認知症と診断されてから 約8年経過している父
6年間は 母による自宅介護
そして、2年間は 病院や施設による生活
今の父は、絶食中
5月に肺炎になり、一時は「オレンジゼリー」食まで
快復していたのだが・・現在は絶食 そして 肺炎
高熱で朦朧としている時期が多少楽になったようだ
父に話しかける言葉は
自分が聴きたいこと
自分が 納得したい 自分の明日への活力ってことや
父が喜ぶのではないかと 思う内容・・・
ただ・・・父がどんな生き方をして どんなことを考えているのか
実際は ほとんど わかっていないのかもしれない・・
父が元気で、私が30歳になったとき
父は私に
「まだ、結婚しないのか~?」と聞いた
私は「まだ、しない・・とうか したくない・・・というか 相手がいない」と答えた
父は、笑いながら「まだ、しないのすか~」と高笑い
「まあ 結婚しない娘が一人ぐらいいても いいじゃん」と
父は、「いや~ 困ったね~」と 笑ってた
先日 父に聞いてみた
「お父さん、私 来年 結婚するよ」って
「お父さん、私 来年 結婚できるかな?」って
すると、目を開けて
満面笑み
「お父さん どうかな? 結婚できる?」
父の左手を握っていた私
その手を ぎゅーっと 力を入れて おもいっきり
握り返してくれた
そして
「あははは~」って 大きな声を上げて
笑いながら ぎゅーっと 握りしめてくれた
父の愛・・・・か
「お父さん 結婚式では 娘の花嫁姿みたら 泣いちゃうから
バスタオル 持っていかなきゃ・・ね」
父は 再び笑顔になり
そして 「うんうん」と うなずいてくれた
「お父さん この二人の会話・・誰も聞いてくれないね」
「お父さん あああ 動画 取っておけば よかった・・・」
お父さんのその 笑顔 取っておけばよかった
また 今度 同じようにたずねるよ
お父さん・・・
40歳過ぎた娘が 今だ独身であることを
父は 覚えているのだろうか・・
いや 心配していたのだろうか
父の 力強い その手から
結婚相手も 結婚する予定もないけれど
人に言わせると
「韓流ドラマだとか ホームドラマ」で
笑えるって 言われるかも知れないけれど
ほんと そうかもしれないけど
その辺にある 嘘くさい会話で 胡散臭い内容かもしれないけど
私にとっては すごく 大切な時間で
涙がぼろぼろと こぼれてくる でも
父が 笑っていてくれる
父が 思いっきり 暖かい力で握り返してくれるその
父の手を
私は 泣きながら それでも
笑って
「大丈夫かな 結婚できるかな
大丈夫だよね 私 結婚するよね~」って
そう 父に話しかけると
父の目にも涙が・・・
ほんと 笑えるほど 胡散臭いドラマのようだ・・・
今度は 父に 予想してもらおう
結婚相手は どんな 人か?
前回、父にあった時
父が苦しそうだった
旅支度を始めたのかもと
思えた
帰りの車の中で 運転しながら
大きな声で泣いた
危なく アクセルとブレーキ 車間距離 ・・危険な運転だった
自宅に戻っても とても さびしい時間だった
なんだか・・無性に 寂しさが増加して
涙が止まらなかった・・・
翌日は 案の定 目元が・・
不安だった・・・
でも、この日は
なんだか とても 安心した
今、できること 父にしてあげたいと思う事
自分が どうしたいか 自分がどうしてあげたいか
そうだな~ って 思えたからだろうか
兄や姉が どうだ・・というのではなく
私が どうしたいか・・
そう思えたからか
やることが 見えたように 少し気持ちが楽になった
不安や恐れは今もある
やっておかなければならないこともある
でも。。。時間が限られている中で できることも
限られるだろう
自分が 父を見送るとき
父のことを しっかり 見送れる自分でいたと思う
友達に その話をしたら
それは「自分のこころの中に、大切にしまっておけばいい」と言われた
あの 不思議な時間は もう一度同じことを
話しても できないのだと思う
生きていると もう一度って 思う事あるが
楽しいこと 嬉しいこと そして 辛く悲しいことも
「同じ」にって ことは ゼロだ
同じメンバーで同じ事柄だと思っても
それでも 時間やその人の気持ち 変化している
同じなど 再現することなどできない
この苦しみや悲しみが 永遠に続くことなどないのだ
今を生きるしかないのだ・・・
ただ・・・
父の力強い大きな手で、握ってもらってその時の
嬉しさは 安心感からくる 暖かい時間を ほんの少しだけ
感じた だから 今 頑張れる
そう思ったら 誰かに ほんとに ぎゅーっと ハグされたいと
ひとりじゃないって 背中に手を当ててもらえるだけでも
って ヒトのぬくもりが欲しいって 思えた
そう思ったら 母も同じなのかもしれない
誰かと つながっていたい
手をつないでほしい
背中をさすって欲しい
そうかもしれないな・・・
ふと 思い出した
父と母は 父が認知症になったころから
二人で 手を握ってあることが多くなった
二人とも 元気な時はそんなことなかった
でも、年老いて この人だけ・・って 思えたとき
