昨今の英語学習においては、グロービッシュ礼賛というか、とにかく、「ブロークンでも通じればいい」、とか、「文法不要、カタカナ発音OK」みたいな嘆かわしい風潮があります(グロービッシュの定義自体、良く分かりませんが・・・)。
確かに、「英語学習のハードルを下げる」という一定の効果はあるかもしれませんが、「グロービッシュで十分」という風潮は疑問です。グロービッシュは単なる通過点であり、到達点ではありません。
しかも、日向清人先生のBlog
では、「グロービッシュではネイティブには通じない」と指摘されています。![]()
英語はネイティブであれば誰でも話せるわけで、「英語を話せること」自体、大した付加価値はありません。このように言うと、「文法や発音は二の次で、アウトプットの内容が重要」などという人がいます。確かに、「内容が重要」というのは否定しようがないのですが、文法や発音がどうでも良いという点には賛成しかねます。
というか、文法・語法・発音といった形式面がある程度きっちりできていないと、そもそも、内容ある英語のアウトプット自体できないと思います。内容ある英語を明瞭にアウトプットするというのは、実はかなりの熟練が必要です。「形式より内容が重要」などとまことしやかに言う人がいますが、その人の英語力自体がかなり怪しくて、とても英語を使ってビジネスをしていると思えないケースが多いので、鵜呑みにするのは危険です。
100歩譲って「内容面では素晴らしいが、形式面はかなり残念な英語」をアウトプットする人がいたとしましょう。このような人の場合、残念ながら、内容面の素晴らしい評価が形式面の杜撰さで大幅に割り引かれてしまうでしょう。その人本来の評価を得たいのなら形式面でも整った英語であるということが必須条件です。
特に、欧米人を含め、それ相応の人達とビジネスをしたいのなら、正統派の英語を身につけないと、信用されないでしょう。立場を変えれば、「滅茶苦茶な文法・語法でヘンテコリンな日本語を話す(欧米人の)ビジネスパーソンと、日本で一緒にビジネスする気になりますか?」ということになります。少なくとも私は勘弁して欲しいですね。
英語を身につけるための特別な才能は要りませんが、そこそこ正しいやり方で、長時間英語に触れるという地道な作業は欠かせません。ということで、やるからにはきちっとした英語を身につけるよう心がけるべき、というのが私の意見です。