介護施設 | チャレンジばぁばのブログ

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制作した楽曲はYouTubeに公開していきます。

アメブロでたまたま目にした介護施設…。

 

利用者の幸せそうな笑顔、工夫をこらした食事、楽しそうなイベントに「私も入所したい!」と思ってしまいました。

 

利用者さんからしたら、「孫のような」年齢のスタッフが一生懸命に働いている姿に、介護施設の認識が変わりました。

 

私も一時期、介護ヘルパーをしようと思ったことがありました。でも、続かないだろうと思い止めました。

夫は、介護ヘルパーの資格を習得しましたが、一度も介護の仕事はしていません。

 

父は(当時80歳)、デイサービスに2度行きましたが、「犬の飯なんか食わせて…。ピーチク.パーチク(体操のこと)なんてやってられねぇ」と言ってやめてしまいました。

 

当時のリクレーションは、大きな紙に歌詞が書いてあって、それを見ながら伴奏なしで歌う…みたいなことをしていました。

 

もしアメブロで見つけた介護施設のようなところだったら…、まだ父が生きていたら…喜んで行ったかもしれないと思いました。

 

父は拡張型心筋症・心臓弁膜症で手術を受け、一旦は苦しさは解消されましたが、拡張型心筋症は一時しのぎの手術(バチスタ手術)だったので再発、最後は在宅酸素になり10メートル位の長さの管で酸素発生機と酸素マスクをつなぎ、外出時は酸素ボンベを携帯し日常生活を送っていました。

 

デイサービスに行ったのは在宅酸素になる前のことです。

 

酸素マスクを外していたり、外れていたりして、酸素不足になると「ボケ」が始まりました。

日時を何度も確認に来たり、ご飯は食べたか、ばあさんは(亡くなった妻)病院へ行ったきり帰ってこない等…。

 

妄想や、夢と現実の区別がつかなくなり、私に訴えてきました。

私は、徹底的に父に寄り添いました。おかしなことを言ってきても否定せず、父の立場になって一緒に解決するようにしました。


父・「ご飯は食べたか?」

私・「食べたよ。お腹すいた? 何が食べたい?」

 

父・「ばあさん(亡くなった妻)はどこへ行った?」

私・父のいる前で親戚中に電話する。時には車に乗せて親戚中へ見つけに行く。

こんな感じで対応していました。

 

介護は2年間でしたが、この時期が人生の中で一番辛く大変な2年でした。

 

今回の写真は梅と紫蘇です。

梅漬けや梅干しの時期になりました。

畑にある小梅は収穫し塩漬けになっていますが、紫蘇が品不足のようです。

畑に生えた小さい紫蘇を大きくしようと「肥料」をあげましたが、梅漬けに入れられる大きさになるか…。

 

 

 

小梅の写真は画像が悪いので、「削除」しましたが、「削除」出来ずに残っています。

もしかしたら、そのうち消えているかもしれないのでご了承ください。

追記、画像の小梅の画質のいいものをアップしなおしました。一度アップした写真の痕跡が残ってしまいました。