映画「フェラーリ」…アダム・ドライバー好演!! | チャコティの副長日誌

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主役になれない人生を送るおじさんの心の日記.
猫と映画、絵画、写真、音楽、そしてF1をこよなく愛する暇人.
しばし副長の心の彷徨にお付き合いを….



原題: Ferrari  製作年:2023年 上映時間:130分
製作国:アメリカ・イギリス・イタリア・サウジアラビア合作



待望の作品.なぜこんなに日本での公開が遅れたのか疑問.
F1で有名なフェラーリだが、今年はルマン24Hでも優勝してみせた.
レースで勝つ為に、車を作って売るという稀有な自動車メーカー.
その基礎を築いた、エンツィオ・フェラーリの或る1年を描く.
公開初日に近所のシネコンで、本年度累積150本目の鑑賞.
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マイケル・マン監督がアダム・ドライバーを主演に迎え、イタリアの自動車
メーカー・フェラーリ社の創業者エンツォ・フェラーリを描いたドラマ.
ブロック・イェーツの著書「エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像」を原作に、
私生活と会社経営で窮地に陥った59歳のエンツォが起死回生をかけて
挑んだレースの真相を描く.

1957年.エンツォ・フェラーリは難病を抱えた息子ディーノを前年に亡くし、
会社の共同経営社でもある妻ラウラとの関係は冷え切っていた.
そんな中、エンツォは愛人リナとその息子ピエロとの二重生活を妻に
知られてしまう.さらに会社は業績不振によって破産寸前に陥り、競合他社
からの買収の危機に瀕していた.再起を誓ったエンツォは、イタリア全土
1000マイルを縦断する過酷なロードレース「ミッレミリア」に挑む.

妻ラウラをペネロペ・クルス、愛人リナをシャイリーン・ウッドリーが
それぞれ演じた.
2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品.

以上は《映画.COM》から転載.
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F1やWEC、WRCなどのカーレースに参加する車メーカーは、そこで名を上げ、
車の売上げを伸ばす事を目的としている.ところがフェラーリという会社は、
レースをする為に、車を作って売っているという稀有なメーカーなのだ.

台数も限られ、価格も数千万から何億円もして一般庶民には手の届かない代物.
それがゆえに、憧れられファンをもつメーカー.副長が好きなF1においても、別格
というか、畏敬の気持ちをもって観ている.

さて、その創始者にしてコマンダトーレ(指揮官)と呼ばれたエンツィオ・フェラーリ
の物語.レースやエンジン開発が主題の映画ではない.エンツォ・フェラーリという
天才を取り巻く幾重にも重なる人間模様の物語だ.

エンツォの妻、愛人、母、愛人の子、皆が彼に振り回され憎しみ、彼の引力に
吸いこまれる.その葛藤を見事に表現した秀逸の人間ドラマとして仕上がっている.
映画の冒頭、白黒のニュース映画のような映像で若きエンツォのレーサー姿が
映る.その笑顔の若い顔はアダム・ドライバーそのもの.ひょっとしたらはめ込んだ?
 

 

エンツォの姿って1980年代辺りからしか知らなくて、ブラックスーツにサングラス.
長身で白髪のイメージ.アダム・ドライバーも長身がゆえ姿形はもちろん、顔も
良く似せていると感じた.そしてなによりもその内面表現が素晴らしい.

冷徹にしてレースでの勝利への情熱、されど采配の陰に温情や温かみを感じさせる
興味深いエンツォを見事に演じ切っている.フェラーリの継承者としても大切だった
20代の長男を1956年に亡くし、その墓参りを欠かさないエンツォ、花束持って.

教会のミサと同時進行で映し出される、哀しみへの想いと冷酷なカーレース指示
の両面性がエンツォの両面性を良く映し出す.これはまるで“ゴッド・ファーザー”の
世界そのもの.まさにイタリアン魂を感じさせざるを得ない.

エンツォ・フェラーリは高級スポーツカー事業を一代で創始して世界屈指のブランド
に育て上げたが、1957年にいま初めて人生の挫折を味わいつつあった.
ライバル社マセラティの猛追を受けて主要カーレースの首位から脱落、会社は
経営難に陥り、妻との関係にも隙間風が吹き始めていた.

フェラーリは全てを逆転させるべく世界最大の一般公道レースミッレミリアへの
出場を決意、新型車の開発に猛進するが、それは新たな悲劇につながる道
でもあった.

エンツォはこの年、大きな3つの賭けをする.一つは仕事の上でのレース、
ミッレミリアでの優勝をすること、そして経営難の会社を建て直すこと、
3つ目は、妻ラウラ:ペネロペ・クルスとの関係整理だ.