手をつなぐことで 安心していたのかもしれない
思いやる気持ちの表現手段として 手を握っていたのかもしれない
感謝の気持ちと 励ましの気持ち・・・
つながる想いかな~
父から 母にこうやって手を握ってあげると
母の「わがまま」が少しだけ 収まることを父が教えてくれてのかもしれない
母との生活は 「初めて」ではない・・
母への期待と 自分自身の力不足からくる
「ズレ」が・・
これまで、母を苦しめ そして 自分も苦しい思いがあった
なんでなんでなんで・・・・
何度も何度も その「苛立ち」「怒り」をどう処理したらいいのか
ずーっと 今もだが。。悩まされている
ただ。。ほんの 少しだけ 言葉を変えて
その 少しだけ言葉を変える
選択する言葉を 変化する
言いたいことを 伝えるのではなく
言いたいことを 聞いてあげる
それは、自分も同様に 苛立ちや不安からくる脅威の時間ほど
だれかに 自分の「言葉」を発したい
聴いてほしい
自分の今に気づいてほしい
手を貸してほしいと・・・・
どんどん・・・言葉がでなくなると
・・・
話しかける・・・となんでも いいわけではないようだ(苦笑)
まずは、「おはよう」そうかな?(笑)
2日間の高熱から 肺炎
担当医から電話があった・・
血液検査で 肺炎で 数値が高い・・
出血もあるので「輸血」の選択があるが
拒絶して かえって 症状が悪化する場合もあると・・
本人の体に負担がないように
お医者さまや看護婦さん そして 介護スタッフさん・・
みなさん 今日はお話してました 今日は 怒ってます・・
色々な父の日常に 気を付けて頂いてる・・・
水枕 湯たんぽ 着替え 歯磨き たん吸引・・・
今の状態で 例えば 最後の数日を自宅で 家族や親戚 そして 友人たちに
見送ってもらうことがいいかと
父が 2年半前 入院生活に入るとき
この家で生活することが 最後だと
振り返ることもなく・・・家をでた父・・・
何かしてあげたいと思うのは 生きている人間のエゴかもしれない
「親孝行」だと 自分の感情のためにしている エゴかもしれない
しかし。。。人間は 後悔をする生き物であり
欲深いのである・・・と
そして。。。 後悔したことは 其の後生きる糧になるかどうか
それは 人それぞれになるのだろう・・・
自宅には、母がいるので 最後の看取りを自宅ですることは困難だろう
それでは・・・
父に 家に帰ったら 何がしたいかと 話しかけると
お酒が好きな父 タバコが好きな父・・
どちらもいらないと・・・
みんなで。。。食事をしたいと・・・
ご飯をかこみたいと・・・
それは、父が発した言葉ではない
父に私が話しかけた言葉に 父がうなづく
そうだ・・それは 私が父にしてあげたと思っている事だ
父は。。家族や親せき 親兄弟をとても大切にしていた
家族や親せきのために 色々なことをしていた
人が喜ぶことが好きで 楽しそうにしている人達を
お酒を飲みながら その輪のなかにいることを
楽しいと思っていた人だ
ふと そう思う事が多くなった
小さいときは 父がなぜ ヒトをたくさん家に呼んでは
賑やかにするのを 嫌ったこともある
なんせ・・人嫌いで人見知りだったから
酒席での 家事が嫌だった・・・
しかし。。。それから 数十年たって
自分が 人が集まり 笑顔にあっている 楽しいといってくれる
そのために 何かをしたい
もっと 楽しんでもらえたらと くつろいでもらえたらと
ふるまう・・
その 輪の中にいる自分が好きであることに気づいた・・・
DNAなのかもしれない・・・
父の名前は 「喜ぶ」という 文字が含まれている
自分が喜ぶのではない・・周囲の人が 喜んでいる姿をみることが
大好きだったのではないかと・・・
自分が楽しいというよりは
周囲が驚いたり 喜んだりする その姿を見ることが
父の エネルギーの元だったのではないかと
子ども時代に 夜9時ぐらいに電話が鳴った
「寿司」持って帰るから起きていろという 内容の短い電話
そして それから 2時間以上経過してから
千鳥足での「父の姿」満面笑みかとおもえば
いつもの「怒った表情」でお酒のにおい・・・
父は、既に寝ている末っ子もお越し・・・
母が 起きないと 叱られる・・・(笑)
そして 深夜に のりまきや にぎりを 食べるのだ・・・
兄姉末っ子で 正座して 「美味しい」と
父は 子供たちに どんな ときでも
「サプライズ」をしてくれてた
遠くへの旅行や 外食などは あまりなかったが・・
自宅で 家族のいる 場所で 食事をすることが
父の唯一の楽しみだったのではないかと
父の座っていた「茶の間の上座」今は 私がどかんと
座っているけど 他の人が座ると とても 居心地が悪い・・・
そう・・・そこは 「お父さんの座る場所」そう思える自分に
いまだ お父さん大好きな自分がいるのかもしれない・・・
すでに 父の言葉が 聞き取れないこともあるが
父の旅支度に 今 私ができることを 考えて
そして 自分が後悔しないように
父との時間を大切にしよう
そのためには、母との時間を大切にしないと
・・・母がすねると 私は両方だ~っと 怒りだしてしまうから・・・
