2024.7.25 嵐の前の静けさ。西武4000系を愛でて秩父…夏の小さな旅① | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

いよいよ9月。
そういえば、今年の夏も結構色んなところに行っていた。
関東からは抜け出せなかったが。

そういえば、手始めに行ったのは実は秩父だったんだな。
京王7000系ネタもまだたんまり残っているし、もう一方面のネタも丸々…
もう半月くらいは夏のネタが引っ張れそうだが、新たなネタを模索しつつ出し切っていく。


てことで、京王7000系2回目の記録よりさらに6日遡り、7月25日編。

しばらくは7月後半を行ったり来たりしながら書いていくことにする。

この日は朝に秋津に滞在していたことから、その足で飯能へ進路を取ることとなった。


登場から36年、変わったのはワンマン化関連改造と方向幕の英文表記追加くらい。

遂に昨年から今年にかけて2本が廃車され、大きな牙城が崩れ始めた。


西武鉄道としては初めて設置された半自動ドアボタン。

その後の設置は40000系まで約30年近く空くこととなってしまう。


また団臨などの臨時運用以外は飯能以東に入らなくなったのも、大きな変化。

さらには、土休日以外は秩父鉄道へも乗り入れなくなった。


運転席もマスコンがデッドマン装置対応のものに交換された程度。

多摩川線・狭山線の101系と同様なものが取り付けられている。


この7月25日は飯能10:43発で北上していく。

平日だったが、それなりにボックス席も埋まる乗車率であった。


と、いきなり高麗で、6分停車。


そしていきなり見られる、4000系同士の並び。

30年以上も日常の並びとして見られてきたが、いよいよその風景も変わろうとしている。


サステナ車両の移籍計画は遅れている感があるが、そろそろの気概は持っておきたい。

それでなくとも既に2本落ちていて、「52席の至福」以外の稼働は残り9本。


停車時間を利用して細かいポイントを…

なんて、ここ30年利用頻度が高めのこの4000系を改めて見ることは意外に無い。

そのあたりの相対的なモチベーションがまだ低めなのは、申し訳ないのは否めない。


それでも、やがてこの風景は消える。

僅かでもギアを上げて、何かできないかネタを模索はしていく。

それは、涼しくなっていくこれからの季節への宿題ということで。


この高麗では、Laviewの通過も待避した。

それを控えめに見て、いよいよ発車。


西武鉄道としては、山口線8500系以来、鉄道線唯一の採用となったボックスシート。

登場当時は東武鉄道6050系と並び、一般型電車では類少ない2扉のデラックス装備。

東武鉄道に比べれば走行距離は短いが、当時の意地にも似たプライドが垣間見える。


しかし東武鉄道6050系は野岩鉄道車以外は姿を消し、気軽に乗りには行きづらくなった。

やはり都心からは少し奥ではあるものの、気軽に乗りに行くなら今のうちである。