ある私鉄を代表する特急が、世代交代を迎えようとしていた。
西武鉄道のレッドアロー、5000系。
1969(昭和44)年10月の西武秩父線開業でデビュー。
四半世紀にわたり西武鉄道のフラッグシップトレインとして、時にはお召し列車の栄誉を担うなど活躍した
私鉄特急列車の中でも押しも押されぬ名車のひとつとして、西武線内を広範に活躍してきた。
しかし遡ること1993年から、10000系「ニューレッドアロー」の投入が開始されてまず新宿線から撤退。
本車は10000系に主要機器や台車を供出することになっていたために、翌1994年から廃車が急進。
その過程で、6両分の車体が富山地方鉄道に譲渡されるという動きもあったが…
この1995年の10月いっぱいで定期運用から撤退することが発表されたのが、この年の夏のことだった。
それまで、まぁ普通の高校生?だったから、やはり特急列車は気がひける部分があった。
撮るにはまるで構わないが、いざ乗るには特急料金が負担になるという。
そんなことはあったが、こと今回は自分にとって極めて身近な存在だった西武鉄道のこと。
この頃すでに廃車が進行中の401・701系シリーズを好んで撮っていたが、引退の報を聞き重い腰を上げた。
1995年8月23日、水曜日。
この日は部活で登校日だったのか忘れたが、各所で撮影した記録がある。
そんな中に、初めてまともにレッドアローを撮っていたのは池袋駅で。
そこに居たのは10000系電車。
そう、1995年夏ではもう置き換え最末期、5000系はすでに3編成しか残っていなかった。
(といっても、製造されたのも6両6編成どまりだったけど)
今みたいに運用なんぞも分からなかったから、半ばぶっつけで行って空振りしたオチだったのだろう。
それでも、レッドアローはレッドアロー。
てことで、初乗車はこの1995年8月23日。
さすがに西武秩父まで乗り通そうという勇気や気概は、この頃は微塵も無かったらしい。
音も5000系と同じだし、10000系に対する特別な感慨もメモを見る限りではまるで無かったみたいだ。
それでも、ここにきて001系Laviewの投入によりいよいよ世代交代が始まったから、長い時の流れを感じる。
そんな折に飯能駅ホームでたまたま入線してきたのは、こちらも絶滅寸前だった西武鉄道の貨物列車。
私鉄最大級のF形電機・E851形が貨物を牽く姿に出くわしたのは、実はこの一度きりだったようだ。
4000や9000系製造の頃に、先の10000系のような部品供出名目で一部廃車にはなっていたが…
そんな理由もあって記録数は少なかったものの、それとなく撮影はしていたみたいだ。
特に旧101系については、この後の動きから記録する機会が増えていくことになる。
…しかたなく、東飯能駅から八高線で帰路につく。
当時は高校の先輩が西武鉄道の飯能駅管区勤務で、東飯能駅も担当していてたまにお会いしていた。
この時も確か遭遇して
「お前、何しに来たんだ」
って改札で言われた記憶があるw
(当時の東飯能駅は西口のみに駅舎があり、ホームが隣接する西武鉄道が一括管理していた)
しばらくして、
と思っても、後の祭り。
一本後の特急が5000系だったのだった。
通過していく5000系を恨めしく撮って、この時はしかたなく帰宅。
1995年9月9日(土)
そんな前回のリベンジ(当時そんな言葉は広く浸透してない)を期したのと、学校が始まってから同級生に
ある誘いを受けたことから注目度が上がり、また撮りに行こうという気になったみたいだ。
土曜日だから学校が終わった後になるが、またまた西武池袋駅に向かってみると。
今度はちゃんと5000系が居てくれた。
こちらで、また飯能まで乗って行くことに。
(やっぱり西武秩父まで行く勇気までは持ち合わせていなかった)
同じアングルを複数撮ってもいるが、それでもフィルム残数を気にしてコマ数は限られたもの。
今だったらこう撮っていたとかあれやこれやツッコミ所が多数あるが、当時はそれで精一杯だったのだ。
今にして思えば、廃車直前の車両とは思えないほど綺麗に保たれていた。
それもそのはず、1987〜88年にかけて特別修繕が行われてシートなど内装類も全交換されていたからだ。
このクオリティで廃車になるというのが、半ば信じられないほどだった。
1993年5月12日に運行されたお召し列車に際して、充当された5507編成そのものだったのだ。
当時はとりあえず撮っておいて余剰分アルバムに差し込んでおいたのだが、今思うと非常に貴重な記録。
撮影から24年にして、ようやく陽の目を見ることになった。
観光列車(アルプスエキスプレス)化により原型は失われてしまったが、今なお現役で活躍している。
引退間近の車両の内外を定期運用時にしっかり撮っていくスタイルは、この時に確立できたようだ。
そしてこの1995年の秋は、西武鉄道と初代レッドアローの存在が鉄道趣味をアツくさせていくことになる。