最初のレースの準備に関しては、新たなドライバー、デ・ポルターゴ:ガブリエル
・レオーネの採用や、過去優勝経験にあるコリンズ:ジャック・オコンネル、
そして引退を本レースに賭けるタルッフィ:パトリック・デンプシーを鼓舞したり
準備に余念は無い.

用意されたマシン、Ferrari 335S 、315S、290Sの5台体制と布陣は固い.



これらのマシンは似せたシャーシーに、カーボン加工のボディを乗せたよう.
良く再現できていると感じた.レースでの走行シーンも含め迫力有る走りを
見せてくれる.

経営難に関しては、専属計理士からは大メーカーの支援を受けろと指示される.
エンツォはマスコミを使って、フォードとの提携を匂わせ、見事にFIAT社の支援を
勝ち取る.フェラーリのイタリアの血を他国に売り渡してはならぬという気持ちを
逆取った一手であった.この数年後フェラーリはFIAT傘下に入るが、現在でも
独立した経営を任されている.

3番目の問題が一番重要で、本作の骨格を成すと思う.経営権を自由にする為、
妻ラウル:ペネロペ・クロスとの共同経営権を解消せねばならない.
ラウルに対して巨額を支払う決断をする.
もう一つ、愛息ディノが死ぬ前から囲っていた愛人リナ・ラルディ:
シャイリーン・ウッドリーとの間に生まれた息子・ピエロの認知を迫られていた.

ウッドリー演ずるリナの演じ方がまた、本妻ラウル:ペネロペとは真逆の優しい

女性として描かれて、エンツォが安らぎを求めるのには至極当然と思わせる造り.
だがこの二人に共通するのは“芯の強さ”、エンツォが愛する由縁であろう.

が、後に起きる事故の後始末にラウルは得た巨額資金をエンツォに貸し出す.
ラウルが生きている限りは、愛人に産ませた子を認知しないという約束で.
この後、1978年ラウラが亡くなるまでこの約束は守られた.
その子、ピエロは現在はフェラーリの副会長を務める.

 

そして一つ目のレース、ミッレ・ミリアに関して.1927年から1957年まで続いた、
イタリアの伝説的な公道自動車レースで、イタリア北部の都市ブレシアを出発
して南下しフェラーラ、サンマリノを経てローマへ.さらにローマから北上して
ブレシアへ戻るというルートで、イタリア全土を1000マイル(イタリア語で
mille miglia = ミッレ・ミリア)走ることから名づけられたレース.
 

 

約1600Kmにも及ぶ長い距離の公道を走る公道レース.真夜中に出発する
シーンから、美しい田園風景やローマのコロッセオ周囲を走るシーンはかなり
美しい.この頃のレースカーはナショナルカラーが必須.ブラバムみたいな英国車
はグリーンだから分かりやすいのだけど、イタリアメーカーは全てレッド一色.

肝心のフェラーリとライバルマセラティもレッド一色だから区別が付きにくい(笑).
致し方無く、映像ではフロントヘッドのマセラティの王冠エンブレムを大写しに
して、映像を差別化して見せる.苦労の跡ありありだ.

51歳になる引退を本レースに賭けるタルッフィを励まし、鼓舞するエンツォは
温かみのある部分の表現.厳しいレースにおいても情を見せる人であった.
が、悲劇はゴールから約70km手前で起きてしまった.3位につけていた
ポルターゴがドライブしていたフェラーリ335Sが金属片を踏みタイヤパンク
を起こし、240km/hの速度で道添いの観客に飛び込んでしまい、観客9人
が亡くなってしまう.内子供が5人.ポルターゴとコーパイも亡くなってしまう.

事故後の検証で、車の異常では無かったことが証明されエンツォは訴追を
免れたが、その補償とマスコミ対策に妻ラウルからの大金が費やされた.
この事故を受けてイタリア政府は“ミッレ・ミリア”を中止した.

レースでの事故は常に紙一重. ポルタゴもレース前に愛する人に手紙を
書いたりするシーンがあったが、痛々しい限り.観客を巻き込んで、というのは
最悪の結果であった.単に不運と片付けられない問題であろう.

ときおり混じるイタリア語以外は全編英語での会話はやはり違和感を感じる.
それでも、アダム・ドライバーは巻き舌混じり?のイタリア語訛りの英語を話す、
横柄で、温情的で、チャーミングで奔放な富豪の姿を上手く演じた印象.

エンドロールで流れたイタリア語の歌がしみじみしていて好感.
「私の心のお庭で」みたいな意味らしい.儚くて美しい佳曲だ.

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