【90's DOOR 028】1995.4.2 高校進学記念!スーパーホリデーパス一日旅② | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

高校入学記念の一日周遊旅。

この頃は何もかも目新しい、フレッシュな鉄道旅行。

《ここまでの行程》

国立→中央線→八王子→八高線→寄居→秩父鉄道線→熊谷


熊谷からはJRに戻り、高崎線に乗り換え。

さすがにこの頃はまだ上越新幹線に乗ろうなどという頭もないし、そもそも高崎線も初乗車。

この頃はまだまだ主力の115系で、バリバリの唸りを体感していたのである。

中央線に育ち、山岳区間の鈍い唸りに慣れ切っていた身には、その走りぶりは新鮮に感じた。

加えて、湘南色の115系に乗ることもこの時が初めてだった。


北上尾にて


最初の頃は、どの路線に乗ってもほとんど先頭車がお決まりの乗車位置。

そんな高崎線の初乗車では、何故か運転台越しに撮っていたのは貨物列車だった。


この頃はEF65形0番台による貨物列車も多数走り、旺盛だった需要を支えていた頃だ。

JR化後に国鉄清算事業団から車籍復活した車両も多数いたが、この46号機も同様の経緯。

1988(昭和63)年11月に高崎機関区に再配置され、1998(平成10)年まで運用された。


中央線界隈はEF64が多かったせいかEF65、とりわけ0番台はレアな存在。

既に0番台は老朽廃車が進行していて、車籍復活車も再離脱が始まっていた頃。

なかなか記録に本腰に入る前に消えていったため、貴重なカットである。


大宮からは埼京線に乗り換え。

埼京線自体は、既に1990(平成2)年4月8日の青春18きっぷ旅の際に新宿から完乗しているが

その時はまだ103系のみの運用だったため、埼京線で205系に乗るのはこの時が初であった。


武蔵浦和で快速と接続し乗り換え。

開業から約10年という時期であったが、既に利用率は上々であった。


赤羽で京浜東北線南行に乗り換え。

であるが、撮ったのは何故か北行。

103系が撮りたかったからだったのだろうか?

赤羽駅では高架化工事が進行中で、京浜東北線がまだ旧ホームの頃である。


王子付近では、EF66牽引の貨物列車と行き違い。

タイミング悪いカットであるが、この時がEF66との初対面である。


そして、上中里では京浜東北線205系との遭遇も。

中央・総武緩行線と同様本数が少ないまま推移し、実際に乗れた記憶は無い。

 

とにかく半端な汚写真ばかりなのが忸怩たる思いなのだが…

200系2000番台や常磐線クハ415-1901など、気になる個体に次々出会っていた。


秋葉原からは総武緩行線に乗り換え。

この時は、習志野電車区配置の103系が主力の様相であった。


錦糸町駅では、電留線に停車中の113系に目を向けている。

まだスカイツリーなど夢のまた夢、そもそも建つなどとは想像すらできなかった時期。

置き換えが始まりつつも、前面強化改造車などバラエティに富んでいた頃だ。


ここから総武快速線に乗り換え、東京へ。

当時絶賛増備中のE217系に初乗車。

馬喰町、新日本橋とかねて興味の大きかった地下区間を踏破していく。


そして東京駅横須賀・総武線地下ホームでは、253系の併合作業を見学。

ここでもピンボケに遭い、カメラの気難しさに四苦八苦していく…のは現像後の話。

写真を現像してみないと分からない仕上がりには、この時期は随分苦しめられたものだった。


…旅はまだまだ続く。