素晴らしい人と付き合ってきました。

それは確信的なんだけど、まぁひどい別ればかり。

3年前に付き合ってたイカつい大学の先輩Shoさんは、
私が思い起こす中唯一のカッチョ良い男、私の初恋の相手、そして、今になって、サイテーな男であります。

「大事な彼女がいるし、萌とは過去もあるから友達のままでもいない方がいいと思う。」

遠距離で別れるまで、毎日予定もなくあって、
何もしなくても楽しくて、
今では思い出せないどうでもいい様な事でげらげら笑いあった親友の様な恋人。唯一無二の存在。

別れの日は、私の門限ギリギリまでシュールなくらい泣きながらセックスして、
本気で、この人の子供が出来たらいいのにって思ってた。
一心不乱に恋してました。
場所も時も選ばずに、ただお互いだけを見ていた真冬の月の大きい1ヶ月。とても幸せだった。

新たなスタート、新たな人生を送ってねと、別れた後も現在に至迄思いついた時に連絡はとっていた。

「仕事はどう?」「天気は?」「新しい生活慣れた?」「学校は相変わらず?」「最近の映画で面白かったのは?」「英語忘れてない?」
他愛もない3分間程の会話。
永遠と続く、facebookの “poke”
彼の誕生日に、彼は
「生まれてきてくれてありがとう」
って恥ずかしい事言ってた。
私は、本当にこの人と出会えて良かったと思った。


ほんの数日前、年末にfacebookのウォールでちょこちょこやり取りをして、
また馬鹿みたいに笑って、過去の無邪気な遊びを思い出してた。
前と何ら変わりのない、愛おしい親友。

彼以外の昔の恋人とは、今は一切連絡をとっていない。
だから、まさか彼に限って、「大事な彼女がいるし、萌とは過去もあるから友達のままでもいない方がいいと思う。」ってメッセージ送ってくるなんて、



「はぁ!?」


って感じだよ!

この理想の関係を崩すだなんて、予想だにしなかった。
ショックだった。やけ食いしてやるゥ!のショックじゃなくて、食べ物がノドを通らなくなる方のショック。意気消沈。

ガハガハ豪快に笑う傍ら、恋人には忠実な人だったんだ。
真剣に守ってるんだ・・

もしかすると私にもそうだったのかもしれない。
もしそれを知っていたら、別れた後の切なさに堪えられる自信がなくて、付き合ってなかったかもしれない。

過去を引きずる必要は、勿論ないと思う。
そしてそれをなかったことの様にする必要性もまた、全くもってないと思う。

この3年間の友情は、決して恋とかではなく、
安否を確認し合う家族の様な、
意識しあうライバルの様な、
たまーに思い出した時に連絡とるくらいの軽くて思いやりのある関係だったのになぁ。
私達を繋ぐ薄い薄い線を絶やさないようにしてたと思ってたんだけどなぁ。

出会いを「出会い」と確証し、私達の関係性をリレーションステータスで表していたfacebookも、今やボタン一つで「友達解除」

あぁ物騒!

私のキロクが誰かの中からなくなるとしたら、それは寂しい。
大事な人ならなおさら。

「付き合う」の定義は人によってばらばらだし、「付き合った後の付き合い方」もまたばらばらなので、
次からはちゃぁんと確認したいと思います。(完)

 

本当のイノベーションがなくなってきている。




あきおさんの記事読んでも思ったけど、

デジタルサービスはどれも似たりよったり、少し形を変えて新しいものがぽんぽん出てきてる。


my365を誰かがイノベーションだと言った。あのサービスが出て、ヒットした事に関しては確かにイノベーションだったのかもしれない。使い勝手も良いし、勿論制作者の方々には敬意をもっています、持ってますよ!でも、今迄も「ソーシャルカメラアプリ」は数多くあって、少なからずその中のサービスでは他より「早く」リリース/プロモーションできて、埋もれてく類似サービスより「見える」位置にあったというのは大きいのかななんて、思ってしまったのです。それか、もしかするとヒットの理由はシンプルに「偶然」だったのかもしれない。良い商品で、無料で使えて、多くの人が手に取った。そのストーリーは果たしてイノベーションだったのか。一つ言えるのは、この商品はリプレイスできるものだったのかもということ。


それでいうと、きゃりーぱみゅぱみゅもそうかもしれない。


勿論彼女は素敵でかわいい女の子だが、

「原宿でロリ系の服を来て変顔ができて声が高い子」

は、いくらでもいるような気がする。

きゃりーじゃなくて、そのunknownB子が仮にきゃりーより前に発掘されていたら、脚光は間違いなくB子に向いていただろう。


その状況って、映画や料理の現状に似てる。

かつてはNEWだと言われていたものも、その文脈は今でいうNEWと全く違う。

 

いつの日か色褪せて、方々で真似されて、喰い散らかされる。


一方、真似されたものは真似したものでしかなくて、そこからNEWは中々産まれない。

似たものは星の数ほどうまれてるんだけど・・。

 

予告だけで内容の分かる映画。

見ただけで味の分かる料理。

使い古したゲーム。

先の読めるラブシーン。

手の施されて申し分のないサービス。

 

