認知症のお父ちゃんと パーキンソン症候群のおかあちゃん そして 末っ子の 未来日記 -2ページ目

認知症のお父ちゃんと パーキンソン症候群のおかあちゃん そして 末っ子の 未来日記

1997年父が認知症と診断、2012年母がパーキンソン症候群と診断されました。1997年老老介護がスタートし、東日本大震災直後、母が父の介護ができない状態になりました。そして、末っ子が 両親の主介護者となりました。

5月に 美容室で髪を切り そして白髪を染めた

髪は もしかしたら、喪服をきることもあるので
短く、セットが必要ではない長さにと
その時は 美容室に行った

そして 8月美容室に行こう
9月 まずいな~ 美容室へ行かなきゃって

気持ちが 美容室へ行くことを促すのだが

結局、美容室へ行っていない髪は
まとめるにはとても中途半端な長さになっており
髪の艶もなく 貧相であった・・・

なぜか 美容室に行けなかった

時間はあったし
どこでも良かったはずなのだが
その 3時間程度の時間を
確保することができなかったのである

自分だけの時間 3時間
この3時間が どれだけ 自分にゆとりをもたらす効果があるか
知っていたはずだが・・
美容室に行かない髪は
今も伸ばし放題である

そして、ふと・・・先日から続いている
 集中力の欠如
 イライラ感
 焦燥感
 そして不安
 やる気が起きず
 体がだるいので
 いつまでも寝ていたい
 食事はなんでもいい
 なんでもいいから 食べる
 食べていないと 不安?
 何かしていたいという思いが強い
 でも 仕事や母の介護をしたいのではない・・
 
 眠りつく時間まで 時間がかからないのだから
まだ、うつではないと 自己診断しているが
 眠りが浅い・・朝起きても すっきりしない

 それは、夜中 何度も眠りから覚める
 体には湿疹だ・・・

 これは やっぱり おかしいなと

 ネットで簡単ストレスチェックなるものを
 実行してみた

「 ぐったり状態」という 診断(苦笑)


 そうか・・・ぐったりか・・・

 さて、このストレスで ぐったりしている 状態を どうしたら
 改善できるのか!

 まずは 深呼吸なのかな?

 それから 軽いストレッチ

 休息と休憩 外出したくなくなるけど
 とりあえず 1日1回は 外へ行こう

 一人でいる時間が長くなるが そう 誰かとすれ違うこと
 短いけど 会話すること
 心がけよう

 そうだ!
 美容室だ!

 化粧品もほとんど 使い切り 化粧することも放棄中

 他の人の変化で、女性が身だしなみを注意しなくなっている場合
 (以前はしていた人であるが)
 かなり、何か迷走している場合が多いって

 知っているのに 私がその該当者になっていた

 そうだ!美容室へ行こう

 髪をきれいにしてもらおう
 化粧品買ってこよう

 化粧しよう

 なんか おいしいもの食べたいな

 なんだろう どこか遠くへ出かけたい
 でも 今ある現実からの逃避か それとも
 明日への活力の為か

 まずは、身近な環境で 毎日少しだけ
 これまでの 自分の生活を取り戻そう
 それから 母親との生活を 見直そう

 彼女も 同様なのかもしれない

 彼女もストレスがたまり 自分ではどうしようもないぐらい
 体が動かないのだろう

 食べたいものも、行きたいところも
 これから やってみたいと思えることも
 無いということに 腹を立て苛立ちを持っていたが

 自分もそうなのだ

 そうだ・・一緒に 少しづつ 立ち直ろう

 ゆっくり 美味しいもの 食べたいと思うものを
 お腹いっぱい 笑顔で食べよう

 ①美容室へ行く
 ②外出しよう
 ③友人や家族と食事に出かけよう
 それができたら
 次は
 ④自分だけの小さな目標を作ろう
 ⑤母と一緒に小さな目標を作ろう
 
 きっと 笑顔でいる時間が増えるだろう

 
 

 
父が亡くなり 二七日 14日が過ぎた

母は 父の葬儀に参列するため ショートやディサービスを断り
自宅で父の葬儀までの時間を 私たちと一緒に過ごした

父が亡くなる前まで
家の中を歩くことができた
トイレもいけた
夜にも トイレにいくため 起き上がりができた
朝ごはんは自分で食べるために 台所まで起きてきて
電子レンジで チンもできた

