あの末恐ろしい喧騒を経て、昨年11月に運行を終了した東京メトロ6000系。
あまりにも酷い体たらくに、しばらくテンションは下がる一方だったのですが。
この際正直に書いてしまいますが、自分の中では6000系は嫌いな車両の部類に入っていました。
同じような感じで、有楽町線・副都心線7000系と半蔵門線8000系も含まれます。
理由はズバリ、
前面展望が望めないから
でした。
高校進学と共に乗り鉄が活発化し始めた頃、特に初見路線は御多分に漏れず前の車両に乗っていました。
それは40を手前にした今でも変わることはないのですが、地下鉄線区間内ならまだ諦めがつくのだけれども
特に乗り入れ先では、いざ6000系が来たりすると敬遠してしまうことも多かったのが正直なところ。
したがって、被写体として残した記録も、そう多くはない。
そういう気難しい記憶が、これらの系列には複雑に絡み合っているのでなかなか書き進められなかった。
まぁ、先月発売の鉄道ファン誌でも特集が組まれていたし。
自分も少ない記録から掘り出して、自分なりに送ってみようと思います。
1995年4月14日金曜日
1995年5月25日木曜日
1995年9月29日金曜日
松戸にて
さて、最初に営団6000系を捉えていたのはJR常磐線でした。
同級生に沿線民が多かったことと、まるでこちらの界隈に縁がなかった事が足を向ける要因になっていた。
まだ部活も決める前だったから、放課後は時間に余裕があったし。
旧カラーの新京成電鉄もまた、懐かしい
やはり、常磐線。
当時は千代田線内では積極的に撮影していなかったみたいだ。
1995年8月8日火曜日
今はなきJR東日本203系、JR東海371系との並びなんぞも遠い遥か過去の姿に。
1995年9月19日火曜日和泉多摩川にて
1995年9月29日金曜日
今となってはどれもこれも、貴重なワンシーンになってしまった。
最後の写真は、小田急線の初代地下鉄乗り入れ車9000形の姿も見える。
ことに成城学園前駅は全て地下になってしまったから、今となっては偲べる雰囲気すらないし。
それでも、こうして残してある記録を見直すと
自分、偉い!
とも思える。
たとえ数コマでも、手元にあるだけでもまず御の字。
それをどう活かしていくかは、これからの課題でもある。
まずはそれをコツコツと定期的にやって、先を見据えてそなえていかないとね。