【90's DOOR 005】1994年6月・修学旅行で関西初上陸!《1日目》 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

1994年。
この頃から、鉄道欲は俄かに活発になっていた。

きっかけは、修学旅行。

うちが通っていた中学校は3年の一学期にあり、京都・奈良が行き先だった。
まぁ東京の公立中学では、たぶん当時はごく普通の行き先。
だが自分は、父が立川育ち、母も山梨県上野原育ちなので、これまで書いてきてなんとなく分かるだろうが
旅行以外では関東甲信越、それも行って神奈川・埼玉・千葉・栃木くらいが限界だったから、中部を越えて
関西に行くなんてのは夢のまた夢、宿願とも言える大きなことだった。

しかもうちの中学は、というかどこでもやっているだろうが二泊三日の二日目は班での自由行動があった。
但し、立命館大学国際平和ミュージアムへの立ち寄りが必須条件。
こういうのを組み込むあたり、いかにも良くも悪くもうちの地元らしいというか…
(ちなみに前年の都内見学は、夢の島公園内の第五福竜丸展示館が必須条件だった)

それでも、それさえ守ればどこに行ったっていい。

行きようによっては神戸も可だと。

そんなわけで、5月くらいからみんなそれぞれに奮い立ってプランづくりに突入していた。
もちろん自分も、未知なる関西へ知識をフル回転させて自らの班のプランづくりを…

とはいかなかった。

うちの鉄道好きを知った他の班の奴らや、他のクラスの奴らが、次々にどうしたらいいか聞きに来た(笑)
こっちは関西に一度も行ったことないというのに(笑)
しまいには、他のクラスの奴らが廊下に並ぶという事態に至って、

鈴木、訪ねて来てるけど何とかして!

とまで言われ(笑)
しょうがないなぁと出て行けば、手を引っ張られて違うクラスに引きずり込まれ。
今にして言えば、軽い誘拐・拉致である(笑)
まあ変に嫌われることもなく?頼られていただけまだ良かったのかもしれないが。
のちに卒業アルバムにも鉄道好きの個性派とか書かれていたしσ(^_^;)

そんなこともあって、こちらの希望は悉く却下の憂き目に遭い。
それでもどうにかプランを策定し、行けるだけいいと自らを励ましてその日を待った。

1994年6月14日、火曜日。
朝早く、国立駅から中央線快速に乗り、東京駅へ。
あいにく雨模様の中でのスタートだった。
確か東京駅まで班ごとの行動だったはずで、東京駅で点呼を取ったような。 
しかし、乗って行こうとしていきなり貨車の配給列車を収めるあたり、鉄運は持っていたらしい。

そして、東京駅16番線から乗ったのは…

100系ひかり!

当時はやっと300系のぞみが1時間に1本の運転になったばかりで、しかも料金の格差があったからまだまだ
100系ひかりがメインでバンバン東海道新幹線を走り抜けていた頃だった。
この修学旅行は、東京〜京都間の往復で100系にお世話になったが…
のちにライブ参戦などで旅するようになった時にはすでにのぞみ全盛だったから、貴重な経験になった。

とはいえ、さすがに修学旅行なので車内を歩いて食堂車に行ったりとかはしていない(笑)
当時の担任のM先生は優しかったから特段ダメと言われたりした記憶はないが、さすがに自重した。
そこでどうしていたかというと、行きはクラスの友達とひたすらウノに興じていたらしい。
しかも一時は担任の先生も加わって、かなりガチに対戦してみんなでワイワイ騒いでいたようだ(笑)

もっとも、その号車はほぼ貸切だったから気兼ねなく遊べたんだけどね。
手元には、そうやってウノで遊んでいた時に撮ったスナップ写真が残っているのだが…
担任の先生がカメラに向けて手の内をバラしてたし(笑)
はい、うちのクラスは遊ぶときはとことん遊んで、明るく楽しいクラスだったのです…

当時ひかりの東京〜新大阪間は2時間56分運転だったはずなので、2時間40分くらいで京都に着いたろうか。
東京を出てくるときは雨模様だった空も、修学旅行日和の好天に!
そこからは近鉄に乗り換え、京奈特急で近鉄奈良へ移動。
憧れのビスタカー、4両編成をほぼ貸切に近い状態で近鉄奈良まで乗車したが、近鉄電車の写真は残念ながら
どこをどう探しても、この中途半端な一カットしか残っていない。
実はそこから下ること9〜10年後に年1〜2回のペースでここを利用することになるのだが、やはり意外にも
ここで撮った記録が残されていないのはどうしたものだろうか?

そして、近鉄自体も他に乗ったのは名古屋〜大阪難波のアーバンライナーと松阪まで、けいはんな線くらい。
別に西武ライオンズの黄金時代に常に手強かったのを妬んでいるわけではないですよ?(笑)
近鉄に限らずまだ関西私鉄は、手をつけていない路線が多く残っています。

さて、それでもこの乗車時は、隣の号車、ビスタカー自慢の二階建て車両に足を運んでいた。
残念ながら自分の乗る号車は二階建てじゃなかったのだが(1組のため)1階席に陣取る3組の女友達の所を
訪ねてスナップ写真を撮って、ついでにデッキのブルーリボン賞プレートを撮っていたようだ(笑)
この頃からスナップ写真、オフショットの類はすでに得意分野だったらしい。
結果的に、更新前のビスタカーに乗ったのはこの時が最初で最後になった。

…但し、この日の鉄道写真はこれで終わり。
奈良からは奈良公園、法隆寺と巡って京都へ戻ったが、そのルートは終始バス移動だったからだ。
バスの車内で何をして過ごしていたか、などは約四半世紀前になるためにほとんど記憶にない。
ただ一言だけ、覚えているフレーズは

チャウチャウちゃう?
ちゃうちゃう、チャウチャウちゃう。

くらいだったような(笑)
確かバスガイドさんが教えてくれて、やけに盛り上がったなぁと。

そして当然、ホテルがどこだったとか、どう過ごしていたとかほとんど記憶から脱落しているσ(^_^;)
ひとつだけうっすらと記憶の片隅に残っていたのは、同室だったN君がコンタクト着用していたのをそこで
初めて知ったという、実にとりとめのない話だったような(笑)

そんな感じで、なんとなく浮き足立った修学旅行の記憶と記録。
まだまだ続きます。