もう おわり・・・諦めようと思う事もあるけれど
最期まで あきらめたくない
負けたくないと
いくら 準備してもだめだ
ひとりで抱えるなと 姉はアドバイスくれるけど
葬儀では。。。周囲が助けてくれると・・・
だから 今から一人で抱えるなと・・・
私は 葬儀のことなど ? あまり 考えていない
今 自分の気持ちを 時々抑えきれない
悲しみや怒りや不安を
姉と共有したいと・・・・
父との思い出を 語る中で 父との最後に
なにができるか・・相談したいと思うだけで
・・・そう・・・話をする相手が欲しい・・・
しかし。。姉は
自分には 仕事や家族がいる
父のことを優先しているわけにいかない・・
あなたみたいに・・・・と
私にもある しかし
私が 主介護者で 父や母を介護して看護するから
姉の生活があるのではないかと・・・
何をしてほしいと聞いてくれるが
「話し相手」と答えると
相談相手と答えると 実家に行く時間ないと・・・
電話でもいい・・メールでもいい・・・
愚痴を聞くのは嫌だと・・・・
物わかりのいい姉は 今は私のストレス要因だ・・
本人は そのことに 気づいているが無視だ・・・・
父が望んでいるかどうかわからない
父を思って 儀式に参加して頂く方々が
父の大好きだった空間を 作ってあげたい
今は どうしたら・・その
家族がみんな「笑顔」でいられるか・・・
父との 会話が
父の声が 話しかけると 答えてくれる
その時間がどれだか残されてるかわからない
どんなに ベストだと思っても 後悔は残るだろう・・
いくら 準備しても できない事もあるだろう
でも 準備もせず 最後に立ち会うよりは
できること してあげたいとおもうこと
負けたくない 自分の心の整理のためにも
父ののこさえた時間があるんだ
大切にしたいと思う・・
担当医から電話があった・・
血液検査で 肺炎で 数値が高い・・
出血もあるので「輸血」の選択があるが
拒絶して かえって 症状が悪化する場合もあると・・
本人の体に負担がないように
お医者さまや看護婦さん そして 介護スタッフさん・・
みなさん 今日はお話してました 今日は 怒ってます・・
色々な父の日常に 気を付けて頂いてる・・・
水枕 湯たんぽ 着替え 歯磨き たん吸引・・・
今の状態で 例えば 最後の数日を自宅で 家族や親戚 そして 友人たちに
見送ってもらうことがいいかと
父が 2年半前 入院生活に入るとき
この家で生活することが 最後だと
振り返ることもなく・・・家をでた父・・・
何かしてあげたいと思うのは 生きている人間のエゴかもしれない
「親孝行」だと 自分の感情のためにしている エゴかもしれない
しかし。。。人間は 後悔をする生き物であり
欲深いのである・・・と
そして。。。 後悔したことは 其の後生きる糧になるかどうか
それは 人それぞれになるのだろう・・・
自宅には、母がいるので 最後の看取りを自宅ですることは困難だろう
それでは・・・
父に 家に帰ったら 何がしたいかと 話しかけると
お酒が好きな父 タバコが好きな父・・
どちらもいらないと・・・
みんなで。。。食事をしたいと・・・
ご飯をかこみたいと・・・
それは、父が発した言葉ではない
父に私が話しかけた言葉に 父がうなづく
そうだ・・それは 私が父にしてあげたと思っている事だ
父は。。家族や親せき 親兄弟をとても大切にしていた
家族や親せきのために 色々なことをしていた
人が喜ぶことが好きで 楽しそうにしている人達を
お酒を飲みながら その輪のなかにいることを
楽しいと思っていた人だ
ふと そう思う事が多くなった
小さいときは 父がなぜ ヒトをたくさん家に呼んでは
賑やかにするのを 嫌ったこともある
なんせ・・人嫌いで人見知りだったから
酒席での 家事が嫌だった・・・
しかし。。。それから 数十年たって
自分が 人が集まり 笑顔にあっている 楽しいといってくれる
そのために 何かをしたい
もっと 楽しんでもらえたらと くつろいでもらえたらと
ふるまう・・
その 輪の中にいる自分が好きであることに気づいた・・・
DNAなのかもしれない・・・
父の名前は 「喜ぶ」という 文字が含まれている
自分が喜ぶのではない・・周囲の人が 喜んでいる姿をみることが
大好きだったのではないかと・・・
自分が楽しいというよりは
周囲が驚いたり 喜んだりする その姿を見ることが
父の エネルギーの元だったのではないかと
子ども時代に 夜9時ぐらいに電話が鳴った
「寿司」持って帰るから起きていろという 内容の短い電話
そして それから 2時間以上経過してから
千鳥足での「父の姿」満面笑みかとおもえば
いつもの「怒った表情」でお酒のにおい・・・
父は、既に寝ている末っ子もお越し・・・
母が 起きないと 叱られる・・・(笑)
そして 深夜に のりまきや にぎりを 食べるのだ・・・
兄姉末っ子で 正座して 「美味しい」と
父は 子供たちに どんな ときでも
「サプライズ」をしてくれてた
遠くへの旅行や 外食などは あまりなかったが・・
