【激務と多趣味のはざまで05】東武鉄道’10 池袋勤務時代末期の悪足掻き!東上線古株の小記録 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

ここまで、あまり良くない記憶と共に振り返ってきた東武鉄道の記録。

2010年は池袋に転勤したが、度重なる体調不良やトラブルに見舞われ夏に遂に退職を決意。

以前のように配置転換ではなく退職を上申したあたり、心身が限界に達していたのだと思う。


…しかし当初は、8月15日付での退職を約1ヶ月前に上司2人に直接具申していたにも関わらず

「後進が育ちきっていない」という社内のしょうもない理由で退職日が1ヶ月延期になった。

おまけに労基絡みで問題が発生したらしく、最終月は公休が増える代わりにあれやこれや調整が

掛けられていて、月給の手取りが7万ほど増えていた。

念書みたいなのにサインした記憶があるから、以前のサービス残業とか上手く丸め込まれたかと

今振り返るともうちょっと粘っておけば…とかあれこれと忸怩たるものがあるが、当時は一刻も

ブラックな会社を早く辞めたかったから、まぁしょうがなかったのかなと思いたい。

ともかく、最後の最後に手取りが上積みされたのは、10月の行動に好影響があった。


…あとは、電話越しの無理難題の恫喝に対して、激しく啖呵切っておけば良かったかなとか。

ただ、当時の直属の一番上の上司は色々親身になってはくれた…というのも特記はしておく。


そんな激動著しかった池袋勤務最終期…

9月に入っても旅の日の朝に仕事が入るとか、母方の叔母が急逝したりとかあった中…

更に退職3日前になって、また社内のゴタゴタで雷を落とした記録が。

この時は夜勤明けに現場にまで赴き、相当に厳しいお灸を据えていたらしい。

だがその現場対応が東武東上線沿線(朝霞)だったために、直帰のタイミングで再会が。

 

2010年9月12日日曜日、成増にて

前回の遭遇からおよそ半年。

最後の原型顔・8000系8111Fとの再会だった。


この半年の間に、もう1編成の原型顔だった8112Fは廃車されて敢え無く解体…

この8111Fも、離脱まで時間の問題と思われていた。

そして翌年、遂に離脱となるわけだが、その希少性を汲み東武博物館所有という形で動態保存。

以降は塗装を変えつつ、団臨や多客臨時列車、イベントなどで使用されてきあ。

コロナ禍以降運行実績のないまま南栗橋車両管区に留置されているが、最近塗装修繕など動きも

ちらほらあるようで、今後の動きが気掛かりである。


この頃は、池袋〜成増間の普通列車運用に入っているのが多かったような。

現に、自分は結局のところ現役時代は池袋〜成増間でしか見ていないままで終わっている。


ところでこの時8111Fを撮っていたら、全く意図しない邂逅があった。

ここにきて俄然去就が注目されている9000系のトップナンバー・9101Fである。

たまたま9000系が来たな、ってだけでカメラを向けたが、これが今タイムリーになるとは…


先行量産車としての仕様の違いから、副都心線直通の改造対象からは外れ…

有楽町線のホームドア整備に伴い、この2010年5月には地下鉄乗り入れ運用からも外れた。

従ってこの邂逅は、地上線限定運用になってから比較的早い時期だったことになる。

以来、地上線専用として使用されてきたが、故障をきっかけに約3年ほど運用を外れている。


そんな9101F、つい昨夜森林公園検修区でパンタグラフを上げて通電している姿が確認された。

ただ、これまでの傾向…昨年の10000系11004Fの場合、故障後運用を外れて数年ぶりに通電を

していたなと思ったら渡瀬に廃車回送されてしまったため、さまざまな憶測が流れている。

ただ、既に製造されてから40年以上となり、JRや他の大手私鉄の車体更新・機器更新車を除き

もう相当な長老…とっくに廃車されていてもおかしくない部類に入ってきているだけに…

ただそれは東武鉄道、それに当てはまらない事例もまだ多く残されているけど。

もうワンチャンあるのか??それとも??

 

さて、そんな邂逅を経て、引上線から出庫してくる8111Fを出迎えた。


東上線はまだATSの頃で地上信号機があるが、それ以外は現在と変わりはない。


8000系2形態の並び。

まだこんな並びが日常で見られた頃だった。


そして、当時最新鋭の50090系とも。

共演期間は短かったものの、間違いなく記録の一ページに両系列は併存していた。


ミラー越し、なんてお遊びも少し。


そしてこの時は、池袋に戻る流れで乗車していた。(会社に帰ったわけではない)

通常営業時に乗ったのは、この時が最初で最後だったようである。


普通列車は、今とそんなに変わらず空いていた。

特に日曜の午前だったせいか、それは顕著だったみたいである。


…そしてここで、人知れずこの日3発目の雷を落としていたみたいである。

当時のブログを読み返してみると、鉄道趣味者の質の深層はそんなに変わっていないようだ。


中板橋で、後続の優等列車を待避する風景も変わっていない。

変わったのは、東上線を走る電車。

いくら寿命が平均的に長い東武鉄道とはいえ、確実に時代は移ろいでいる。


そんな日常風景を切り取り続けることを、これからも続けていきたい。


そして、池袋に到着。


まだホームドアの影も形も無かった頃。

この10年余りで、首都圏の鉄道界隈は大きく様変わりした。


昭和から平成にかけて、発展期の通勤輸送を支えてきた8000系。

20年間で712両という東武鉄道の歴史随一の多数派勢力を構築し、付いた異名が私鉄の103系

そんな8000系も、次第に数を減らし続けている。


さまざまな思い出は、時にブレーキシューの独特な匂いと共に。

そんな記録をここでようやく蔵出しし、そしてまたその先も見据えて歩き続ける。