最近回り回っている、ひと掴みの「情報」
FBのシェアとか、TwitterのRTとか。
面白いと思う情報を皆に知ってもらいたいと感じる気持ち、欲求は勿論わかるし、私自身とてつもないリツイーターではある。
けど、2ちゃんで数年前流行ったネタとか、日にち/リソース不明のネタが回り過ぎ、消費され過ぎ、タイムラインに溢れ過ぎ、皆リサーチリテラシーなさすぎ、コメントには「わろたww」の一言多すぎ・・
クリエイティビティは、日常ではなかなかお目にかかれない・・
そして、いくらRTされたとはいえ、そのメッセージが人の心にのこっているかと言えば多分そうじゃない。
どんな心を突くキャッチコピーでさえ、数年経てば忘れてしまう様に。
そうした中で増えに増え続ける「所有感のない情報」
自身の考えを代弁するかの如く、セルフブランディングかの如く、
それをTLやブログに張り巡らせる行為を間違っているとは言わないが、
回る「誰かから発信された情報」が安っぽくなるのは事実なんじゃないかなー。
「これに共感した」
「これ超面白いよね!」
っていうものは間違いなく“場”を盛り上げてくれるし
リツイーターの思考や興味のパターンを逆算することもできる。
そして多くRTされる情報は、それだけ影響力があり、大衆に刺さるってことだ。
“大衆に刺さること”:これだけを目的に自分の株価を挙げようとする人、即ち、意志を持たずに情報提供し、“自分を通して”その情報が消費される過程を楽しみ、情報提供者としてブランディングし、提供者への信頼として寄る人を見方に付ける人は少し目敏いと思う。
現状、ビッグスケールでいうと、こうこうビジネスモデルの企業もあるけど。
そして私は今のところ後者っぽくなってるから、
あー、やだやだ!って気分。
ソーシャルで認識される人には多分2タイプの人間がいて、
① 自分から、自分の言葉でメッセージを発信する人(ブロガー)
② 自分の共感できること、興味のある事柄を探すリサーチャー兼発信者(カリスマリツイーター)
ってかんじ?
前者はマメな上に、自分の中で咀嚼したものを文字に起こす能力のある人である。
自分の言葉に自信があるからこそ(またはそれに伴う実績があるからこそ)言葉に重みがある。そしてDISられてもヘコまない。ディスカッションに発展させる。強い意志が人を動かす。リアルな意味でセルフブランディングしている。
ああ、そうなりたい。前者の様になりたい。
前者になりたいのだけど、文字を書くとどうしても曖昧にしたくなる。
どうにでも取れる文章を好んでしまう。
百人百通りの解釈をしてくれと、多数に解釈できる文を書く努力をしている。
読者を意識すると、そうなる。なるべくoffensiveにならないように・・。
RTやシェアも、それと似た感覚でしている。
要は、RTしてれば、“私”は批判の対象にならない。
「これ、読んでおけばいいよ!」ってスタンスなら特に。それらをいちいちリアクトしたい人だと欲求不満になると思うけど、読ませられる側だって、いちいちディスカッションを促す労力は大抵使わない。
となると、私は「共感されたい!」のではなく、「嫌われたくない!」の感情の方が合ってる。一般にウケそうなことをRTして、「私をフォローしとけば面白い情報いっぱい流すよ!」みたいな感じで、直接尖ったことは言わない。
無難で地道な活動。
はぁぁぁため息。
「ちやほやされる為にも、努力してるんだからぁ!」
とっても可愛いお水の友達の話を思いだした。
ポリシー持てよ乙女。
ということで手始めにブログでびゅ