自宅で 家族のいる 場所で 食事をすることが
父の唯一の楽しみだったのではないかと
父の座っていた「茶の間の上座」今は 私がどかんと
座っているけど 他の人が座ると とても 居心地が悪い・・・
そう・・・そこは 「お父さんの座る場所」そう思える自分に
いまだ お父さん大好きな自分がいるのかもしれない・・・
すでに 父の言葉が 聞き取れないこともあるが
父の旅支度に 今 私ができることを 考えて
そして 自分が後悔しないように
父との時間を大切にしよう
そのためには、母との時間を大切にしないと
・・・母がすねると 私は両方だ~っと 怒りだしてしまうから・・・
もう おわり・・・諦めようと思う事もあるけれど
最期まで あきらめたくない
負けたくないと
いくら 準備してもだめだ
ひとりで抱えるなと 姉はアドバイスくれるけど
葬儀では。。。周囲が助けてくれると・・・
だから 今から一人で抱えるなと・・・
私は 葬儀のことなど ? あまり 考えていない
今 自分の気持ちを 時々抑えきれない
悲しみや怒りや不安を
姉と共有したいと・・・・
父との思い出を 語る中で 父との最後に
なにができるか・・相談したいと思うだけで
・・・そう・・・話をする相手が欲しい・・・
しかし。。姉は
自分には 仕事や家族がいる
父のことを優先しているわけにいかない・・
あなたみたいに・・・・と
私にもある しかし
私が 主介護者で 父や母を介護して看護するから
姉の生活があるのではないかと・・・
何をしてほしいと聞いてくれるが
「話し相手」と答えると
相談相手と答えると 実家に行く時間ないと・・・
電話でもいい・・メールでもいい・・・
愚痴を聞くのは嫌だと・・・・
物わかりのいい姉は 今は私のストレス要因だ・・
本人は そのことに 気づいているが無視だ・・・・
父が望んでいるかどうかわからない
父を思って 儀式に参加して頂く方々が
父の大好きだった空間を 作ってあげたい
今は どうしたら・・その
家族がみんな「笑顔」でいられるか・・・
父との 会話が
父の声が 話しかけると 答えてくれる
その時間がどれだか残されてるかわからない
どんなに ベストだと思っても 後悔は残るだろう・・
いくら 準備しても できない事もあるだろう
でも 準備もせず 最後に立ち会うよりは
できること してあげたいとおもうこと
負けたくない 自分の心の整理のためにも
父ののこさえた時間があるんだ
大切にしたいと思う・・
父である まさきさんが 認知症診断されたのは、今から7年前
父の認知症的な症状がでていたのは その数年前
物忘れ 怒りっぽい 自分の位置の確認がわからない
約束事を忘れる
症状としては 色々なものがあった
でも。。それは、「としだから」とか「怒りっぽいのは性格だから」で
家族は、気にすることもなかった
約束忘れて すっぽかされても
「なんで 忘れてたの?」って 怒っても
それが、認知症の初期だという認識までいかなかった・・・
それは、父の年齢が60代後半であったことだろう・・・
認知症の父の生活は、「痔」の手術 麻酔あけからスタートしている
父は 麻酔から覚めた時点で 「別人」だった・・・
そして、ほんと 記憶にないぐらい 色々なことがあった・・・
ほんと・・・・色々だ・・・
病院もいった 1か所 2か所 3か所 3か所目で
医者に切れた・・・
真新しい白衣で ピンクのネクタイをしていた 若い先生の
発言に 緊張や疲れからくる 感情に火が付いた・・
そして。。。帰りの車の中で 父を怒鳴っていた・・・
なんで・・・なんで このタイミィングで こんな状態なのかと・・・
怒涛の毎日だった
父親と同居していた「祖母」が 父の痔の手術予定日前に 救急車で病院へ搬送された
祖母は 胆石を我慢していたことから 大きな穴が開いていた・・・
そして 祖母も同時期に入院となり 3か月後 永眠した・・・
その後、父は精神科へ入院し そして 3か月後退院
母親による 自宅介護生活がスタートした・・
何度か検査入院などがあったが
なんとか 老々介護ができた
それは、同居した 他の家族がいたからできたのだと思う
同居している家族が 他にいる という だけで
母親は直接介護に携わることがない 家族が
頼りだったのだと 今だとわかる気がする
そして 同居している家族も
ときおり、暴れたり 暴言を吐いたり
どんどん 自分たちが知っている「祖父」ではなくなった
同居する父に。。不快や憐みなど
複雑な感情になったのではないかと・・
同居していた 孫は 思春期だった・・・
彼らの感情に対し 自分は 別居している 娘である家族の
私は 同居している 家族にいたわりの言葉をかけていただろうか
そして その 苦労に少しでも感謝の気持ちを表していただろうか
確かに 父の通院やそれから 治療に関することは
母の支援をしていたが でも それ以外
自分の生活を大切に 仕事があるのだからと
逃げ出しては・・
母に、介護に対する 仕方を 上からものを言っていたのではないかと・・・
姉が 今 私に対するその感情やその言動は
以前の私なのではないかと・・・・
