認知症のお父ちゃんと パーキンソン症候群のおかあちゃん そして 末っ子の 未来日記 -5ページ目

認知症のお父ちゃんと パーキンソン症候群のおかあちゃん そして 末っ子の 未来日記

1997年父が認知症と診断、2012年母がパーキンソン症候群と診断されました。1997年老老介護がスタートし、東日本大震災直後、母が父の介護ができない状態になりました。そして、末っ子が 両親の主介護者となりました。

近頃、介護に関する話をすることが多くなった。 これまでは、あまり、介護について自分から話すことはしなかった 介護の話をすると、その「介護される人」 私の場合は「父」だったり「母」だったりするのだが それ以上に、家族や兄姉などの話をする必要があり 「介護ネタ」では、家族の脆弱な点を話すことになり 自分のプライドに・・・だったのかもしれない・・・ 愚痴というか「恨みつらみ」を口にするのが 嫌だったといえる・・・ が、ここにきて、どんどん身内の「不出来」な関係性を口にすることになる まあ・・自分自身の不出来も合わせてだ で・・・そうなると 実は、私の家でも うちの兄弟や姉妹も・・・と 介護の話で、家族がバラバラ?喧嘩が絶えないという 話になる・・・ あれれ??そうなのか? 我が家だけではないのか? いや・・うまくいっている家の話を聴くけれど それだけではないのか?? 特に、姉妹・・女性だけの場合が問題か? いや・・そうとも限らないのか? 子どものなかで 「主介護者」が誰かで 周囲のサポート体制も変わるのか??? 「昔からそうだ・・・あの子は・・・」となる 親が一人だけになると、「財産」の話がでる 健康であったころは 結婚して家をでた女子は、財産放棄が当たり前? でも、介護で、自分がかかわることが増えると 介護しているのだから 介護してあげたのだからと 「財産放棄」を 再度「放棄」することになるケースもあるようだ 同居している人がやらないから 親がかわいそうだからと 時々、自分の都合の良いときに 都合のいい時間だけ介護して 私は「介護」しましたと なる 24時間、同居している家族は、家の中に「私の実家である」といって ずかずかと あがりこんで、自分の家族の悪口を言われたら  たまったもんではないとなる 介護される「親」は、同居している人たちが 自分のことを まったく ケアしてくれないと 「泣きながら訴える」 時々遊びにくる「孫」は かわいそうだと 自分の両親に伝える・・・・ わぁ・・・・・・・ こりゃ・・・大変だな・・・・ 家族って ほんと 進化するんだな 男性は 客観的に判断できるから こんなトラブルにならないのか? いや・・そうとも限らないかな? 男性も お嫁さんの影響もあるのかな? 北条政子みたいに?? いずれにしても これは、難儀なことである 女性って 限定しているわけではない これから 2025年、団塊世代が介護を必要となると 多くの人が この介護という現実と 向き合わなければならないと言われている これまでは、育児や介護は「女性」の問題であったが 晩婚化・未婚化、女性の就労率増加など 女性の問題ではなく 社会全体の問題であり、経済への影響も大きいと言われている 男性も、奥さんに任せた、自分は働くとか 「仕事はやめれない」だから 転勤もある 転勤や責任がない仕事している「女性」が介護するべきだと 言ってられないのだ ちなみに、わが兄も 父が認知症になった時 転勤で、県外にいた 単身赴任中であったが、色々あったが 一度も父の病気について「病院に付き添うことはなかった」 そして「介護するために、俺に仕事やめろ!」というのか 「仕事やめて、実家に帰って、俺はどうだって生活するんだ」って 7年前のことだ・・ 今、仮に父が病気なっていたら また、違う選択ができたように思う それは、●●だったら・・と たらればである 自分たちは、すでに、この数年 介護という現実の中で なんとか 生活できてきた 母が、父の主介護者であったおかげで 私も、自分のことに集中することもできた 「もし・・・そう思う事は、色々ある」 でも。。。今、できることを 明日の為ではなく、今のために 今できることを しっかり やることだと 今日も自戒だ
母が、少しだけ、変化している 私との生活に慣れてきたのか? 私が母との生活に慣れてきたのか? 「挨拶」これ、基本!でも これまで、 「おはよう」「いってきます」「おかえりなさい」 これ とても ウザい・・・・ 話しかけないで・・・ って 私が思ってた・・・ だって 口を開けば、具合悪いだった・・・ 聴くのが嫌になった・・・ なんだろう・・・とても その言葉が 素直に受け入れられないのでした。。 そのうち 母は、私に話しかけるのをやめた・・・ で。。。先日 10日前に 私の精神状態がプツッて切れた・・・ で。。。壁をける 壁をたたく 床をどんどん 母に対し 言葉での攻撃を始めていた 母が、その場をはなれようとしても それを止めてまで 母をなじる・・・ 自分が 汚い言葉が次々と口を継いで出る 自分が おかしくなっている 母は、「私の言うとおりにする」 「私の機嫌がわるくならないようにする」と 私は、母をコントロールし支配しているのだと 自分の感情を最優先し 母の行動すべてを 私に合わせようとしている なぜ?