本当のイノベーションがなくなってきている。




あきおさんの記事読んでも思ったけど、

デジタルサービスはどれも似たりよったり、少し形を変えて新しいものがぽんぽん出てきてる。


my365を誰かがイノベーションだと言った。あのサービスが出て、ヒットした事に関しては確かにイノベーションだったのかもしれない。使い勝手も良いし、勿論制作者の方々には敬意をもっています、持ってますよ!でも、今迄も「ソーシャルカメラアプリ」は数多くあって、少なからずその中のサービスでは他より「早く」リリース/プロモーションできて、埋もれてく類似サービスより「見える」位置にあったというのは大きいのかななんて、思ってしまったのです。それか、もしかするとヒットの理由はシンプルに「偶然」だったのかもしれない。良い商品で、無料で使えて、多くの人が手に取った。そのストーリーは果たしてイノベーションだったのか。一つ言えるのは、この商品はリプレイスできるものだったのかもということ。


それでいうと、きゃりーぱみゅぱみゅもそうかもしれない。


勿論彼女は素敵でかわいい女の子だが、

「原宿でロリ系の服を来て変顔ができて声が高い子」

は、いくらでもいるような気がする。

きゃりーじゃなくて、そのunknownB子が仮にきゃりーより前に発掘されていたら、脚光は間違いなくB子に向いていただろう。


その状況って、映画や料理の現状に似てる。

かつてはNEWだと言われていたものも、その文脈は今でいうNEWと全く違う。

 

いつの日か色褪せて、方々で真似されて、喰い散らかされる。


一方、真似されたものは真似したものでしかなくて、そこからNEWは中々産まれない。

似たものは星の数ほどうまれてるんだけど・・。

 

予告だけで内容の分かる映画。

見ただけで味の分かる料理。

使い古したゲーム。

先の読めるラブシーン。

手の施されて申し分のないサービス。

 

それらがオリジナリティをうたったところで、もうアイディアは出尽くしてる。今の時代の「オリジナル」のコンテキストは、昔の作品のオマージュをモンタージュにしてるにすぎないんじゃないかな。

 

かつてはイノベーションだった (0→1) → サンプル数が増え、“ジャンル”ができた。選択肢があるという素晴らしさ(1→20) → ジャンルに当てはまる作品は大体“想像がつく”。 → アマチュアでも参入できるベースがある → 完全飽和状態(^q^)(無限)

 

今のオリジナルは、テクノロジーと密接に繋がってて、新しいデバイスや新しい調理法なんかによって生み出せるものは多様化する。

アバターの様に。iPodの様に。宇宙食の様に。キネクトの様に。ディズニーランドの様に。

 

生活水準が高く、エンターテイメントの質も高く、それに慣れまくってる私達はきっともっと良いモノを求める。アイディアがそれに追いつかないくらい。

 

ベトナムで食べたフォーを、「これ、東京で食べれるなぁ」と思う事

 

ひぐらしの鳴く頃にを見て、バタフライエフェクトを彷彿とさせる事

 

バレンチノの今年のショーケースをみて、これ70年代ファッションのカムバックだよねと思う事。

 

どこのカフェモカ飲んでも、大体同じ味な事。

 

女子高生はいつの時代も大きい鞄を持っていること。

 

人間て、テクノロジーやスタイルに慣れても、生活自体はそこまで変わらない

(のかもしれない)

 

そうすると、これからの「クリエイター」(技術者でなく)に託された課題と期待は更に大きくなっていくよねん・・。脚本家も、芸術家も、音楽家も、ラジオパーソナリティも。もっともっと付加価値求められるんだろうなぁ。。

 

アナログな部分において、何かまだ「そこにないもの」がありそうで、もやもやしてる。なう。ですよ!そんなもやもやを取り除く起爆剤はいったい何処にあるのでしょうか?

 

前に尊敬するコピーライター様が言ってらっしゃった言葉

 

「過去の作品のデータベースを調べ尽くせ、知り尽くせ」

 

今有るところに「無い」ものが、オリジナル。

 

過去のデータベースをインスピレーションにしつつも、作品と作品の間に「ない」ものを宝探しする作業が重要なんだと。

 

そこに「イノベーション」は起こるのだと。

 

「ないもの」がなくなってきて、摘み取るのが大変な時代になったけど、でもだからわくわくする。



そーいえるコピーライター様はむふふってなるくらいかっこよかったです。

 

あたちもそう言える様になりたいし、その作業を諦めたくはないなと思います。