薬も自分で管理できた

・・・初七日が過ぎ
母がショートへ行った
3泊4日で 土曜日に戻り
月曜日は 父のために焼香に来る親戚と一緒に昼食をとった

そのあと
母の介護認定に認定員がやってきた
ケアマネが来た

そして・・・その一連のあと

悪夢が始まった・・・・

母がまったく 動かない
ご飯だと 声をかけても 動き出すことがない
目を開けない
声に反応しない

・・・・・・そう・・・2週間前 その姿を
父の姿を思い出すことはなかったのだが・・・


エスカレートした
彼女に対する 言動が激しくなった

声をかけても 何を言っても答えが無い母に
憤りを感じた

声をかけることをやめて放棄していた

・・・・・・

部屋には排尿した臭いが充満していた

・・・

母は 死んでしまいたい・・・と

死んでしまいたいと・・・小さな声で 

死んでしまいたいという 母に
本当に そうしてあげたくなった
母と一緒に 死んでしまいたくなった

死と向き合うこと

母に
「死にたいと思う場所まで連れて行く、その後自分は警察に行く」
「私は パーキンソン症の母を動けない母を そのまま放置してきたと
 警察に行くのだ 娘は 犯罪を犯すだろう」
「あなたは、死を望むけれど 一人では無理である
そのため 私が手をかすことで 自殺ほう助である
 あなたは 娘が 犯罪者になること・・望むか」と
母に質問していた

驚くほど 淡々と
驚くほど 静かに

そして 自分の頬に 涙が流れてた

・・・

翌日、母は 寝たまま排便していた

朝の第一声は 「ごめんなさい」だった

パーキンソン症と 類天疱瘡 そして 配偶者である父の死
自分のことだけを 話す母に 苛立ちが最大限になっていた
私は 父のことも 私のことも 気にかけない
母のことが とても 不愉快だった
自分のことだけで いっぱいいっぱいだと
彼女を責めた 結果だ・・・・・


そして、体重を計った時点で 驚いた
体重が
減少している 33キロである
彼女は 彼女なりの父との別れを 悲しみそして
娘である 私に これ以上 迷惑をかけないように
生きようとしていたのかもしれない

不思議な気分だった

できるだけ 介護によるバーンアウトを経験したくないと思い
母との介護は 距離をもとうとしていたが
バーンアウトというよりは 放棄だったかもしれない

仕事ができない すべての予定が白紙になったことを
母のせいにしていた・・
そして 母の存在を無視していたのかもしれない

会社に所属していたら 介護休暇を3か月申請して
休んでいるかもしれない
そうなんだ フリーランスで仕事をしているので
自分が動かない事には 収入が減少するだけ
生活に不安があり 自分のキャリアの中断に戸惑う

それは 母のせいではなく
私の キャリアへの不安だと

両親への時間を優先するため 仕事をセイブしているうちに
どんどん 自分の仕事がなくなっていくのではないかという不安に

イライラして そして どうしても 仕事に集中できないことを
周囲の人へ
特に 私よりも 弱者へ と 苛立ちをぶつけていたのだろう

カウンセリングを受けたいと
そう思っても 自分が母にしてしまったことを
誰かに伝えることができず
・・セルフカウンセリングの限界を感じ

ふと・・・手にしたものが

四十九日のレシピ【DVD】/TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
¥7,980
Amazon.co.jp

以前 テレビで放送してたドラマだった
今 もう一度見てみたいと思える
ドラマだったな・・・

母の症状は 私の思いも強く影響を与えているのだと
そして 母の症状が 私にも 悪影響を与えた
負のスパイラルなのだと
そう思えた 一度 切れたものが
まだ 最後まで 切れていないのかもしれない

そして 母をコントロールしようと思っていた自分の限界を知り
時間がかかるかもしれないが
自分の気持ちを 少しだけ 変えようと 思えた
認知症発症から10年
認知症と診断されて8年
在宅介護 母親の老々介護期間 6年
震災&母のパーキンソン症の重度化により 入院期間通算2年3か月

肺炎により 2013年9月父が永眠しました

肺炎になって 先生から 父の誕生日まで持つかどうかといわれ
まだ、父が会いたいと思っている人に会っていないので
会わせたいと 伝え 

で・・・意識がある時点で 家族に会う事ができた父の最期は

台風一過の 秋晴れの夜
十五夜&満月には 少し早いけれど
雲がない きれいな夜空のもと
この空間での 役割を終えたように
とても 穏やかな表情でした

ほんの 数時間前まで
6時間前には 病院内での誕生日と敬老をお祝いする会が開催され、
サックスの生演奏が聞こえる中
少し早いお誕生日を スタッフの方々にお祝いしてもらい
お誕生日の写真も撮ってもらったり
・・・・・
声に反応したり 音に反応していたのですが
姉と甥の3人で最期に立ち会い・・
自宅まで 1時間半かけて 夜中のドライブをして
ドライブ中のラジオから聞こえてくる音楽は
 ジェットストリーム・・・