って 私は、母や父のために 自分の生活を変えた 自分のやりたいことや大切な人と離れることになった でも。。他の家族は 私のことなど だれも 心配していない だれも 私の選択を支援してくれない 私は「孤独」であり ひとりぼっちだった ・・・自分が苦しくて仕方ない・・・ だから、その原因になっている 母に八つ当たりをしてもいいのだと・・・ 泣いて怒鳴って あばれた 40過ぎてからの反抗期だ 私の言われた事だけをすると  望んでいたのは・・母が 自分の身の回りのことを自分できる環境を整え 母が人として 穏やかに生活できることを望んでいただけなのに・・・ 私は、同居していることを 悔やんだ・・ その選択をしたことを 悔やんだ 前向きに 明るく 苦しいと思わずに 笑顔で乗り越える これは、両親が私にくれた試練であり そして 財産であると 思うようにしていたことが 自分を苦しめていた ひとりでできることなど 無いのだろ・・・ 母が、変わった 挨拶する 話の内容も、具合悪いことは 口にしなくなった ヘルパーの介護日誌に  「表情が明るい」と・・・ なんだか とても 嬉しくなった まだまだ。。。これから 色々なことがあるのだと思うが とにかく 一人ではないのだ とりあえず 「母」がいるのだから 認知症も多少進行しているように思うが 日常の努力をしている母が 変わろうとしているのだから 私も 頑張りどころなのかもしれない・・ 理想は理想であり 私と母の理想ではなく 私の理想が独り歩きしていたのだと 反省するとともに、今後どうしていくか 母と一緒に考え、そして 姉に相談にのってもらうことしよう ほどよい距離感を 保ちつつ その距離感を つかんでいこう
母が、6月から、かゆみを伴う水膨れを足にだした はじめは、ふとももあたりに 2つ? いっきにふくれ 激しいかゆみ 訪問看護のKさんも 虫刺されかしら?と 報告してくれた しばらくすると 水ぶくれがなくなり 赤いびらんに みずぶくれをかゆいからといって かきむしったようだ で・・・太もも以外に ひざしたや 体全体 脇の下 胸 肩 など 複数へ・・・ これは?? 近所の整形外科なのだが 皮膚科もみている病院へ 叔母に連れて行ってもらった 検査することもなく とりあえず、塗り薬 そして、ひどく「びらん」になっている ふとももに 包帯ぐるぐる・・ で・・・2日後 様子を確認すると ぐるぐる包帯の下に こまかな湿疹・・・ 赤いびらんと 水ぶくれ ここで、ようやく ただの湿疹ではないようだと 認識した わたし・・・ すでに、1個目の水ぶくれから1か月以上経過(苦笑) 天疱瘡?なる症状に似ている? で・・・・総合病院へ で・・・・新たな 水ぶくれが無いので 血液検査へ で・・・・1週間後   「水泡性天疱瘡」と診断され ステロイド(飲み薬&塗り薬)のダブル で・・・・・この天疱瘡は 「腫瘍」ができていることもあるため CT検査へ 首から腰にかけてのCT検査が 10日後 そして、先日 検査結果 現状では 「腫瘍がない」と ふう・・・一安心 ただ・・・首から腰だからな・・・ 新たな水疱もないので ステロイドは 1日6錠から5錠へ で・・・・・・・この、副作用かと思われる症状が   「高血圧」   「うつ症状」   「便秘」   「眼圧があがる」  で・・・・神経内科の担当の先生から  先生は、循環器(心臓&血圧検査していたので)の先生からの  コメントみて・・ 精神面からの血圧上昇かと・・  まずは、カウンセリングからスタート  Dr.「今、不安に思っている事はなんですか?」  母「自分の体のこと」  そこから、色々と母の言葉をしっかりと聞いてくれて  母も、安心したのか??  もろもろの、説明を受け・・  母も納得し 薬の増加はなし  本人の、頭が重い・・・は  脳みそたくさん入っている 頭を首が支えている  また 緊張性の頭痛であることから  「マッサージ」や「運動」が必要である  「手が震えるとか、パーキンソンでは、体が動かなくなると重度である」  「言葉が適切ではないかもしれないが、動けるということを 大切にしたほうがいい」・・  「夕方のドキドキは 体が動かなくなってくる時間帯に不安になり   血圧が上がる・・・」    もろもろを 30分程度時間をかけて説明してくれた  はじめて、姉も一緒に病院付き添いに行き  先生とのやり取りをきいて  「カウンセリングですね」と  そうですよ おねえちゃん  神経内科ですからね~ 問診が大事なんですよ  って・・・  先生も 姉が同席していることもありか?  いつも以上に丁寧だった(笑)  これは、とても 大事なことかもしれない  私だけがわかっていてもいけない母の症状  そして、私から説明していも 聴く耳をもたない姉に対し  客観的な先生からの説明や今の母の現状を知るということは  とても助かる  シングル介護では、ひとりで抱え込まない  とても大切だけど 抱え込む環境になる  家族や兄弟がいたとしても 「仕事」を理由に 介護を断る状況は  今もある   今回は、CT検査の結果があるので  一緒に行ったが しばらくは 無理なようだ  でも。。