それらがオリジナリティをうたったところで、もうアイディアは出尽くしてる。今の時代の「オリジナル」のコンテキストは、昔の作品のオマージュをモンタージュにしてるにすぎないんじゃないかな。

 

かつてはイノベーションだった (0→1) → サンプル数が増え、“ジャンル”ができた。選択肢があるという素晴らしさ(1→20) → ジャンルに当てはまる作品は大体“想像がつく”。 → アマチュアでも参入できるベースがある → 完全飽和状態(^q^)(無限)

 

今のオリジナルは、テクノロジーと密接に繋がってて、新しいデバイスや新しい調理法なんかによって生み出せるものは多様化する。

アバターの様に。iPodの様に。宇宙食の様に。キネクトの様に。ディズニーランドの様に。

 

生活水準が高く、エンターテイメントの質も高く、それに慣れまくってる私達はきっともっと良いモノを求める。アイディアがそれに追いつかないくらい。

 

ベトナムで食べたフォーを、「これ、東京で食べれるなぁ」と思う事

 

ひぐらしの鳴く頃にを見て、バタフライエフェクトを彷彿とさせる事

 

バレンチノの今年のショーケースをみて、これ70年代ファッションのカムバックだよねと思う事。

 

どこのカフェモカ飲んでも、大体同じ味な事。

 

女子高生はいつの時代も大きい鞄を持っていること。

 

人間て、テクノロジーやスタイルに慣れても、生活自体はそこまで変わらない

(のかもしれない)

 

そうすると、これからの「クリエイター」(技術者でなく)に託された課題と期待は更に大きくなっていくよねん・・。脚本家も、芸術家も、音楽家も、ラジオパーソナリティも。もっともっと付加価値求められるんだろうなぁ。。

 

アナログな部分において、何かまだ「そこにないもの」がありそうで、もやもやしてる。なう。ですよ!そんなもやもやを取り除く起爆剤はいったい何処にあるのでしょうか?

 

前に尊敬するコピーライター様が言ってらっしゃった言葉

 

「過去の作品のデータベースを調べ尽くせ、知り尽くせ」

 

今有るところに「無い」ものが、オリジナル。

 

過去のデータベースをインスピレーションにしつつも、作品と作品の間に「ない」ものを宝探しする作業が重要なんだと。

 

そこに「イノベーション」は起こるのだと。

 

「ないもの」がなくなってきて、摘み取るのが大変な時代になったけど、でもだからわくわくする。



そーいえるコピーライター様はむふふってなるくらいかっこよかったです。

 

あたちもそう言える様になりたいし、その作業を諦めたくはないなと思います。

 

Eddy君はステキな文章を書く。Eddy君は、真面目で爽やかである。年下とは思えない程しっかりしていて落ち着いている。

 

モノカキを目指す人は、理屈っぽいコミュ障タイプを想像してた。

頭の中ではとても複雑な事を徒然と考えるも、処理の出来ない情報量と考察を喉に詰まらせ、「言葉」にするとどうも不器用。感情を出す先は文字先で十分。そして空中を見ながら話す・・・

そーゆー感じ?

 

でもEddy君は違う。考えるスピードが早い。情報処理能力があるだけじゃなくて、応用能力まである。正にアイディアの宝庫。頭から口迄の距離が短く、ソリューションの導き方が上手い。しかも説明が分かり易い!!

 

なんか、天才と話すとこんな感じかもしれない・・

そう思える程、ちゃんと人の目を見て、話す。すごい。

 

こういう人達と話してて思うのは、そもそも生産性のない会話(ガールズトーク)はしないんだろうな/フラストレーション溜まるだろうなって事。故に、私(典型的なダラダラ徒然人間であり大体話にオチがない)と話していて、話して楽しいのか/何かbenefitになるのだろうか!?不安になる。

 

ま、それはそうと、私は彼らの様な「考える人」達を通して思考を整理している為、彼らがなんと思おうと私はコバンザメの様について行くんですけどね!

 

そんな「考える人」Eddyさんと、「徒然freestyle」な私は、書く内容も切り口も全く違う訳です。

 

「ソーシャルゲームという比較的新しい分野でなら注目度は上がる。」

 

その観点からモノカキをしているEddyさん。

デジタル分野に重みをおき、目まぐるしく開拓され革新するフィールドを肌で感じ取って、また彼自身もアウトプットし業界を変えていくのでしょう。

 

私はというと、とってもジェネラルというか、文化をベースに、日々生活の中に見え隠れする課題を経験談レベルで描くモノカキなので、専門分野が分散しているのです。ふぬぬ。。どんなモノカキとして発信していくかコンセプトもう少し絞らないとなぁという感じではあります。

 

 

それでも、某就活サイトに載せてもらってる記事に対し、Eddy君は

 

「俺にはChampettesの文章は書けないし、とても面白いなと思ったよ。だからといって、モノカキとして負けるつもりはないからね!」

 

というコメントを下さいました。

 

光栄すぎる!

モノカキとして見てくれたと同時にライバル視してくれるなんて。

 

るんるん♪

 

そんなこんなで、夜ヒルプレゼンツな、とてもステキな出会いでした。

 

今度また食事しながらアツいトークが出来るのかと思うと、今から胸アツですんはふん(ω)