帰宅・・ 
父が亡くなり そして 偶然ですが 父の葬儀告別式が父の76歳のお誕生日

不思議な時間がたち 父が亡くなってから1か月が過ぎ

9月に入り 父の容態が悪化してから
自分自身が何をしていたのか 記憶に残っていない・・

とりあえず 父にできることを そう思って 父優先にしてきた

母のことは後回しにしていたツケでしょうか

気づけば 母の体重が 33キロ 記憶では35キロまで確認していたのですが
40キロを過ぎた今年春から どんどん 体重が減少しているのです・・・

父のため 最後に父のためと ・・
しかし 今は 父が 望んでいるであろう
介護してれた 母のこれからを しっかり 介護すること

それが 父が安心してくれることなのではないかと

三七日が過ぎ、これまでの疲れがピークになった日
母に対し 酷いことをした
数日とても 気持ちが落ち込んだのだが
ふっと 意識を変えることで 自分が楽になることを学んだ

命に対し そして 今をどう生きるか

まだまだ 不十分であるけれど

ゆっくりであるけれど

今を大切に生きると 決めた


父の病院でのこと

 あまり、会ったことがない看護師さんから

 注意された

 父は、一所懸命生きる事をしている
 だから 父の前で 命が終わるという 内容のことを 話してほしくないと

 看護婦さんに注意された

きっかけは、父が39度以上の熱を昨日からだし
再び、カテーテルが入り 機材がベットの周りについていた

父の状況は、この1週間でだいぶ変化している

父の容態を確認しなければと思い
明日、担当医に会う約束をした

その会話の延長で、どんな様子か聞いたのだ

父の誕生日が今月くる 76歳である
今月は敬老のお祝いもある

だから、その敬老の祝いや誕生日をお祝いしようと
父に話しかけていた
まだ、その祝いに 呼びたい人に連絡がとれていないので
もう少し時間をくれと 
会いたい人に 会う事が出来ていない父に
なんとか 来てもらえるように 連絡するから
待っていてほしいと

既に8年間の闘病をしていて
父は病気と闘ってきた
もう少し頑張れって もう言ってはいけないように感じることある
もう少し頑張って っていうのは 自分のエゴのように感じるからだ

誰の為でもなく お父さんの命 お父さんの最後は
私たちが 自分たちの都合で 引き延ばすことがいいのか・・

でも 頑張ってきた父だから
父にしてあげたいとおもうこと

みんなに 会わせてあげたい

だから・・・

注意された

注意されている時 父の手を握っていたら
父の手に 力が入った

黙って聞きなさいというのか・・・
我慢しなさいというのか・・・

そうそう 私はもう少し 頑張るから
焦るなってことか

時間がないから 早く 会わせたいと思わせる人を
呼んで来いというのか・・・

その後 父の意識が朦朧となっていった・・・

お父さん 人が喜ぶことが大好きなお父さん
争う事が嫌いなお父さん

看護師さんに 小さな目標を毎回二人で作って
のりこえているのだと 伝えた

あまりに 先の話だけでは 頑張れないと思うので・・・
小さな頑張りをお互いの励みにしているのだと・・・

あまり 先の話は 既に 前回している
結婚式には 涙もろい父が泣いても大丈夫なように
バスタオル持って 結婚式に出席することを
約束している

看護師さんたちが 父に対し
とても 強い思いで 看護してくれていることを
嬉しく思う
自宅の片づけをしている

父が帰って来たら キレイなほうがいいだろう・・・

父をきれいな部屋で空間で迎えてあげたいと

あちこちを掃除していると
昔の写真が・・カメラが 

父はカメラが好きで 写真がある
カメラを取る側の父の姿が映っている写真は少ない
撮影者だから・・

写真を見ていると 父の姿がその手前にある

写真には 様々な人が写っている

その写真は 父の生きた証で 父が残した家族

あまり 話をする父ではないが
いつも その座の中心にいた父

自分の知らない父 自分の記憶にある元気な父

どうしても 病気になった父の姿が残っているが
写真には 若く元気な父の勢いを感じることができる

父がいて 母がいて そして 今家族がいる

バラバラになっている 家族だが
でも・・・

ついつい 今は「嫌」な思いが先行することが多かったが
写真をみて 家の片づけをしていたら・・・

いいことも いやなことも
なんで・・・こうしていなかったのか
こうしていたら・・・と 思う事も含め

この家の この家の家族の歴史だ

時間や時代が少し違っていたら
結婚する相手が違っていたら
こんなつらい思いをしなくてもよかったのに・・・と
そう思うことあるが

でも。。。今はつらいことだけが優先されているが

写真には 暖かい時間や 家族が幸せだったと思える時代が
あったことを 教えてくれる

お互いを思いやってることができている

いいことも 悪いことも それは 生きた証で
これからも つながるという 大切な事柄なのだろう