認知症のお父ちゃんと パーキンソン症候群のおかあちゃん そして 末っ子の 未来日記 -10ページ目

認知症のお父ちゃんと パーキンソン症候群のおかあちゃん そして 末っ子の 未来日記

1997年父が認知症と診断、2012年母がパーキンソン症候群と診断されました。1997年老老介護がスタートし、東日本大震災直後、母が父の介護ができない状態になりました。そして、末っ子が 両親の主介護者となりました。


 自分の病気と体調・・・・
  命に別状があるわけではない
  つきあうことだ・・
 
 不安になることが多い

 母との20年ぶりの同居からくるストレス


 今まで 別居してきたから 仕方がない

 お互いに別々の価値観で生活してきたのだから

 これまで 一人で自由にしてきたのだから
 親と同居するのは「あたりまえ」
 親孝行・・親がいなくなったらできない
 「親孝行」をしておけという あたりまえの
 年長者ならではひとことに

 これだけ 不愉快になる・・・

 自分が得意だったり
 自分の「気持ちの支え」になっていたことを
 奪われた感が大きい現状に
 打ちのめされる


 これまで 人生の選択を後悔したことはない

 選択がいつもBESTでなかったけれど
 その後にくる Happyなことが 支えで選択してきた

 しかし

 今 自分が選択したことを 後悔することが多い


 更年期かな?

 泣きたくなる イライラする 怒りっぽい
 言葉が支離滅裂 喜怒哀楽 「楽」以外が 畳み掛けてくる
 体がだるい 朝が起きられない 右足がツル
 トイレに行くのが憂鬱 食事が楽しくない
 瞼が重い・・・

 
 




 ショートから戻って 誰もいないと・・・

 近所の叔母さんに電話した母

 母が戻る前にと思い
 炊飯器のタイマーセットをして 夕飯の下準備をしてから
 「灯油」を買いに出かけて戻ると・・・

 帰宅した母は 誰もいないと
 電話をしたようだ

 近所の叔母さんは
  「ごはん&おかず」を持参して
 自転車でかけつけて ご飯を出してくれているところで

 私が帰宅


 ・・・・お礼を伝え、見送る私に

 叔母は

 「親孝行しなさい」と・・・・

 周囲の人たちの 励ましたの言葉に

  今の私は「そうだね」と素直に受け入れることができず

 その後 ひどく落ち込む

 そして 最悪である

 ひどい言葉を 口から次々でる


 そう・・・その 周囲の言葉が

 私のDVのスイッチになる


 ・

 兄姉は

  末っ子にとって とても 厄介な存在です



  自分たちは 兄・姉ということで 身しみついている

  上からの言動


 2カ月ぶり お正月に実家に顔を出した 姉の第一声
 「この家 暗い」

 そう・・この1か月で 実家の暖房効果をUPさせるために
 外からの光を我慢した処置・・・引き戸をつけたので
 玄関先が暗くなった

 その分 玄関にお花を飾ってと思ったのですが・・・


 久しぶりに 実家にきた 姉の一言・・・・


 そして お正月に来て 15分程度の滞在・・・・


 その後・・・悔しくて 大声出しながら 窓前回で
 掃除機をかけた


 吐き出した言葉を 掃除機に吸ってもらった


 
  
母の状況は 日にちのみならず、時間帯でも変化する。

先日病院へ付き添い、診察終了で むかえの車を待つ間
5分程度で 母の状況は変化した。

なぜ??

 状況:母・・・会計終了後 迎えの車がくるまで、風が強い外のベンチに座る
         動きはスムーズ 手にはコルセット(トイレに入ったと外していたようだ)
         髪がたが変化するぐらいの風の強さ 前日インフルエンザの予防接種済み
     私・・・風があたらない中でまつことを薦めた私
         初めにコルセットが重いという訴え有
         バックにしまうようにバックを差し出す
         重い?といいながらバックにしまう
         
 こんな やり取りの後 彼女の状況(機嫌?性格?症状?)は変化していた。

 振り返り・・・

   母・・・・車に乗り降りしたりするのが大変
       通院に付き添ってもらっている
       診察までの待ち時間から会計まで 時間はすでに2時間経過
       昼食時間でもある
       付き添ってもらった人に対する 申し訳なさ
       できるだけ 自分で使用と思う
       できるだけ 自分で判断し 良かれと思っていることをしている
       他者をおもいやる気持ちと・・・・

