これは還暦を過ぎている友人の話です。
小さいころ「クロ」という犬を飼っていたそうです。
ある日学校から帰ったら「クロ」がいない…父親が山へ捨ててきたそうです。
一か月たったある日、学校から帰ったら「クロ」が庭で尻尾を振って友人を迎えてくれた。
とっても嬉しかった…。
それから時が過ぎ、父親が「クロに食べさせるご飯がないから、もっと遠くの山へ捨ててくる」と友人に言った。
友人は「俺のご飯を半分クロに食べさせて。俺はご飯半分でいいから…」と父親に懇願し、「クロ」は山へ捨てられずに済みました。友人は、学校で給食をたくさん食べて空腹をしのいだそうです。
その話を、切なそうに、懐かしそうに話してくれました。
もう50年以上前もの話なので、「動物保護法や動物虐待」の罪にはならないと思うので書きました。
当時は、貧富の差が激しくて大変な時代でした。
我が家も、卵は2人で1つ、納豆(今より大きい三角形のもの)は味噌汁で量を増やし家族6人で食べました。
魚は干物ばかりで、魚屋さんが軽トラックで売りに来て、生の魚は近くの池でとれる鯉や雑魚、それも「鯉こく」や「佃煮」なっていました。
お風呂は近所でもらい風呂、ドラム缶の風呂に入ったこともありました。
公営水道もなく、有志で井戸から仮設水道を引き、水は大切に使っていました。
肉は、近所で不幸やお祝い事、お正月には飼っている「鶏」や「ウサギ」を…そのおすそ分けを頂いていました。
ほとんどの家が田んぼや畑を所有又は借りていたので,米や野菜には困りませんでしたが。
遠足や、運動会になると「おにぎり」その海苔は一枚単位で近所の個人商店で購入。(もっと沢山の話があるけど書ききれない)
会社に勤め給料で生活している家庭は少なかったので、貧しい家が大半の時代でした。
テレビで話題になっている「不自由だけど心豊かな田舎暮らし」そのものの生活でした。
今の犬猫は幸せだと思います。家族ですから…。
私も愛犬ポチが亡くなり、ペットロスになって、肉が食べられなくなり、「命の大切さ」を身に染みて感じています。
島村楽器のイケメンの写真がいつの間にか削除されていたので、原因究明のための写真です。
春の山菜、タラの芽です。もっと沢山のタラノ木があったのですが、ここ何年かの猛暑で絶えてしまいました。
近所の人から苗木をもらい植えたタラの木から、タラの芽が2つ採れました。
天ぷらにしておいしく頂きました。
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