2024年4月20日(土)、埼玉・秩父の武甲山(ぶこうさん)から、小持山、大持山を回ってきました。
武甲山は、奥武蔵の最高峰にして秩父の盟主とされる山です。
端正なピラミダルな山容ですが、石灰岩採掘のため北側斜面が大きく削られ続けている異形の山でもあります。
武甲山は、マイカー登山者にとっては、登山口の一の鳥居駐車場が狭いことが難点でした。
西武秩父線の横瀬駅から一の鳥居まで歩くのが王道ですが、舗装道路を1時間以上歩かねばならず、ダンプカーも多く通るため、あまり心地よいものではありません。
ようやくこの4月、地元の横瀬町が新たに登山者用駐車場を造ってくれましたが、土曜の朝8時では満車でした。
やむなく路肩に車を停め、「一の鳥居」まで来ました。
「一の鳥居」を1丁目とし、山頂・御嶽神社の52丁目まで、登山道には標石があります。
木材の香り立つような真新しい立派なトイレが完成していました。
8時28分、出発しました。
18丁目、不動滝を通過しました。
32丁目、大杉の広場を過ぎました。
9時57分、52丁目の山頂に鎮座する武甲山御嶽神社(みたけじんじゃ)に着きました。
わが国古代史上の伝説的英雄、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、東征の折、ここ武甲山頂に登って甲(かぶと)などの武具を埋めて関東の鎮護としたことを起源とする神社です。
拝殿の裏が山頂展望台となっています。
武甲山は、標高1,304mです。
秩父盆地が真下に見えます。
フェンスの下は、石灰岩採掘場となっています。
埼玉県民の森のある丸山方面。
その奥には堂平山と笠山が頭を覗かせています。
羊山(ひつじやま)公園の芝桜も満開のようです。
展望を楽しんだ後、小持山方面への縦走に移りました。
カタクリがちらほらと咲いていました。
こちらは色合いがいいです。
見た目も毒々しい、コバイケイソウ(小梅蕙草)が群生していました。
非常に強い毒草で、食べるとイチコロだそうです。
木の根元にカタクリが咲いていました。
木に守られているようです。
それほど群生はしていませんが、登山者の目を和ませてくれます。
シラジクボへの急坂を下りました。
スミレもあちこちで咲いていました。
ナガバノスミレサイシン(長葉菫細辛)でしょうか。
葉っぱが長いのが特徴だそうですが、ちょっとわかりませんでした。
武甲山と小持山の鞍部、シラジクボ(1,088m)に着きました。
登山道脇のカタクリを眺めながら歩きました。
スクッと立ったこれはカッコいい。
小持山への急登の途中で振り返ると、武甲山の南側が見えます。
削られた山肌を露出している北側とは違って、南側は萌えだした新緑に覆われた武甲山です。
小持山北斜面のアカヤシオは、咲き始めでした。
11時8分、小持山(こもちやま、1,269m)山頂に着きました。
小持山山頂のアカヤシオは、日当たりが良いせいか、満開でした。
薄いピンク色のハート形の花びらがいいです。
アセビ(馬酔木)の木も、釣り鐘型の小さな花が鈴なりです。
こちらもたくさんの花付きのアカヤシオ。
陽光が当たると、青空によく映えます。
小持山山頂は狭いので、昼休憩は後回しにして、大持山方面に向かいました。
雨乞岩と呼ばれる岩場です。
中央奥にうっすらと両神山が見えました。
こちらは都県境の山並みです。
11時42分、大持山(1,294m)山頂に着きました。
あまり展望は良くありません。
山頂にもカタクリが咲いていました。
妻坂峠に下る途中で、昼休憩としました。
花弁がくるんと一周しそうなカタクリです。
妻坂峠に着きました。
秩父出自で鎌倉幕府の御家人、畠山重忠が鎌倉に遠征するとき、この峠で見送りの妻と別れたというのが、峠の名前の由来といわれています。
ニリンソウが咲いていました。
毒草のハシリドコロ(走野老)です。
妻坂の湧き水で喉を潤しました。
13時33分、駐車場に下山しました。
この時間になると、だいぶ空いています。
帰宅途中で振り返ってみた武甲山です。
現在のこの武甲山の姿は、武甲山北面における石灰岩の採掘と引き換えに、官民挙げて西武鉄道の延伸と三菱鉱業セメント工場(写真中央)の誘致を推進した横瀬村(現・横瀬町)の歴史が刻まれています。
合計時間 5 時間 14 分 休憩時間 51 分
距離 11.8 km のぼり / くだり 1288 / 1266 m