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このお二人は、単独の著書も面白いけれど、対談はさらに有意義。 


【本当のリアリティーを得る】
[福田] 「自分にとってのリアリティーはこれしかなくて、ほかにはないのだ、選べないのだ」 という形での断念、つまり、断念とともに 「このリアリティーを選ぶ」 というときに、本当のリアリティーが得られるのだと思うのです。 (p.76)

 死を見つめることで生が輝くように、深い断念を経験してこそ本当のリアリティーが得られる。しかし、現在の社会は様々な工夫を凝らして、深い断念を経験せずとも済むような社会になっている。そして更にITによる視覚的バーチャル化が進んでいる。近代文明社会は、生がリアリティーを得られない方向に進ませることは間違いない。


【黒澤明と木下恵介の対照性】
[山田] 黒澤さんの作品は、西欧で評判の良くなる側面をたくさん持っている。自我を通すとか、メソメソしないとか、西欧の美意識に非常にフィットする。ところが木下さんの方は、感傷的だし、すぐ泣いてしまうし、すぐ被害者面する。西欧での評判を落とす側面を、ぎっしり持っているんですよ。
[福田] 映画という表現自体が、そもそも西洋から来たものですかが、黒澤さんはその文法をそのまま骨肉にしていますね。もし、黒澤さんの 『生きる』 を木下さんが作っていたら、正反対のメッセージになっていたかもしれない。 (p.120)

 私は、御二人の映画をテレビで放映していたのを見た程度であるけれども、比較文化に興味がない時代は、黒澤作品が世界で評価されていたことについては、正直、「なんで・・・」 と思っていた。
 黒澤作品は黒白、つまり敵・味方などの2元対立がはっきりしているので、西欧人には分かりやすいのであろう。普通の日本人は、黒澤作品のことを、世界で評価されているほどには賞賛しないはずである。
 木下作品は、現在の日本人の感覚とは若干違っていると思う。しかし、日本人の平均的な情緒性は木下作品に描かれているものに近いはず。


【モラル】
[山田] 福田さんは前に、モラルについて、善とか悪とかいう価値判断に少し傾きすぎているとおっしゃっていましたね。
[福田] 私の場合、「モラル」 というのは、自然法的な意味での法とか思想というものとは違って、美意識に近いといいますか、自分が投げ込まれたある状況とか時代の中でどういうふうに振舞っていくかという、その姿勢のことだと思うんです。 (p.176)

 この会話は、ジェントルマンのあり方に向かってゆくのであるけれど、福田さんの考え方は、そのまま日本に習慣法として存在していた 「武士道」 にもあてはまるように思えてならない。西欧哲学の言う自然法ではなく、自然とともにある日本文化の美意識に基づく習慣法 = 「武士道」 である。

 

<了>

 

  福田和也・著の読書記録

     『「日本」を超えろ』

     『「愛国」問答』

     『何が終わり、何が始まっているのか』

     『価値ある人生のために』