姉は、以前から 父の介護には非協力的であったが・・・
輪廻というのもか
不思議なものだ・・・
その立場や その人の感情は あとから 考えたら
なんてことをしていたのか・・・
後悔する
そして 同居していた 家族に 感謝しなければならいと
バトンを渡されて バトンを渡した人間は
自分たちは 充分看たのだから
あとは あなたがあれと言わんばかりの 行動だと
思う事もある でも それは 私も思われていたのだろうと
同じでかない 同じ環境ではないとしても
父は、幸せかもしれない これだけの
家族に 囲まれ そして
父の旅支度が進んでいる
肺炎になった
血痰がでていたが 鉄分の点滴やらもろもろで・・
本人の負担にならないようにと
旅支度の時期のようだ
5月初旬に 肺炎になり
そして 9月 再度 肺炎である
今回はすでに約2か月 口から食事をしていない
体力がないのである
でも・・・・
それでも 父は 今も 私たちに
微笑みかけ そして 力強く 手を握り返してくる
お父さん 残りの時間を
どうしたらよいのか・・・
父の最期に・・
父の認知症的な症状がでていたのは その数年前
物忘れ 怒りっぽい 自分の位置の確認がわからない
約束事を忘れる
症状としては 色々なものがあった
でも。。それは、「としだから」とか「怒りっぽいのは性格だから」で
家族は、気にすることもなかった
約束忘れて すっぽかされても
「なんで 忘れてたの?」って 怒っても
それが、認知症の初期だという認識までいかなかった・・・
それは、父の年齢が60代後半であったことだろう・・・
認知症の父の生活は、「痔」の手術 麻酔あけからスタートしている
父は 麻酔から覚めた時点で 「別人」だった・・・
そして、ほんと 記憶にないぐらい 色々なことがあった・・・
ほんと・・・・色々だ・・・
病院もいった 1か所 2か所 3か所 3か所目で
医者に切れた・・・
真新しい白衣で ピンクのネクタイをしていた 若い先生の
発言に 緊張や疲れからくる 感情に火が付いた・・
そして。。。帰りの車の中で 父を怒鳴っていた・・・
なんで・・・なんで このタイミィングで こんな状態なのかと・・・
怒涛の毎日だった
父親と同居していた「祖母」が 父の痔の手術予定日前に 救急車で病院へ搬送された
祖母は 胆石を我慢していたことから 大きな穴が開いていた・・・
そして 祖母も同時期に入院となり 3か月後 永眠した・・・
その後、父は精神科へ入院し そして 3か月後退院
母親による 自宅介護生活がスタートした・・
何度か検査入院などがあったが
なんとか 老々介護ができた
それは、同居した 他の家族がいたからできたのだと思う
同居している家族が 他にいる という だけで
母親は直接介護に携わることがない 家族が
頼りだったのだと 今だとわかる気がする
そして 同居している家族も
ときおり、暴れたり 暴言を吐いたり
どんどん 自分たちが知っている「祖父」ではなくなった
同居する父に。。不快や憐みなど
複雑な感情になったのではないかと・・
同居していた 孫は 思春期だった・・・
彼らの感情に対し 自分は 別居している 娘である家族の
私は 同居している 家族にいたわりの言葉をかけていただろうか
そして その 苦労に少しでも感謝の気持ちを表していただろうか
確かに 父の通院やそれから 治療に関することは
母の支援をしていたが でも それ以外
自分の生活を大切に 仕事があるのだからと
逃げ出しては・・
母に、介護に対する 仕方を 上からものを言っていたのではないかと・・・
姉が 今 私に対するその感情やその言動は
以前の私なのではないかと・・・・
姉は、以前から 父の介護には非協力的であったが・・・
輪廻というのもか
不思議なものだ・・・
その立場や その人の感情は あとから 考えたら
なんてことをしていたのか・・・
後悔する
そして 同居していた 家族に 感謝しなければならいと
バトンを渡されて バトンを渡した人間は
自分たちは 充分看たのだから
あとは あなたがあれと言わんばかりの 行動だと
思う事もある でも それは 私も思われていたのだろうと
同じでかない 同じ環境ではないとしても
父は、幸せかもしれない これだけの
家族に 囲まれ そして
父の旅支度が進んでいる
肺炎になった
血痰がでていたが 鉄分の点滴やらもろもろで・・
本人の負担にならないようにと
旅支度の時期のようだ
5月初旬に 肺炎になり
そして 9月 再度 肺炎である
今回はすでに約2か月 口から食事をしていない
体力がないのである
でも・・・・
それでも 父は 今も 私たちに
微笑みかけ そして 力強く 手を握り返してくる
お父さん 残りの時間を
どうしたらよいのか・・・
父の最期に・・
ふと・・・テレビをみていると・・・
ああ。。。若いときの自分の行動と結果 そして その時の感情や言い訳・・・もろもろ・・を
思い出す
まあ・・・よかったこととか 楽しかったことよりは
今は どちらかというと やってはいけなかったことかな?
