筑波山と万葉歌碑 | 本日も一日一歩

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仕事の合間に、街歩きや読書をしています。見たこと、感じたこと、考えたことを少しづつでも綴っていきたいと思います。

 2021年12月11日(土)、茨城県の筑波山に登った。

 筑波山の標高は877m。

 関東平野内にある唯一の日本百名山であり、百名山の中では最も低い山でもある。

 筑波山は写真の通り、左側の男体山(なんたいさん、871m)と右側の女体山(にょたいさん、877m)という二つの頂上を持つ双耳峰だ。

 見た目では男体山の方が高く見えるが、実際は女体山の方が6m標高が高い。

 

 

 10時26分、つくば市営第4駐車場を出発した。

 筑波山神社の大鳥居をくぐった。

 

 

 これは筑波山神社の随神門(ずいしんもん)。

 倭健命(やまとたけるのみこと)と豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の随神像を両側に祀っている。

 一見すると、お寺の仁王門に見える。

 実際、明治までここは金剛力士像のある仁王門であった。

 筑波山神社の現在の拝殿の場所には、かつて中禅寺(ちゅうぜんじ)というお寺があり、神仏習合の形で、神と仏をともに祀っており、むしろ神社より中禅寺の方が信仰の中心だったからだ。

 ところが明治の廃仏毀釈により、中禅寺は廃されて筑波山神社のみになったため、随神門となったとのこと。

 筑波山神社は、神社なのにあちこちにお寺の雰囲気があるのはそのためだ。

 

 

 随神門をくぐると、筑波山を詠んだ万葉歌碑がある。

 私の敬愛する故・犬養孝先生の書による高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)の東歌の歌碑。

 原文の万葉仮名のまま書かれているが、隣の石碑はこの歌の読み下し文となっている。

  筑波山に登る歌 
   草枕 旅の憂(うれ)へを 慰(なぐさ)もる 事もありやと

  筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付(しづく)の田居に

  雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽(とば)の淡海(あふみ)も
  秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺(つくはね)の 良(よ)けくを見れば
  長き日(け)に 思ひ積み来(こ)し 憂(うれ)へはやみぬ
     反 歌
  筑波嶺の裾み(すそみ)の田居に秋田刈る

  妹(いも)がり遣らむ 黄葉(もみち)手折(たを)らな

 

 

 筑波山名物と言えば、ガマの油。

 随身門の横で、その伝統のガマの油売り口上を披露していた。

 

 

 下妻市の万葉東歌研究会会長の大木氏が建立した歌碑がいくつかあった。

 橘(たちばな)の 下吹く風の かぐはしき

 筑波の山を 恋ひずあらめかも  巻20-4371

 

 

 筑波の岳に登りて

 鶏が鳴く 東(あづま)の国に 高山は さはにあれども

 二神(ふたがみ)の 貴(たふと)き山の 並み立ちの 見が欲し山と

 神代(かみよ)より 人の言ひ継ぎ 国見する

 筑波の山を 冬ごもり 時じき時と 見ずて行かば

 まして恋しみ 雪消(ゆきげ)する 山道すらを

 なづみぞ 我(あ)が来(け)る     

                           巻3-382

 

 

 反歌

 筑波嶺(つくはね)を 外(よそ)のみ見つつ ありかねて

 雪消(ゆきげ)の道を なづみ来るかも

                               巻3-383

 

 

 大正~昭和時代の編集者で歌人の中村正爾(なかむらしょうじ)の歌碑があった。

 筑波嶺は 女男(めお)の神山 竝びたち

 空をかぎりて 乳房型の山

 

 

 拝殿にある大鈴。
 鈴の緒はついていないので鈴を鳴らすことはできない。

 まずは登山前に道中の安全を願い参拝した。

 

 

 筑波山頂境界確定記念碑

 真壁町(現在は桜川市に編入)と筑波町(現在はつくば市に編入)が、筑波山頂における境界を長い間争い、昭和61年に最高裁の判決で確定したことを記念し、また筑波町を勝訴に導いた神田五郎弁護士らの功績を顕彰するため建立されたものだ。

 

 

 筑波山には、いろいろなルートでの登山道がある。

 今回は、迎場(むかえば)コースの登山口から入り、つつじが丘に出て、おたつ石コースから白雲橋コースに合流、女体山山頂に出るコースとした。

 

 

 登山道脇には、ところどころに万葉歌碑が設置されている。

 万葉東歌研究会の会員の方々がそれぞれ建立したものらしい

 筑波嶺の 彼面此面(をてもこのも)に 守部据ゑ(もりへすえ)

 母い守れども 魂ぞ逢ひにける

           巻14-3393 

 

 

 迎場コースと白雲橋コースの分岐

 

 

 いにしえの筑波山周辺では、歌垣(うたがき)の風習が存在していた。

 歌垣とは、特定の日時に不特定多数の男女が集まり、互いに求愛歌を掛け合いながら、対になり恋愛関係になるもので、現在で言えば大規模な合コンみたいなものだ。

 結婚相手や恋人を求めて集まる「出会いの場」であり、当然ながら性の交わりを含んでいる。

 そんなわけで筑波山を詠んだ歌には、恋愛の歌(相聞歌)が多い。

 小筑波の 繁き木の間よ 立つ鳥の

  目ゆか汝を見む さ寝ざらなくに

                 巻14-3396

 

 

