認知症のお父ちゃんと パーキンソン症候群のおかあちゃん そして 末っ子の 未来日記 -8ページ目

認知症のお父ちゃんと パーキンソン症候群のおかあちゃん そして 末っ子の 未来日記

1997年父が認知症と診断、2012年母がパーキンソン症候群と診断されました。1997年老老介護がスタートし、東日本大震災直後、母が父の介護ができない状態になりました。そして、末っ子が 両親の主介護者となりました。

両親が病気になってから 色々な書籍を読むことが多くなった

ネットで情報を知ると同時に 専門書などを
読むことで 両親の治療を検討することが
必要なのかなって?


さて、わが両親は
認知症と特定疾患
あとは。。。。ガン

母は乳がんの手術経験者でもあるからな~
と・・ガンに関する本を探してみると
近頃よく本のタイトルで目にするようになったのが

先進治療でよく耳にすることがあるんだけど
陽子線ってなんだ??

ライフライン21がんの先進医療 1(2011 Mar.)―がん患者と家族に希望の光を与える情報誌 特集:重粒子線治療/陽子線治療">


健康オタク? いや 介護オタクかな?
 




母は この冬 インフルエンザにも風邪にならずに
頑張って生活している

ありがたい事です

なぜって? だって ほとんど同居している娘は
外出しており 夜遅くに帰宅するのだから
母は これまで同様 一人だ

時々 朝にあうと
「あれこれ 指図する」嫌な娘からも知れない(苦笑い)

そんな、初心者マークの娘は
ここ数日 母の介護サービスを再検討してみようと思いだした

いざと思うと 何からやったらいいのか?

何冊かの本を読むことにしようか?
 

それともネットからの情報か?

 近いうちに 整理しよう

そして、もう一つ 以前から SEの友達に
「欲しい」もの 生活で困っているものとして

「母」の健康管理できるデータ―ベース!

これは、本人 家族 医療関係者 介護関係者 その他
アクセス権限がある人が 入力したり検索できる
情報のデータを一元管理できないか?

タブレットがあるので そのタブレットを利用できないか?

遠距離で 家族の介護をする人が多くなるのではないかと思うのよね
そうすると 簡単に休日利用して帰ることできない
また、仕事だって簡単にやめることなどできない
私の場合は 周囲の理解があった

父の際は、正直色々な事と重なり 軽く「うつ」になっている

病院に父を連れて行くのは 別居している私と 主たる介護者の母
ドクターは 家に家にいる状況がどうか?と質問し
同居している 家族に同伴するようにいう
しかし。。家族でも色々だ 色々な家族があるわけで・・となる

そんなとき どうかな?
もちろん データが入っているから それでいい
まめにチェックしない そのデータがあるから
休日でも 会いにいかないなどの
リスクはあるかもしれない

でも、私は 情報の一元管理できるものが欲しい

今日の日経新聞で 介護と医療がクラウドで連携って記事有
これこれ!!!って 思ったな~

でも・・・この連携に 家族や本人が・・・

私は 介護を必要としている
ヒト そのすべての人が
一定条件で利用できるシステムが欲しいな

それから 病気になる前
介護が必要だとかとか 看護が必要だという前の
健康管理も できるといいな~


介護各社も差別化されるためには システム活用するみたいですね
これまで、介護関連業界では なかなかシステム化が進まなかったけど
これは あっという間に 紙ベースなくなるかな?

あの?お便り帳はいただけない
なんだか 母は「保育園」や「幼稚園」に行く人で
なんだか 健康な人間が高齢者に対し どうだろう??と
不思議な気分になる。。。

あの 記録管理に疑問を持っている私としては
クラウドで管理するっていう この流れ とても喜ぶな

 ジャパンケア
 ソラスト
 セントケア
 ケアサービス
 ウィズネット

いずれも 関東圏から使用開始みたいだから
このあたりで 使用が進むには まだ先か?

もう限界!! 認知症の家族を介護するときに読む本(第2版)/自由国民社
¥1,470
Amazon.co.jp
1週間ショートですごし 久しぶりに帰宅

ショートからのお手紙では 施設内を歩いたり
他の利用者さんと お話したりと
結構活動していた内容です

で。。久しぶりに帰宅して 訪問看護師さんから
血圧が少し高いといわれ
「しょげています」

でも しっかり ごはんは食べます

で・・・親戚が亡くなりました
田舎には 本家という存在があり
我が家は ある意味 本家であり
しかし 「別家」とも言われます(世間さまだと 分家?かな)

で・・・ その 本家のおばあさんが亡くなりました
父の従兄の奥さん
そうなると 母には その旨を伝えなければならいのですが

母は 亡くなるということに とても 過敏です
まだ 病気になる前には ショックで「数字」が
言えなくなったこともあります

そのため 優しきおばさん方は 伝える事がないといいます
で・・姉には 伝えてた方がいいと

私は、伝えた方が動きが楽になります
なぜなら 数日その本家に通うわけですから
そう・・伝えたいとは思います


姉のように 伝えたいと思いますが
今の母の状況で と思う事もあります

姉に 伝えた後には フォローをしてほしいと思うのです
私以外の人 娘は二人います
それぞれの役割りを お互いにしてほしいと思うのです

例えば ほんの少しでも 顔をだし
 様子を見て欲しいと思うし 気にかけて欲しと思うのです
日常のことは 判断しフォローします

でも このような 母にとって精神的な負担がある際には
「声」をかえける 「気に掛ける」という
行動を ほんの少し 手伝ってもらえたら 嬉しい

姉も 母がそのようなことにショックを受けやすいことは
知っています それでも 軽く?

