高校入学記念の一日周遊旅。
この頃は何もかも目新しい、フレッシュな鉄道旅行。
《ここまでの行程》
国立→中央線→八王子→八高線→寄居→秩父鉄道線→熊谷
熊谷からはJRに戻り、高崎線に乗り換え。
さすがにこの頃はまだ上越新幹線に乗ろうなどという頭もないし、そもそも高崎線も初乗車。
この頃はまだまだ主力の115系で、バリバリの唸りを体感していたのである。
中央線に育ち、山岳区間の鈍い唸りに慣れ切っていた身には、その走りぶりは新鮮に感じた。
加えて、湘南色の115系に乗ることもこの時が初めてだった。
北上尾にて
最初の頃は、どの路線に乗ってもほとんど先頭車がお決まりの乗車位置。
そんな高崎線の初乗車では、何故か運転台越しに撮っていたのは貨物列車だった。
この頃はEF65形0番台による貨物列車も多数走り、旺盛だった需要を支えていた頃だ。
JR化後に国鉄清算事業団から車籍復活した車両も多数いたが、この46号機も同様の経緯。
1988(昭和63)年11月に高崎機関区に再配置され、1998(平成10)年まで運用された。
中央線界隈はEF64が多かったせいかEF65、とりわけ0番台はレアな存在。
既に0番台は老朽廃車が進行していて、車籍復活車も再離脱が始まっていた頃。
なかなか記録に本腰に入る前に消えていったため、貴重なカットである。
大宮からは埼京線に乗り換え。
埼京線自体は、既に1990(平成2)年4月8日の青春18きっぷ旅の際に新宿から完乗しているが
その時はまだ103系のみの運用だったため、埼京線で205系に乗るのはこの時が初であった。
武蔵浦和で快速と接続し乗り換え。
開業から約10年という時期であったが、既に利用率は上々であった。
赤羽で京浜東北線南行に乗り換え。
であるが、撮ったのは何故か北行。
103系が撮りたかったからだったのだろうか?
赤羽駅では高架化工事が進行中で、京浜東北線がまだ旧ホームの頃である。
王子付近では、EF66牽引の貨物列車と行き違い。
タイミング悪いカットであるが、この時がEF66との初対面である。
そして、上中里では京浜東北線205系との遭遇も。
中央・総武緩行線と同様本数が少ないまま推移し、実際に乗れた記憶は無い。
とにかく半端な汚写真ばかりなのが忸怩たる思いなのだが…
200系2000番台や常磐線クハ415-1901など、気になる個体に次々出会っていた。
秋葉原からは総武緩行線に乗り換え。
この時は、習志野電車区配置の103系が主力の様相であった。
錦糸町駅では、電留線に停車中の113系に目を向けている。
まだスカイツリーなど夢のまた夢、そもそも建つなどとは想像すらできなかった時期。
置き換えが始まりつつも、前面強化改造車などバラエティに富んでいた頃だ。
ここから総武快速線に乗り換え、東京へ。
当時絶賛増備中のE217系に初乗車。
馬喰町、新日本橋とかねて興味の大きかった地下区間を踏破していく。
そして東京駅横須賀・総武線地下ホームでは、253系の併合作業を見学。
ここでもピンボケに遭い、カメラの気難しさに四苦八苦していく…のは現像後の話。
写真を現像してみないと分からない仕上がりには、この時期は随分苦しめられたものだった。
…旅はまだまだ続く。