映画「LOVE LIFE」 (DVD)…この結末は卑怯だ. | チャコティの副長日誌

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主役になれない人生を送るおじさんの心の日記.
猫と映画、絵画、写真、音楽、そしてF1をこよなく愛する暇人.
しばし副長の心の彷徨にお付き合いを….



製作年:2023年 製作国:日本 上映時間:123分



昨秋公開時には全くその存在にも気が付かなかった作品.

これでもベネチア国際映画祭に出品した作品だそう.
本年度累積9本目の観賞は日本製人間ドラマ.
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「淵に立つ」でカンヌ国際映画祭ある視点部門の審査員賞を受賞するなど、
国際的に高い評価を得ている深田晃司監督が、木村文乃を主演に迎えて
描く人間ドラマ.

ミュージシャンの矢野顕子が1991年に発表したアルバム「LOVE LIFE」に
収録された同名楽曲をモチーフに、「愛」と「人生」に向き合う夫婦の物語を
描いた.

再婚した夫・二郎と愛する息子の敬太と、日々の小さな問題を抱えながらも、
かけがえのない時間を過ごしていた妙子.しかし、再婚して1年が経とうと
したある日、夫婦は悲しい出来事に襲われる.

そして、悲しみに沈む妙子の前に、失踪した前の夫であり敬太の父親でも
あるパクが戻ってくる.再会を機に、ろう者であるパクの身の回りの世話を
するようになる妙子.一方の二郎も、以前つきあっていた女性の山崎と
会っていた.悲しみの先で妙子は、ある選択をする.

幸せを手にしたはずが、突然の悲しい出来事によって本当の気持ちや人生の
選択に揺れる妙子を、木村が体現.夫の二郎役に永山絢斗、元夫のパク役に
ろう者の俳優で手話表現モデルとしても活躍する砂田アトム.

第79回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品.

以上は《映画.COM》から転載.
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題名は深田監督が大ファンである矢野顕子が歌う「LOVE LIFE」からだそう.
この曲の別解釈であり、映画という形を借りたカバーバージョンといえる.
本作の中でもこの曲は流れる.

「どんなに離れていても、愛することはできる」
「もうなにも欲しがりませんから、そばに居てね」
「ほほえみくれなくてもいい、でも生きていてね、ともに.」

矢野顕子らしい優しい詞の曲.そしてこの映画は、ラブストーリーではあるのだけども、
奇妙でイビツで、素直には共感出来ないような愛の形を描がかれる.

団地の別棟に両親が住んでいるジロウ:永山絢斗とタエコ:木村文乃の夫婦には
タエコの連れ子敬太:嶋田鉄太がいる.タエコとジロウは、結婚をジロウの父親:
田口トモロヲに認めてもらうまで敬太を養子に入れないと心に決めていた.
 

 

両親を自宅に招いたパーティの最中に敬太が事故死してしまったことから、
登場人物それぞれの“おひとりさま”ぶりが様々な形で表出していく非常に
技巧的なシナリオを繰り広げられる.

敬太はオセロの得意で、大会で優勝したばかり.その敬太が風呂での転落溺死と
いう不慮の事故で死ぬ.タエコとプレイしかけのオセロ盤はそのままに団地の部屋
に残される.

くるくると白黒に反転するオセロが敬太の死によって動くことがなくなったと同時に、
今度は人間関係がオセロのようにくるくる反転し始める.結婚を認めずタエコに
つらくあたっていたはずの義父が孫の死で歩み寄り、同性の苦労を知るはずの
義母:神野三鈴 が今度はつらく当たりだす.

敬太の死を新聞で知って現れたタエコの元夫パク・シンジ:砂田アトムは聾唖の
韓国人.タエコとは韓国流の手話でしかコミュニケートできない.私も一時期手話
を習ったが、意外なことに手話は全世界共通では無いのだ.国内での方言もある.

自宅と両親宅の微妙な距離感、敬太が死んでも涙を流せなかった夫のジロウと
お湯を落としてなかった自責に苛まれるタエコとの心理的隔たりが存在するうえに
ふらりと戻って来たタエコの元夫を巡って今の夫との関係が反転し始める.
 

 

仲睦まじい家族像からどんどん逸脱していく.夫はどんどん軌道を逸れていく
元夫ノ面倒をみる妻の暴走を理解できず、2人が同じ方向を向いていないこと
はハッキリしている.
夫の方も同僚の元恋人理佐:山崎紘菜 との関係を取り戻そうとするなど、
こちらの人間関係にも大きな変化が訪れる.
 

 

タエコの姑:神野三鈴の台詞 「結婚して夫や子供がいても、みんな一緒に
死ねるわけじゃないのよ」.考えてみれば生まれる時も死ぬ時も人間はひとり
ぼっちなわけで、死ぬ時に誰かが側にいてくれるなんて状況の方がむしろ
例外的なのではないか.そんな死の瞬間に限らずとも、生きている間も
「人間はひとりである」と深田監督の主張が見え隠れする.

本作の家族は、善人とも言えず悪人でもない、ごくごく普通の、でもいびつな家族.
登場人物たちの一貫しないゆらぎこそが、人間であり現実なのだと言われている気
がしてくる.深田監督の過去の佳作「淵に立つ」もそうであった.イビツな家族を描く
ことで、フィクションが培ってきた「理想の家族」というイメージを映画から引き剥がし
続けてきたように思える.これはこれで有りなのだろう.好きか嫌いかは別だが.

こんがらがって、ときに意味不明で、ロマンチックとも合理性とも程遠い.
そんな人間関係を提示することに意味は見いだせない.

この監督の典型たる客に委ねてしまうエンディングは、あれこれ推測させるもの
では無くゼロか一しか無く、それを提示しない作り方は卑怯に思えた.

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