あの時 あんなことしなければ あの時 相手にどんな影響をあたえたのだろうとか
今 その人は どうなっているのか
あったら 謝りたいとか 謝るだけでは不十分なのかもしれないとか
謝るというのは 自分の感情が楽になるだけで
相手は、その過ちのため 心に傷がついて・・・
などなど・・・ふと これまで 出会った人
自分が「嫌なこと」をされたことは いつまでも 覚えていて
自分がしたことなど 思い出すことが少ない いや ほとんどない事も多い
でも 時々 テレビのドラマやニュースで・・・描写されている映像をみると
あれ・・・ずーっと 隠しておいた事を 思い出す
隠しておいた・・・忘れていた その行為に 思い出して恐ろしくなる・・・
ごめんなさい って いうことは できるか?
いや・・・できないかもしれない
自信ないな・・・
これまでも 私が悪いのではないとか 私だけが悪いのではないと
そう思う事もある・・・
今、なぜ このような「トラウマ」を 頻繁に思い出すのか?
時々 何度も 色々な 自分が失敗したことや 後悔しているが
ずーっと 気にしないようにしていたことなど
自分は いつも「完璧」であると
そう思って 封印していたことを 思い出すことは 苦しいことだった
なぜ?
それは、今 自分が また 同じように後悔するであろう
そう考えることができる 「行為」をしているからか?
例えば 母に対し 苛立ちをそのまま ぶつけるだけになることや
何かと言い訳しては、母への言動を変えることができない自分
例えば 泣きだす母 出かける私を引き留める母
自分のことだけで 娘のことなど全く気にしている様子もなく
私に 意地悪や なにか 嫌がらせをしているのか と 思ってしまう行為
泣きまねのような 歩くのをやめたり 食事を食べようとしなかったり
夜起きてきたり ・・・・・そう・・・あかちゃんや子どのように
でも・・・相手は 母で 子供ではない
高齢者の気持ちって・・・
若いころ 思い通りにいかない 理想と現実の間で
戸惑い 解決策が思うようにできなかったとき
自分の心のコントロールができなかったとき
その時の行為を 今 思い出すことがあるのだ・・・・・
あの時は その行為に 何も疑問もなく 仕方ないと
自分を正当化してたように思う
正当化しるつもりで なんで あんなことをしてしまったのか
ずーっと 気になっていたことなのかもしれない
今はどうか・・・どうだろう?
確かに、どんどん 母に対して 行動が危険になっていた
自分の感情の整理ができずに どんどん 酷い言葉を言っていた・・・
母は 自然と身に着けた シャッターを下ろす
押し黙ることで 私の感情がさらに増す
そして 皿を壊し 床を踏み鳴らす どんどんどんどん・・
エスカレートだ・・・・
最後は 壁に 自分の感情をぶつけるしかないのだった・・・
仕方がないって そう
色々 母にしてあげたい
母の病気が 少しでも 楽になるようにと
色々と考え行動しても 本人は そんなこと
関係ないという行動・・・・
4週間に1日 周期的に来る 自分の感情をコントロールするどころか
増長している 自分に苛立ち 「死にたい」と思う事もある
一緒よりは 自分だけ楽になりたいと・・・
自分だけ なんで こんな思いをするのだろうかと・・・
1対1って すごく 大変だな
自立できている場合は こんな楽や関係性はないが
どちらかが その自立した関係のバランスを崩したとき
どちらかに 負担や比重がかかる・・
負担をかけている人も 負担とかけられている人も
関係性が変化している事に 不安と恐怖
そして それは 時に攻撃や逃避となるのだろう・・・
チームや集団 って 人数が多くなればなるほど
課題やトラブル 多くなるかもしれない
でも その分 楽しさも多くなるのだろう
介護にしても 子育てにしても そのコミュニティの関係性が
円滑 ある程度の距離感がある関係性の場合
トラブルがあっても 小さいかもしれない
解決案も複数でて 選択していくことができるかもしれない
それが 2人というユニットになると これは 結構逃げ場なしで
お互いの感情を ぶつけ合うだけで解決策ではなく
命令になるのではないか・・・・
私はどうしたらいいのかな?
