皆さま
オウムのちゃまみつが、久しぶりに
帰ってきたようです。
以前の物語は、下記から読むことが
できますよ。
思考がグルグルと止まらなくて
苦しいときってありますよね。
「止まれ」と言っても止まるものでも
ないので、余計に苦しくなります。
そんなとき、どうしたらいいのか
オウムのちゃまみつが考察してくれて
教えてくれるようです。
小動物の代表格リスや鳥かごの似合わない
フクロウは登場しないようです。
詳しくは本文をお読みください。
本日もよろしくお願いします。
【自己紹介】
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「なぜ思考がグルグル巡るのか考察する物語」
~幸せになったオウムにもある~
ようやっと幸せを感じることが
できるようになったオウムのちゃまみつは、
それでも自分の頭の中をグルグルと巡る
思考が存在するのか考えてみました。
果たして、この自分を時には苦しめようとする
思考のグルグルはどこからやってきているのか?
オウムのちゃまみつは、お風呂で濡れた
羽を丁寧に拭きながら考えていました。
「この思考は、本当に自分のものか?」
「この思考は、本当の自分が行っているのか?」
オウムのちゃまみつは、そう考えてみましたが、
答えはなかなかと出せそうにありません。
でも、思考はどこからやっていきてるかと
考えてみれば、たしかに自分であることは
疑いようがありません。
でも、思考で巡らせているような不安や
恐怖感などは、どうしたって自分のものとは
思えなかったのです。
そうして、オウムのちゃまみつは、それから
寝床へいくまで、じっくりと自問自答を繰り返します。
それで、あるひとつの答えにたどり着きます。
たしかに、このネガティブともいえる思考の
グルグルは自分のものではあると思ったのです。
でも、一方で、もし、自分に本当の自分というものが
あるとしたら、それとはかけ離れているようにも
思いました。
オウムのちゃまみつも、そこに何か矛盾のような
ものがあることはわかっていましたが、そんなことも
あるのではないかとなぜだか納得していきます。
そう、思考のグルグルは、もしかしたら自分が
持ち込んできた課題のひとつかもしれません。
その思考のグルグルは、どこまでも自由な
本当の自分を護ろうとして、時には邪魔をしてしまいます。
そのことに気がつくと、思考のグルグルも
かわいいやつだなあと思えたりもするのです。
そうなれば、こちらのもの(本当の自分)です。
オウムのちゃまみつは、思考のグルグルと
うまく付き合いながら、本当の自分に従って
生きることを選択していきます。
それは、思考のグルグルが、本当の自分の
本質ではないと気がついたからです。
思考のグルグルと、本当の自分を
切り分けて生き始めたとき、新たな
ステージで生きているといえるのかも
しれません。
オウムのちゃまみつは、思考のグルグルに
今日も声をかけます。
「いつも僕を護ろうとしてくれて、ありがとう」
【終わり】
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執筆依頼なども承っております。
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この物語を読んで何か一つでも
感じていただけたら嬉しく思います。
想いを乗せて書いています。
皆さまよろしくお願いいたします。