       動きは決してスムーズではない
       待っている間の椅子は 自分の体を包み込むタイプではない
       首から背中、腰に掛けて 負担が多いはず

       娘に言っても 何も理解してもらえない
      
       娘に努力していること 我慢していることを理解してほしいが
       娘は あたり前で 更なる努力を求める・・・・

 娘は気づいていない

  パーキンソン病とうつ病の合併症を・・理解していないのだった。。

  パーキンソン病による 身体の病状と うつ病の症状

  母は母なりの「頑張り」「努力」を行っているんだ

 病気になり、自宅に戻ってからの母の口癖は
  「頑張っている」だった
 そして 娘は
  「もっと 頑張りなさい」って
 頑張っている現状を理解せず これまでできていたことを
 スムーズにできずようになるまで 「頑張りなさい」と
 病気だからと思わず 努力しなさいって
 それは、自分のことが自分でできるまで 回復したら
 自分自身が自信を持つことができ
 そして なによりも 楽しい時間を過ごすことができるだろうと

 なによりも 自分の考えを押し付けている娘

 うつ状態をかんがえてみれば
 まずは 頑張っている母に 頑張っていることを
 認める言葉が必要なのだろう

 彼女なりの頑張りを 娘は認めることが
 娘が母に対し 生活を楽しんでいたころの母を理想とする
 復活を望み コントロールしていた

 他者をコントロールするなど不可能であるが、
 それでもコントロールし、母の笑顔を見たいのであれば
 まずは 敬意を払う事だと

 そして 頑張っている姿に 優しい言葉をかけてあげる事なのだと感じた。。。


 しかし これは 葛藤があり 簡単にできないのである

  パーキンソン病と合併症について もう少し勉強する必要があるようだ
実家に戻り 期間限定での 
母との生活が11月2日からスタートした

一緒に生活をしていた期間28年間 別々に生活していた18年
となると・・私の年齢が・・・

成人してから 別々の家族を持ち
別々の時間を過ごしていた2人

知っているようで知らない 母の行動パターン
思わず?「????」ってなることもあり、ありすぎ!

そうだよね~ そうなんだよね

もう別人と思うしかないんだよね

彼女は 彼女の人生を生き 今 また 縁あって 娘である
末っ子と同居 

末っ子である 私は 同居するが 介護するという気持ちが 薄い?
あまり 頑張らないようにと思っているので
これまで通り ディサービスやヘルパーさん 訪問看護やらを
継続中 ショートもいくぞ~

はじめから頑張らない!

私の生活と母の生活 同じ屋根の下に住むことに下が
あくまで「シェア」だ! ハウスシェアだ!

私は私の時間を過ごす これまで通り
前職「ゲストハウスの管理人」
掃除したり 住人のケアしたり イベント企画したり
見学者案内したり 契約書作成したり・・・・

うむうむ・・・今までと変わりない生活ではないか・・・
もはや・・・これまでと同じということは

 ここにも 見学者がきて
 そして「シェア」する「仲間」がくるのか???

茶の間のソファに寝転んで天井を見ていた時
ゲストハウスの管理人になって 住人がまだいなかった頃
リビングで寝ていたことを思い出した(笑)
(リビングで寝るな~って 言っていたが。。。笑)

あの広い建物に 今は30名近い人たちが生活している
そうだ ここにも 新しい住人がきっと来るんではないか???

寝坊した母は ディサービスのお迎えが来てから
バタバタしてから出かけたようだ
娘である私は 朝寝坊なので 声をかけられても
布団からでず・・・
1時間後?母は出かけていた

帰宅したとき 玄関から
「ただいま~」って
何度も言っている声が聞こえた
部屋でPCに向かっていた娘は 無言で返事せず

すると
部屋まできて 扉をあけて
「ただいま~」って

だよね~

これまで一人だったんだから
「ただいま~」って いっても 誰も言ってくれなかったんだからな~
「ただいま~」には「おかえり~」って 言わなきゃね~

そうだよね~ 前日に
親子喧嘩や夫婦喧嘩していても
翌朝は かならず
「いってらっしゃい」と いいなさい!て
そう教えてくれたのは 母だった

そう・・・もし 何かあったら
後悔する 深い後悔が 自分を苦しめる?
「いってらっしゃい」 「いってきます」
そして
「ただいま」「おかえり」

それは どんなときにも 必要なコミュニケーションの
基本なのだと 教えてくれたから

ゲストハウスでも 実行していたのだと・・・・・・

変わっていくこと 変わらない事 そして
再確認する日々がスタートしたのだね