皆さま
本日も昨日の続きを
書いていきたいと思います。
気が付くと週に数度は
鍋を食べる季節がやってきましたね。
鍋は温かさはもちろん、
楽しい食事の一つですね。
本日もよろしくお願いします。
初めましての方は、こちらから自己紹介を兼ねた
僕の物語をお読みいただくことができます。
では、書いていきます。
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「母の死で生きる意味を悟る公太の物語②」
前回のお話しはこちらからお読みください。
当の本人である公太は
公務員になれることが
嬉しいわけでもありませんでした。
ただただ、淡々としています。
しかし、一つだけ公太にとっても
嬉しいことがあります。
それは仕事をし始めれば
この家から出ることができるのです。
公太は心のどこかで
母と、そして父を
憎んでいたのです。
許せない気持ちがあったのです。
公太にはそれは具体的には
わかりませんでした。
とにかく、就職をしたら
家から出ようと決めていた
だけです。
実は公太が小さい頃、
父と母は仲が悪くなりました。
公太は一人っ子だったので
小学生の頃から
一人で寝ていました。
すると、居間の方から
父と母が言い争いをするのが
聞こえてきました。
その度に小さな公太は
布団をかぶったり、
寝がえりを打って
気が付かない振りを
し続けていました。
公太が父と母に対して
そのことを指摘したことは
一度もありません。
次の日の朝になると
言い争いの声はなくなり
そこには広がるのは
父と母が放つ「よそよそしさ」
でした。
小さな公太にもそのことは
わかりました。
公太はそれでも見ていない
振りをしました。
「おはよう」と言って
「いただきます」と言って
「行ってきます」と言いながら
靴を履き、小学校へ
出かけて行きました。
「僕のうちはおかしくなんかない」
そう、思いながら通学路を
小走りに進んで行くのです。
公太が小学校で少しずつ
学年を上げていくと
それと反比例するかのように
父が家に帰ってこなくなったのです。
公太が小学校の高学年になると
週に1度帰ってくれば
良い方でした。
父と母の争いはそれに伴って
週に1度になりましたが
その頻度が少なくなるほど
一回の言い争いは
とても激しくなっていきました。
公太は段々と辛くなっています。
でも、誰にも言えませんでした。
一度だけ母に聞いたことがあります。
「お父さんはどうして帰って来ないの?」
母は困った顔をして、
口元で人差し指を立てました。
小学生の公太は、それが何を
意図するのかはハッキリとは
理解できませんでしたが
言ってはいけないことなのだと
思い、それからは
父と母のことは一切口にしなく
なりました。
【~続く~】
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この物語を読んで何か一つでも
感じていただけたら嬉しく思います。
世の中が今よりも幸せな場所になっていきますよう
想いを乗せて書いています。
皆さまよろしくお願いいたします。
*この物語はフィクションです。