迷走というものは、決して悪いことでもない。
したならしたで、次への生きた教訓、改善策への足掛かりにできるからである。
今回の延べ3ヶ月半に及ぶアディショナルタイムは、日々毎回その繰り返しであった。
…その続きは、盛夏に向けて、さらにはその先ももう少しある…予定。
5月30日、平日の締めはやはり。
蘇我で、幕張車両センターからの出庫回送を出迎え…
この日は京葉線各停で、そそくさと先行。
4月3日以来の訪問、千葉みなと駅。
まずは3番ホームの蘇我方先端で「わかしお16号」の迎撃から始めたが…
潮風ですっかり錆び付いたホーム先端の業務用手摺が悪目立ち…
あとやっぱり、高速通過は十分下がっているとはいえ怖い。
17:03、東京に向けてラストスパートしていく姿を見送り…
わずか4分後。
定期回送、2番線に入線!
この頃は、ここまで定期回送を撮る人はほとんど見られなかった。
だがそれは、定期運用終了になる6月28日までまたほとんど変わることもなかったのである。
(あくまでも、自分が行った時の実感)
この日は、トップナンバーが入るBe-01編成が回送。
そういえば今回は、乗るにせよ撮るにせよほとんど編成番号を細かく把握していない。
先に通過して行ったのが、一番検査出場が近く車体が比較的綺麗なBe-03編成。
それと比べると、どうにも草臥れ感が強い。
とにかく、ゆっくり編成を撮れたいい時間を過ごせた。
皆様は、この貴重な時間をどれだけしっかり活用できただろうか?
そんな静かな雰囲気の中で、存分に身近に255系に触れたかけがえのない時間。
時間は流れ、傍を走っていた千葉都市モノレールの車両も世代交代が進んだ。
そして、255系もいよいよ彼方へ走り去ろうとしている。
とにかく、至る所が満身創痍。
その壮絶さは、185系や381系に比べても遥かに苛烈なものだったようだ。
それでも、運用の変遷を繰り返しつつも変わらぬイメージで31年は十分立派である。
利用状況や取り巻く情勢は厳しさを増すばかりだったが、車両に罪は…
とにかく気難しい千葉房総界隈、翻弄されつつもよく走ってきたものだ。
その献身的な走りそのものには敬意を表し、もう少しの記録対峙を続けていく。
そして、17:35。
約30分近い停車時間を経て、ようやく東京に向けて走り出した。
これは後日分かるが、東京着は18:19。
そして「さざなみ3号」として折り返していくこととなる。
後続の各停で追いかけていくと、東京到着は18:28。
快速が減り、時間がかかるようになってしまったのは記録効率的にも日常利用的にも厳しい。
かつてに比べ、線路スペックを活かし切れていないように思えるダイヤ設定に寂しさを感じる。
なお、今回の一連の記録では「さざなみ3号」を利用することはなかった。
夜に房総半島に向かってしまうと、帰るのが日を跨ぐこととなる場合があったからである。
30代の頃までのような、ライブハウスで一騒ぎして終電で帰宅するような気力体力はほぼない。
そんなしんどさが表れたのか、発車見送りには露出がバグる事態に…
やはり地下駅での撮影は難しいなと頭を抱えて、この日は帰宅した。
なお、翌5月31日も撮影を計画したが、仕事が夜まで掛かり断念。
少し手持ち業務が減った6月前半、間隙を縫って仕掛けを増やしていくことになっていく。