次は11月なら休みが取れるとか  そう、言ってもらえるだけで 好なのかもしれない  7月末から8月上旬に 私が「ブチ」っと切れていたことも  ステロイドからの副作用かと思えば・・・・  で。。。。私が少し 態度を変えたからか  全身で、反抗期にはしなかったことをしたからか  気持ちが少し軽くなったためか・・  母も変化している      朝に 「おはよう」を 自分からいうようになった   洗濯もしている   窓を開けている   冷房の当たりすぎは いけない   水分を取る など   食事はしっかりとる     などなど  それなりに 努力しているようだ    私の前で 運動してみせたり(笑) 先生が、言っていた、パーキンソンの治療方法は 日進月歩である 今年に入って 新薬もでている 注射もできた・・・ 難病であることで 治らないと不安に思う事もあるかもしれないけど 色々と治療に関する研究が進んでいる 体が動かなくならないように 今症状は安定?している 「ごめんなさい」を 口にする先生である 人柄なのか 受診の一言目は「お待たせしてすみません」 「1カ月ぶりですね どうですか」である  震災後、母は「体が動かなかった、寝返りもできず」  体が枯れ枝のようだった・・・  その状況が、きっと 重度な症状であったのだろう  その症状から 今は診断され 適切な薬のおかけだろう  自分で動くことができるのだ  あの時、あの症状を見落とさなかったら・・・そう思った震災直後  今回も、水ぶくれのことを 1か月放置している  母は、やはり 持病を持っている 治療が必要な介護や看護が  必要で 従来の既往症もあることから  小さな変化を見落としてはいけないのかもしれないと・・・  自分にゆとりがないと と 自戒である

  色々と あるんな~ ふう(笑)   
神経難病在宅療養ハンドブック―よりよい緩和ケア提供のために/著者不明
¥1,260
Amazon.co.jp
両親には子供が3人います そうです 私の兄弟ですが 兄と姉がいます 二人とも それぞれの家庭があります 以前はこの家も 多くのお盆帰省客を迎える家出した 父が7日兄弟の長男であり 祖母も健在のときは 盆や正月は 関東圏にいる親戚がこぞって帰って来たものです その時、私たち姉妹は ホストです 祖母と一緒に その叔母さんがたを接待するのです 一緒に談笑するのではなく 台所で料理をつくったり もてなす準備やら片づけやらです それは とても当たり前のことでした 兄も早く結婚し、子供に恵まれ 両親たちと同居 近所では有名な9人家族の時代もありました 夏になると兄の友達や甥たちのお友達家族とBBQするような とてもにぎやかな家族であったようです 私はそのころから実家に帰ることが少なくなっているので 親戚づきあいも疎遠になっていました 子どもの頃のトラウマともいえるのかもです そして、今 誰も立ち寄らない実家で 母との生活は 静かであり 家が広く感じます 母の入浴手伝いをしてから ひとりでパソコンの前にいること 誰にも話すことがない 今の気持ちをつらつらと 書くことで 自分の感情を「手離す」ことを 実践してみているのです 自分の心の整理に 書き綴っている そして 書くことで 自分の感情を 凹ましたり奮い立たせたりです 自己嫌悪になり 自己陶酔したり 自分を悲劇の主人公にしたり 私は 家族の犠牲者で 家族の幸せは私の犠牲の上で 成立しているのだと 自分が神のように感じては つぶされそうになる心を 辛うじて支えているのです でも、他の家族の幸せは 私のおかげではなく その家族の努力であり そして その家族にも 其々の悩みや苦しみを背負いながら 其々の位置で 得ている幸せなのだと思います 私は、自分が選択した今の状況を 理解してくれない 家族に対し 時に攻撃的にそして憐れむことで 救われているのです 誰かに怒りを直接ぶつけることができずに ブログに自分の感情を 手放しているのです それでも どうしても 解決できない感情のとき 壁やドアにそして 母に対し 攻撃的なことをしているのです 誰かに認めて欲しい 誰かに 助けて欲しい 誰かに 頑張っているね って たまには 一緒にご飯食べようって そして 笑顔になりたいと思っているのです 食事を一緒にと 望むのです 今も 母とわたしは食事時間が別・・・ 後でみなおしたら かなり 危険なないようかもしれない でも 今この感情を手放していないと とても 自分に自信がないのです これまでも 一人であることに慣れているのですが 孤独だと感じたことはあまりなかった でも今 母と一緒にいるのですが 孤独を感じるのです 書き連ねることで 手離すことができるのかもしれない でも  「話す」こと だれかに「聴いてもらう」こと この、誰かに自分を受け入れてもらうという関係性が 孤独である シングル介護者には 必要なような気がする なぜなら 私がそれを とても強く望んでいるから 介護は、孤独であり 残酷であり その先に 自己の老いがある 残酷な老後へのカウントダウンなのだろうか
そして  チャンクをほどき、自分の中の答えを、自分の言葉にすることで 気づき、 そして 目的をもって 前進するにつなげる これは、セルフでもできるが、誰かに聴いてもらうことで 気持ちの整理ができるということだ。