投稿ネタに絡めて速報的に書いただけで、細かく出すのをうっかり忘れていた。
それを今日、引きこもってデータを整理し始めたところで思い出すという…
てことで、京王7000系2回目の記録よりさらに6日遡り、7月25日編。
しばらくは7月後半を行ったり来たりしながら書いていくことにする。
この日は朝に秋津に滞在していたことから、その足で飯能へ進路を取ることとなった。
登場から36年、変わったのはワンマン化関連改造と方向幕の英文表記追加くらい。
遂に昨年から今年にかけて2本が廃車され、大きな牙城が崩れ始めた。
西武鉄道としては初めて設置された半自動ドアボタン。
その後の設置は40000系まで約30年近く空くこととなってしまう。
また団臨などの臨時運用以外は飯能以東に入らなくなったのも、大きな変化。
さらには、土休日以外は秩父鉄道へも乗り入れなくなった。
運転席もマスコンがデッドマン装置対応のものに交換された程度。
多摩川線・狭山線の101系と同様なものが取り付けられている。
この7月25日は飯能10:43発で北上していく。
平日だったが、それなりにボックス席も埋まる乗車率であった。
と、いきなり高麗で、6分停車。
そしていきなり見られる、4000系同士の並び。
30年以上も日常の並びとして見られてきたが、いよいよその風景も変わろうとしている。
サステナ車両の移籍計画は遅れている感があるが、そろそろの気概は持っておきたい。
それでなくとも既に2本落ちていて、「52席の至福」以外の稼働は残り9本。
停車時間を利用して細かいポイントを…
なんて、ここ30年利用頻度が高めのこの4000系を改めて見ることは意外に無い。
そのあたりの相対的なモチベーションがまだ低めなのは、申し訳ないのは否めない。
それでも、やがてこの風景は消える。
僅かでもギアを上げて、何かできないかネタを模索はしていく。
それは、涼しくなっていくこれからの季節への宿題ということで。
この高麗では、Laviewの通過も待避した。
それを控えめに見て、いよいよ発車。
西武鉄道としては、山口線8500系以来、鉄道線唯一の採用となったボックスシート。
登場当時は東武鉄道6050系と並び、一般型電車では類少ない2扉のデラックス装備。
東武鉄道に比べれば走行距離は短いが、当時の意地にも似たプライドが垣間見える。
しかし東武鉄道6050系は野岩鉄道車以外は姿を消し、気軽に乗りには行きづらくなった。
やはり都心からは少し奥ではあるものの、気軽に乗りに行くなら今のうちである。