10代や20代では気づかなかった
そして 自分のことだけを考え できない自分に歯がゆさと
そして 相手に対しての欲求だけでいっぱいになった
今は 少しだけ 社会経験しそして 知識だけではない
智慧だって ついている
色々な 感情がある事に気づき そして 過去を後悔し
同じような事を繰り返さないようにしたいという
強い気持ちがあるのだ
年を重ねた 今の私
決して 「完璧」ではないけれど
成長している自分をまずは 認め
そして その気持ちで 相手の感情も
想像してみようと思う
トラウマは 確かに 自分の過去から 消すこともできない
「不愉快な」「迷惑な」「ずるい」「汚い」そんな 自分を思い出し
そして 過去が自分を責めては その過去から逃げ出したいと
逃げ出す事だけを考えてしまう
言い訳をしては 正当化して 周囲を巻き込む
トラウマって 厄介だな
自分の中の記憶って 面倒で危険だな
しかし 負けたくない
そんな 自分の過去に 負けたくない
その結果が 今ならば 後悔や懺悔が自分を苦しめている原因ならば
「今」や「こらから」する行為も
数年後の自分を「苦しめることも」「喜ばすことも」「楽しませることも」
「穏やかにすることも」できるのではないか
のりこえたい
その事実に目を背けるのではなく その事実を 事実だと受け止め
そして その過去の事実に対し 責任をとり そして のりこえよう
例えば、テレビをみて 映像をみて その時のことが フラッシュバックして
自分が苦しくなったり 未来 同じような事をしてしまうのではないかと
恐怖心がでるようになるかもしれないが
その気持ちが 長く続かないように
そして その気持ちに 押しつぶされて「死にたい」と 口にしないように
過去をしっかり 過去で 今をきっちんと 生きたい
時々 こんな 座椅子に座って のんびりと
縁側でお茶のみしたいな
そうだ・・・若いときの私の夢って
60代になったら・・・
高台にある 古い家の縁側で
庭から街並みをみながら のんびりと
お茶のみしていることだった
家族は 小さな子供たちが出入りするような
庭を駆け回る子供たちがいて
そして お茶のみにくる人たちがいる
あたたかい 陽だまりを 求めていたのだ・・・
思い通りになるには 無理な事もあるが
それでも 時々 息抜きしながら
自分の「夢」形にしたいな
ここ数日 かなり 「毒」を吐き出している
吐き出したことで
少しだけ 気持ちが整理されている
明日から9月 再スタートだ!
今日のこの雨のあと 青空と秋風が吹く季節になるのだろう
晴れやかな心で 空を見上げたい
ああ。。。若いときの自分の行動と結果 そして その時の感情や言い訳・・・もろもろ・・を
思い出す
まあ・・・よかったこととか 楽しかったことよりは
今は どちらかというと やってはいけなかったことかな?
あの時 あんなことしなければ あの時 相手にどんな影響をあたえたのだろうとか
今 その人は どうなっているのか
あったら 謝りたいとか 謝るだけでは不十分なのかもしれないとか
謝るというのは 自分の感情が楽になるだけで
相手は、その過ちのため 心に傷がついて・・・
などなど・・・ふと これまで 出会った人
自分が「嫌なこと」をされたことは いつまでも 覚えていて
自分がしたことなど 思い出すことが少ない いや ほとんどない事も多い
でも 時々 テレビのドラマやニュースで・・・描写されている映像をみると
あれ・・・ずーっと 隠しておいた事を 思い出す
隠しておいた・・・忘れていた その行為に 思い出して恐ろしくなる・・・
ごめんなさい って いうことは できるか?
いや・・・できないかもしれない
自信ないな・・・
これまでも 私が悪いのではないとか 私だけが悪いのではないと
そう思う事もある・・・
今、なぜ このような「トラウマ」を 頻繁に思い出すのか?
時々 何度も 色々な 自分が失敗したことや 後悔しているが
ずーっと 気にしないようにしていたことなど
自分は いつも「完璧」であると
そう思って 封印していたことを 思い出すことは 苦しいことだった
なぜ?
それは、今 自分が また 同じように後悔するであろう
そう考えることができる 「行為」をしているからか?
