イメージ 1

 

 6度の挑戦に敗れ、7度目の挑戦で将棋の名人になった米長さん。羽織袴がやけにカッコいい。御自身が書かれた本はいくつも読んだことがあるけれど、他者の手によって米長さんのことが書かれている本を読んだのは、これがはじめて。


【ともに勝つ】
 棋盤をはさんで対極する棋士が、ともに勝つことなどありえないけれど、通読すると、言わんとする処はよく分かる。以下に2箇所だけ抜粋。
 「ともに勝つ」というのは「ともに譲る」ことでもある。謙譲の精神が日本人には欠けている。将棋という日本固有の文化を通じて、この精神を訴えたい。「『勝てばよし』 だけの感覚が、日本をこんなにダメにした」 (p.89)
 米長は、武田信玄の国に生まれている。信玄の遺訓にあるという。「五分の勝ちをもって最良となす。七分の勝ちをもって中となす。十分の勝ちをもって下となす」 (p.60)
 米長さんは「女神信仰」を持っていた。勝利の女神は、謙虚さと微笑みを好むのだという。


【惜福】
 米長さんが名人になって書いた色紙は、他の名人達の色紙より断然人気があったという。50歳で名人になったということも人気の原因だったのだろうけど、「惜福」 という文字には、慎ましやかな日本人の麗しい精神が感じられる。
 勝ち組・負け組とばかり言っている昨今の経済ニュース番組の中では、「惜福」 なんぞは、夢々耳にすることなどない単語である。「分福」にしても然り。昨今の東京には、“惜しむ”も、“もったいない”も、“分かち合う”も、“譲る” も、かなり希薄である。

   《参照》  『いま大人に読ませたい本』 渡部昇一・谷沢永一 致知出版
           【3つの福】

   《参照》  『宇宙銀行』 植西聰 (サンマーク出版)

           【徳を積み立てる銀行】 ~ 【惜福】


【かりょうびんが】
 米長は、“飛び込み” で鑑真和上開山の寺、唐招提寺を訪れたのではなかった。寺に参る前、和上が初めて日本本土に上陸された鹿児島県坊津町秋目浦まで跡をたどり、そこから奈良までの路程を追ってきたのである。この “一徹さ” に驚く。米長は 「鳥」 の声を聴いていた。いや、米長だけに聴こえていた。遠藤長老も否定しないのだから、これはオカルトではない。 ・・・・(中略)・・・・ 鳥の名は 「迦陵頻伽」 という。 それから半年余、後のことになるが、米長は名人奪取の念願を達成した報告をした。 (p.24 / p.26)

 米長さんは、対局のために地方へ赴くと、その周辺の神社仏閣には必ず足を運んでいたという。


【スゴイ米長4兄弟】
 米長さんいわく、「兄3人はバカだから東大へいった」

 これには、おちがある。
 大学教授を勤める兄いわく、「あいつの兄はバカでないと、つとまらない」

 

<了>

 

  米長邦雄・著の読書記録

     『勝負師』 内藤國雄・米長邦雄

     『米長邦雄 ともに勝つ』 加古明光

     『幸せになる教育』