2024年1月27日(土)、早春に咲く花を訪ねて、神奈川県に行ってきました。
①寄(やどりき)ロウバイ園
②吾妻山公園
③真鶴半島
最初の目的地は、松田町にある寄(やどりき)ロウバイ園です。
小田急線の新松田駅からバスで向かいました。
富士急湘南バスで終点、「寄」と書いて「やどりき」と読む集落に着きました。
バス停から坂道を10分ほど、歩きます。
歩けない人向けには、ワゴン車での送迎もあります。
ロウバイ園の入口に着きました。
ほのかにロウバイの香りが漂っていました。
入園料は、500円です。
山の斜面が、ロウバイ園となっています。
ロウバイは、ほぼ満開でした。
つやつやした光沢のある蝋細工のようなロウバイの花です。
ところどころにベンチもあります。
松田町の寄ロウバイ園は、2005年度に寄中学校の卒業生が卒業記念としてロウバイ250本を植えたことから始まったそうです。
現在は、1万3千平米の広大な敷地に、国内最大級およそ2万本のロウバイが植えられています。
ロウバイのトンネルの中を歩きました。
たくさんの黄色い花に囲まれての散策です。
梅も咲いていました。
ここからは、前方に見えるシダンゴ山か、または鍋割山への登山道がありますが、この日はスニーカーなので、登山はしませんでした。
濃い黄色に春を感じました。
このあたりは登ったことのない山ばかりで自信ありませんが、地図と照らし合わせるとこんな感じです。
檜岳(ひのきだっか)から右側への稜線は、鍋割山さらに塔ノ岳へと伸びています。
ロウバイ園から、バス停に戻ると、地元の農産物を販売していました。
バスで新松田まで戻りました。
JR御殿場線の松田駅ホームからの眺めです。
このあと国府津に出て、二宮駅に向かいました。
次の目的地、JR東海道線二宮駅で降りて、駅近くの吾妻山公園に行きました。
二宮駅のホームから見た吾妻山公園です
吾妻山公園のゲートをくぐり、ひたすら石の階段を登ることになります。
階段の登りですが、スイセンの花が目を楽しませてくれます。
八重咲きのスイセン。
シロバナスイセン。
吾妻山公園の山頂部は、多くの人がいました。
万葉集の東歌と吾妻山公園の由来が刻まれた碑があります。
相模路(さがむぢ)の 淘綾(よろぎ)の浜の 真砂(まなご)なす
児(こ)らは愛(かな)しく 思はるるかも
巻14−3372
よろぎの浜とは、相模湾の二宮周辺の浜のことだそうです。
西方面は、菜の花と富士山
山頂はたくさんの人でにぎわっていました。
南西方面、相模湾と小田原市街。
北西方面には、丹沢の峰々。
右側には、端正な姿の大山(おおやま)見えます。
黄色い花がいっぱいの菜の花に、すっかり春気分になりました。
この日の最後は、徒歩での真鶴半島一周です。
JR真鶴駅から琴ヶ浜に着きました。
相模湾の奥に丹沢山塊が見えます。
30数年前、就職して間もなくの職場旅行の際に訪れた「うに清」。
この日再訪し、昼食としました。
真鶴岬に通じる路傍に、万葉集研究で著名な国文学者・歌人の佐佐木信綱の歌碑がありました。
歌碑裏面を見ると、信綱は晩年、熱海に住んでいて、昭和29年7月にここ真鶴岬を訪れ、真鶴町からの歌碑建立の要請を快諾したものの急逝。
その信綱の遺志は、昭和44年、信綱の女婿で国文学者の久松潜一の書によって、この歌碑として実現したそうです。
真鶴の林しづかに
海の色のさやけき見つつ
わが心清し
真鶴半島の突端には、「ケープ真鶴」と「真鶴町立遠藤貝類博物館」があります。
真鶴岬の突端です。
与謝野晶子の歌碑がありました。
わが立てる 真鶴崎が二つにす
相模の海と 伊豆のしら波
晶子自身の筆による碑のようです。
「・・・伊豆のしら波 晶子」と流れるような美しい筆づかいに、まるで晶子がここにいるかのような息吹を感じてしまいました。
真鶴岬の突端、この場所に晶子が立って、同じ風景を見たのです。
素晴らしい歌碑なのに小さなプレート以外、ちゃんとした解説板がなく、また歌碑裏面は判読困難なのが残念です。
真鶴岬の景勝「三ツ石」の近くまで降りました。
「三ツ石」は、真鶴岬の海上にある岩礁で、2つの大きな岩にしめ縄が張られています。
真鶴岬から歩いて、灯明山に着きました。
真鶴半島の最高地点ですが、標高は100mにも足りません。
戦後に内閣総理大臣を務め、「文人宰相」と称された政治家、片山哲(かたやまてつ)の漢詩の詩碑が中川一政美術館のはす向かいにありました。
最後は梅の花で真鶴半島一周を終えました。