例えば 母に対し 苛立ちをそのまま ぶつけるだけになることや
何かと言い訳しては、母への言動を変えることができない自分
例えば 泣きだす母 出かける私を引き留める母
自分のことだけで 娘のことなど全く気にしている様子もなく
私に 意地悪や なにか 嫌がらせをしているのか と 思ってしまう行為
泣きまねのような 歩くのをやめたり 食事を食べようとしなかったり
夜起きてきたり ・・・・・そう・・・あかちゃんや子どのように
でも・・・相手は 母で 子供ではない
高齢者の気持ちって・・・
若いころ 思い通りにいかない 理想と現実の間で
戸惑い 解決策が思うようにできなかったとき
自分の心のコントロールができなかったとき
その時の行為を 今 思い出すことがあるのだ・・・・・
あの時は その行為に 何も疑問もなく 仕方ないと
自分を正当化してたように思う
正当化しるつもりで なんで あんなことをしてしまったのか
ずーっと 気になっていたことなのかもしれない
今はどうか・・・どうだろう?
確かに、どんどん 母に対して 行動が危険になっていた
自分の感情の整理ができずに どんどん 酷い言葉を言っていた・・・
母は 自然と身に着けた シャッターを下ろす
押し黙ることで 私の感情がさらに増す
そして 皿を壊し 床を踏み鳴らす どんどんどんどん・・
エスカレートだ・・・・
最後は 壁に 自分の感情をぶつけるしかないのだった・・・
仕方がないって そう
色々 母にしてあげたい
母の病気が 少しでも 楽になるようにと
色々と考え行動しても 本人は そんなこと
関係ないという行動・・・・
4週間に1日 周期的に来る 自分の感情をコントロールするどころか
増長している 自分に苛立ち 「死にたい」と思う事もある
一緒よりは 自分だけ楽になりたいと・・・
自分だけ なんで こんな思いをするのだろうかと・・・
1対1って すごく 大変だな
自立できている場合は こんな楽や関係性はないが
どちらかが その自立した関係のバランスを崩したとき
どちらかに 負担や比重がかかる・・
負担をかけている人も 負担とかけられている人も
関係性が変化している事に 不安と恐怖
そして それは 時に攻撃や逃避となるのだろう・・・
チームや集団 って 人数が多くなればなるほど
課題やトラブル 多くなるかもしれない
でも その分 楽しさも多くなるのだろう
介護にしても 子育てにしても そのコミュニティの関係性が
円滑 ある程度の距離感がある関係性の場合
トラブルがあっても 小さいかもしれない
解決案も複数でて 選択していくことができるかもしれない
それが 2人というユニットになると これは 結構逃げ場なしで
お互いの感情を ぶつけ合うだけで解決策ではなく
命令になるのではないか・・・・
私はどうしたらいいのかな?
10代や20代では気づかなかった
そして 自分のことだけを考え できない自分に歯がゆさと
そして 相手に対しての欲求だけでいっぱいになった
今は 少しだけ 社会経験しそして 知識だけではない
智慧だって ついている
色々な 感情がある事に気づき そして 過去を後悔し
同じような事を繰り返さないようにしたいという
強い気持ちがあるのだ
年を重ねた 今の私
決して 「完璧」ではないけれど
成長している自分をまずは 認め
そして その気持ちで 相手の感情も
想像してみようと思う
トラウマは 確かに 自分の過去から 消すこともできない
「不愉快な」「迷惑な」「ずるい」「汚い」そんな 自分を思い出し
そして 過去が自分を責めては その過去から逃げ出したいと
逃げ出す事だけを考えてしまう
言い訳をしては 正当化して 周囲を巻き込む
トラウマって 厄介だな
自分の中の記憶って 面倒で危険だな
しかし 負けたくない
そんな 自分の過去に 負けたくない
その結果が 今ならば 後悔や懺悔が自分を苦しめている原因ならば
「今」や「こらから」する行為も
数年後の自分を「苦しめることも」「喜ばすことも」「楽しませることも」
「穏やかにすることも」できるのではないか
のりこえたい
その事実に目を背けるのではなく その事実を 事実だと受け止め
そして その過去の事実に対し 責任をとり そして のりこえよう
例えば、テレビをみて 映像をみて その時のことが フラッシュバックして
自分が苦しくなったり 未来 同じような事をしてしまうのではないかと
恐怖心がでるようになるかもしれないが
その気持ちが 長く続かないように
そして その気持ちに 押しつぶされて「死にたい」と 口にしないように
過去をしっかり 過去で 今をきっちんと 生きたい
時々 こんな 座椅子に座って のんびりと
縁側でお茶のみしたいな
そうだ・・・若いときの私の夢って
60代になったら・・・
高台にある 古い家の縁側で
庭から街並みをみながら のんびりと
お茶のみしていることだった
家族は 小さな子供たちが出入りするような
庭を駆け回る子供たちがいて
そして お茶のみにくる人たちがいる
あたたかい 陽だまりを 求めていたのだ・・・
思い通りになるには 無理な事もあるが
それでも 時々 息抜きしながら
自分の「夢」形にしたいな
ここ数日 かなり 「毒」を吐き出している
吐き出したことで
少しだけ 気持ちが整理されている
明日から9月 再スタートだ!
今日のこの雨のあと 青空と秋風が吹く季節になるのだろう
晴れやかな心で 空を見上げたい
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