3/2 栃木・諏訪岳~唐沢山を歩く | 本日も一日一歩

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仕事の合間に、街歩きや読書をしています。見たこと、感じたこと、考えたことを少しづつでも綴っていきたいと思います。

 2024年3月2日(土)、栃木県佐野市・岩舟町(現・栃木市)の低山を歩いてきました。

 10時2分、村檜(むらひ)神社入口バス停を出発しました。

 まずは、すぐ横にある大慈寺に寄りました。

 

 

 大慈寺(だいじじ)は、奈良・東大寺の大仏造立に尽力した行基(ぎょうき)によって、天平9年(737)に建立されたと伝えられる古刹です。 

 

 

 奥の銅像は、関東・東北各地に仏教を広め、第三代天台座主となった慈覚大師像です。

 慈覚大師こと円仁は、岩舟町の三毳山(みかもやま)ふもとで生まれ、ここ大慈寺で9歳から15歳までの6年間修業したそうです。

 

 

 慈覚大師堂です。

 護摩祈願を行うお堂のようです。

 

 

 大慈寺には、平安時代の女流歌人、小野小町の伝説が残っています。

 小町は、大慈寺を訪れて自身の病気直しの祈願をしたが治らず、和歌のやりとりをした後ようやく回復し、それ以降ここに住み着いたとの言い伝えです。

        小野小町

 南無薬師衆病悉除の願立てて

 身より仏の名こそ惜しけれ

         かへし 薬師如来

 むらさめはただ一通り降るものを

 おのが身のかさそこに脱ぎおけ

 

 

 境内に、日本で生まれ育ったアメリカ人の歴史家・日本研究家であったエドウィン・O・ライシャワー博士の肖像レリーフと、ライシャワー博士のサインのある次のように刻まれた石碑がありました。

 JIKAKU DAISHI (慈覚大師)

 Great World Citizen (偉大なる世界市民)

 ライシャワー博士は、遣唐使となった際の円仁の日記「入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」を高く評価、英訳し発表しました。

 その後、ライシャワー博士は外交官としてアメリカ駐日大使も務められました。

 

 

 村檜(むらひ)神社の鳥居をくぐり、階段を登りました。

 

 

 村檜神社は、大化2年(646)の創建と伝えられ、下野國(しもつけのくに)三之宮として崇敬されています。

 室町時代に建築された本殿は、国の重要文化財に指定されています。 

 

 

 村檜神社から諏訪岳への直登ルートを進みました。

 

 

 尾根に出ると展望が広がります。

 

 

 一見、富士山?と見間違うような浅間山。

 

 

 奥に見える八ヶ岳連峰も冠雪しています。

 

 

 10時47分、諏訪岳(324m)山頂に着きました。

 

 

 山頂は狭いですが、手作り感あるベンチがあって、先客もいました。

 この諏訪岳から唐沢山に向けて、多くの峰を経る低山縦走に移りました。

 

 

 途中、北側の展望が開け、日光ファミリーの山々が見えました。

 父(男体山)、母(女峰山)、姉妹(大・小真名子山)ですが、長男(太郎山)は父(男体山)の陰に隠れて見えません。

 

 

 唐沢山までの稜線上には、多くのピークがありますが、それほどアップダウンはきつくありません。

 ここは、京路戸(きょうろと)とんび山。

 

 

 北見明岳を通過。

 

 

 南見明岳を通過。

 

 

 平坦な巻き道(直進)がありますが、トレーニングのつもりでできるだけピーク(右方向)を踏んで行きました。

 

 

 柃(ひさかき)山を通過。

 

 

 椿山を通過。

 

 

 この登山道は、関東ふれあいの道となっており、よく整備されています。

 

 

 消防無線基地局があるピークに、休憩用テーブルとベンチがありました。

 

 

 大櫃鳥屋(おおびつとや)山を通過。

 

 

 浅間山がきれいです。

 

 

 高鳥屋(たかとや)山を通過。

 

 

 中央奥に見えるのは、三毳山(みかもやま)です。

 下山した後、移動して花の偵察をしました。

 

 

 このあたりは、東京農工大学の演習林となっており、このようなものがぶら下がっています。

 樹木の種とか虫とかを捕集するものでしょうか。

 

 

 ここ唐沢山は、戦国時代初期に佐野氏により築城された山城があった場所です。

 堀と土塁の跡が残っています。

 

 

 12時24分、唐澤山神社に着きました。

 

 

 唐澤山神社は、明治になってから佐野氏一族と旧臣によって唐沢城跡に創建された神社です。

 佐野氏の先祖で平将門を滅ぼした藤原秀郷(ふじわらのひでさと)公を、御祭神として祀っています。

 

 

 「標高八百尺」と刻まれた唐沢山の山頂標識がありました。

 800尺は、242mですからほぼ正確です。

 

 

 唐沢山から下山し、舗装道路歩きとなりました。

 

 

 アスファルトの割れ目からスミレが花を咲かせていました。

 

 

 一昨年歩いた日光例幣使街道沿いを再び歩きました。

 奥の薬師堂が、「真田父子 犬伏の別れ」の場所とされています。

 ここ佐野市は、かつて下野国犬伏と呼ばれていました。

 

 

 関ヶ原の合戦の直前、真田正幸、信幸、信繁(幸村)の父子三人が話し合い、徳川方と豊臣方のどちらが勝っても真田の家が残るよう、信幸が徳川方、正幸と信繁が豊臣方に分かれて戦うことを決断したのです。

 

 

 戦隊ヒーローものなど特撮ロケ地としてよく使われる岩船山の姿が見えました。

 岩船山はかつての採石場で、現在その跡地がこの姿になっています。

 

 

 13時37分、この日のゴール、安純の里バス停に着きました。

 

 

 先月訪れた三毳山に転進し、花の開花状況を見に行きました。

 雪割草(ユキワリソウ)が、咲き始めていました。

 

 

 トリミングして拡大してみました。

 

 

 雪割草は、花の色も形もバリエーション豊富です。

 こちらは、一重で紫色の花

 

 

 八重咲きでピンクから白色のグラデーションの花

 

 

 一重の白色の花

 公園内のこれらの花は、移植したもので、自生ではありませんが、色とりどりの雪割草は、春の訪れを告げてくれているようです。

 

 

 雪割草は、はかなげな花です。

 

 

 日当たりのよい場所に、いち早いカタクリが一輪だけ咲いていました。

 

 

 アズマイチゲ(東一華)が、まもなく咲きそうでした。

 

 

 みかも山公園内では、フラワートレインが走っています。

 

 

 「かたくりの園」に来ました。

 まもなくここの斜面には、カタクリの花が一面に咲きます。

 

 

 カタクリの葉が伸び始めていました。

 開花まであと2~3週間でしょうか。

 

 

 先月咲いていた駐車場近くのセツブンソウは、既に終わっていましたが、カタクリの園付近では、ちょうど開花している最中でした。

 

 

 今年のセツブンソウは、これで見納めです。

 

 

合計時間 3 時間 24 分  休憩時間 25 分
距離 11.7 km  のぼり / くだり 665 / 749 m