「近所の亡くなった話は あれこれ 気を使わず
 話をしたらいいと いうけれど そのぶん フォローしてほしい」

しかし その後は 必ず
「嫁に行ってる」って いうのです

姉にとって 「嫁に行く」「嫁いだ」
それが とても 免罪符のようです

「家」が違うと・・・
嫁にいくというのは それほど 効力があるのでしょうか?
そして 嫁は 娘ではないのでしょうか

いや 「心配」:するとか 労わるとか その人の気持ちに
寄り添うとか それは 娘とか嫁とか 関係性が変わることで
変化するのでしょうか?

そもそもの そういう ことなのでしょうか

期待することは 欲求です
ですから その感情が満たされなければ
ショックです 不満が増加です

介護することで どんどん 期待することが 低次元のみに
なるようにかんじはじめてますな

ショートスティから帰宅したあとから
母もをきちんと使ってくれるようになった
新しい機材を使うことができるということは
認知症の症状は 多少なりゆっくりだということかな?

 ">加湿器 って 
機能ってっ て結構あるんだけど
 今は 簡単とタイマーかな?



 

 父が入院している病院から

 「インフルエンザの患者さんが1人出ました」

 電話なったのは 確か1月中旬


 先日 入院費の支払いをしに病院へ

 「インフルエンザは収束に向かっているのでしょうか?」

 と お尋ねしたところ

 「最初にかかった人は ほぼ完治 今は 新たにお二人が
 結果 まだ お見舞いを禁止しています」

 と 回答あり

 そうか・・・いくら 外部の見舞い患者を排除し遮断しても
 内部に関わる人は 外部と接触するわけで
 ましてや 喚起ができる空間でもない 密閉されている空間では
 一人感染するということは とても危険なリスクである

 確かに インフルエンザの予防接種もしているが
 あくまで 感染しにくいとか 感染しても重度化しないというものである

 先日 相談員さんから 父が 1月からだいぶ痩せたので
 転びやすくなった そのため 車いすを利用していると報告があった

 たしか 年末の30日には 自立歩行であったが
 ふらつきが多くなり 転ぶことや骨折などのリスクを考え
 車いすだという 車いすの身体拘束があるようだ

 介護療養病棟へ 移動できるかもと いう事もあったが
 インフルエンザや車いすでの自立困難では
 移動は 難しいと・・・・・・

 ドクターの判断で 病院としては その選択は
 最大の決断であり 父に対し 暖かい配慮であることだと
 信じたい

 そして 食欲は旺盛?とういうか ふつうであるようなので

 インフルエンザに感染しないように願うだけである


 自宅にいる母も ショートやディやら 集団生活がまっている
 手洗いやうがいのみならず 加湿を!というが
 なかなか 習慣にない 
 なんせ  隙間風だらけの家では
 加湿の必要性がなかったのだろうか?

 近頃 電気も必要としない加湿の方法があるようだが

 検討してみようか?
 
 どんなのあるかな?





 
母の介護をするため 同居して気づいたこと

 1対1で介護生活をすることは 危険かもということ

 介護される人 VS 介護される人

 そう!戦いになる

 この構図は 介護ノイローゼや 介護DVなどを
 発生させやすい 環境になるのではないかと思う

 家族がいても 手伝わない!というのもある
 結局一人で介護していた とか

でも、まったく 1対1とは状況が違うのではないか?

もちろん 介護を放棄する家族がいる状況も
 同様に 介護ノイローゼや 介護DVは発生するのだと思う

「介護」中心の生活では 希望がなくなるのか?

 我々は これから 介護される側になると
思うと 介護をきちんとしなければならいと思う気持ちが
介護を 義務で窮屈な閉塞感のあるものにしてしまうのではないか

母が父にしていた「介護」は 母が自分なら「こういう介護をしてほしい」と
いう 介護だったのではないかと思うことがある

しかし 現実に娘は その真逆の介護をしているように
思うと

涙がでるのではないか

介護は 1対1で行う危険
もう少し考えよう

でも 1対1にならざる得ない場合
どう 対応するといいんだろう・・・

介護される人
介護される人の気持ちに 寄り添う事は大事であると思うが
依存や強制は 介護者にとって 脅迫でありつねに緊張を強いる場合も
あるのではないか

寄り添う事 そう 周囲の人はいうかもしれない
しかし どう寄り添うか
どこまで寄り添うか

まだまだ これかである