするのである。つまり、自己愛の名において相手を裁いて平然としているのである。愛を利己的に解釈し弄ぶ霊界宗教信者たちは、教団の教学自体が “汝が闇” の世界であることに全く気付けていない。
 
<了>
 

  岡田多母・著の読書記録

     『へその話』

     『あなたへ・・・そして あなたから』

     『あなたへ・・・そしてイヤサカ』