 迎場コースは傾斜も緩やかで歩きやすい道だ。

 

 

 筑波嶺に わが行けりせば ほととぎす

  山彦響(やまびことよ)め鳴かましやそれ

               巻8-1497

 

 

 峯(お)の上に 降り置ける雪し風の共(むた)

  ここに散るらし 春にはあれども

             巻10-1838

 

 

 天の原 雲なき宵に ぬばたまの

  夜渡る月の 入らまく惜しも

           巻9-1712

 

 

 筑波嶺に 背向(そがい)に見ゆる 葦穂山(あしほやま)

 悪しかる咎(とが)も さね見えなくに

                巻14-3391

 

 

 このコースは、「萬葉公園迎場万葉古路」とも名付けられているらしい。

 

 

 レストハウスやロープウェー乗り場のあるつつじが丘に着いた。

 

 

 つつじが丘から、おたつ石コースを歩き出した。

 

 

 振り返るとつつじが丘の駐車場は車で一杯だ。

 

 

 筑波山は、山を登れない人でも、ロープウェーやケーブルカーで山頂近くまで簡単に行ける。

 ただ歩いて登る醍醐味や達成感は経験できない。

 

 

 次第に巨岩の登山道となる。

 

 

 「弁慶の七戻り」

 古くから、神々の世界と現世を分かつ場所とされてきた石門だ。

 頭上の巨岩が今にも落ちそうで、豪傑の弁慶でさえ恐れおののき「七戻り」したといわれている。

 

 

 奇岩・怪石が続く。

 「母の胎内くぐり」

 

 

 「陰陽石」

 

 

 「出船入船(でふねいりふね)」

 

 

 「北斗岩」

 

 

 「屏風岩」

 

 

 「大仏岩」

 

 

 土曜の好天なので、登山道は所々で渋滞していた。

 そういう中で、この先の登山道で、痛恨の転倒をしてしまった。

 岩の段差で足を挙げた際、靴の先が岩に引っかかり、前方につんのめって両ひざを岩で強打してしまった。激痛が走り足が痺れてしばらく動けなかった。

 「大丈夫ですか?」と、上から降りてきた人が声をかけてくれたが、まともな返事もできなかった。

 両ひざの激痛は数分間したら何とか少し治まった。
 岩に当たったズボンの膝部分が鉤裂きに切れていたが、何とかまた登ることができた。

 

 

 筑波山(女体山)の山頂に到着した。

 山頂は、記念写真を撮影する登山者で大混雑していた。

 

 

 この山頂の標石を撮影するために渋滞していたらしい。

 

 

 女体山山頂からの展望

 山頂は狭く、昼食をゆっくり食べるようなスペースはない。

 関東平野を一望する素晴らしい展望を堪能し、そそくさと移動するしかない。

 

 

 女体山山頂から男体山を眺めた。

 右の屋根が見えるのは筑波山神社 女体山御本殿で、伊弉冊尊(いざなみのみこと)が祀られている。

 

 

 大きな霞ヶ浦が遠くに見えた。

 

 

 ガマ石

 

 

 せきれい石

 

 

 女体山と男体山の鞍部は、御幸ヶ原(みゆきがはら)と呼ばれている。

 ここには、ケーブルカー山頂駅を始め、展望台、お土産屋・食事処が軒を連ねている。

 

 

 昭和天皇御製歌碑.

 昭和天皇が、昭和60年4月に筑波山に行幸、御登拝された折にお詠みになられた歌である。

 はるとらのを ま白き花の 穂にいでて

 おもしろきかな 筑波山の道

 

 

 御幸ヶ原から、男体山頂までは一登りだった。

 筑波山神社男体山御本殿は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が祀られている。

 

 

 男体山頂からの展望。

 

 

 樹木の枝が邪魔をして、展望は女体山のほうがいい。

 

 

 御幸ヶ原に再び下りて、コマ展望台の屋上から360度の展望を楽しんだ。

 女体山方面の眺め。

 

 

 霞ヶ浦方面の眺め。

 

 

 北側、日光方面の眺め。

 奥日光にある百名山の山々が並んで見える。

 右から男体山(2,486m)、日光白根山(2,578m)、左側に見えるのは皇海山(2,144m)

 

 

 「つくばねカントリークラブ」が見下ろせる。

 山の中にゴルフ場を造ったというのがよくわかる。

 

 

 ケーブルカー山頂駅で、乗車待ちで大行列になっているのを横目に、御幸ヶ原コースで下山した。

 途中、男女川(みなのかわ)の水源の清水が出ていたので、手を清めた。

 百人一首の陽成院の歌に詠まれている。

 筑波嶺の峰より落つる男女川

 恋ぞつもりて淵となりぬる

 

 

 御幸ヶ原コースの登山道は、ケーブルカーの線路とほぼ並んでいるので、こうした光景に出会うことができる。

 

 

 急登を一気に降りて、男体山登山口に下山した。

 

 

 15時18分、筑波山神社に戻ってきた。

 

 

 帰る途中、飯名神社に寄った。

 

 

 ここにも万葉歌碑がある。

 筑波嶺に雪かも降らる 飯名岡(いなをか)も

 愛(いと)しき児(こ)ろが 布(にの)乾(ほ)さるかも

             巻14-3351

 

 

 夕日に染まりつつある筑波山を後にした。

 

 

 この日の歩行距離は7.4km、所要時間は4時間51分だった。