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 気品ある「容姿」、「会話」、「行為」、「精神」の順番に記述されている。
 前半はプレゼンテーションの仕方を具体的に示してくれているから理解しやすいけれど、後半は、否定的な人間関係の中で「気品」を保つにはどうあるべきなのかというような抽象的表現世界になってしまっていて、読むのがしんどい。
 つまり、前半はポジティブなのに、後半はややネガティブなのである。だから、読み終わってエネルギーが吸い取られるような気分になってしまう。

 

 

【視線はまっすぐ】
 絶世の美女でもプリンセスでも、魅力はあっても品格に欠けている人はいますが、その理由の99%は「目つき」にあります。つまり、気品のある美しさの第一条件は、目元の清らかさです。目の輝きです。目元の優しさです。
 そして、そうした気品のある視線の秘訣が、人もものも、何時でもどこでもまっすぐに見ることです。まっすぐに清らかな視線で見ることができるのは、気持ちもまた、まっすぐで清らかであることの証しです。 (p.15)
 これが、気品に関して著者が語る「最初のルール」。きわめて真っ当で分かりやすい。

 

 

【ご都合主義から気品主義へ】
 気品は、自分の都合のないところに生まれます。 (p.79)
 これが、気品に関して著者が語る「最後のルール」。

 

 

【貧が気品を育てるのか?】
  <この本の初版は2002年なので、当時は以下のような悲観的な見方が多かったのは確かである>
 バブル崩壊から十余年、日本は未だ、先の見えない暗いトンネルから抜け出せないでいます。このままでは、日本は、先進国の仲間から脱落してしまうのではないだろうかという悲観的な報道が連日後を絶ちません。でもそれがそれほど悲観的なことなのでしょうか?絶対にあってはならないことのでしょうか。
 日本という国に、そしてそこに住む私たち(ごく一部の人は除くべきでしょうが)に財産はなく、これから先にも財産はなく、日本人は再び貧しくなってしまいました。でも、貧しさは、日本人によく合っているのではないでしょうか。貧しいことに甘んじてこそ、美しい日本です。 (p.96)
 著者は、さながら中野孝次さんが書いていた “清貧の思想” の同調者のようである。
 これには反対する。
 船井幸雄さんが書いていた “清富の思想” が根本になければ、多くの読者が賛成し受け入れたくなるような、「気品」 にはならないのではないだろうか。
 貧しくとも簡素な美しさのあった昔の時代を体験していない世代の人々に、のっけから “清貧の思想” を語っても、単なる敗北者の思想にしか感じられないのである。そもそも、「貧すれば貪する」という諺があるように、貧しいと心は荒び品性はさもしくなるのである。貧が気品を育てると考えるのは、現実を無視した空論である。

 

 辞書を引くと、清貧とは、
  「行いが清らかで私欲がなく、そのために貧しく暮らしていること」 とある。
 ならば、清富とは、
  「行いが清らかで私欲がなく、そのために豊かさにこだわらずに暮らしていること」 となるだろう。
 だからこそ、「気品」に相応しいのは、“清貧” ではなく “清富” なのである。

 

 

  加藤ゑみ子著の読書記録

     『和のルール』

     『気品のルール』

     『美的のルール』

 

<了>