上信電鉄150形151F(元西武鉄道401系407F)5月25日引退 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

西武401系。
411系として1964(昭和39)年に登場し、2両編成という小単位で主に701系列の増結用として使用。
先輩車の451系同様の切妻前面を持ち、当初は吊り掛け駆動だったがのちに冷房化・高性能化。
以後は増結用以外にも多摩湖線の冷房化サービスや351系置き換え後の本運用にも就いたり、また一時期は
多摩川線にも転籍していたりと、西武線内で広範に運用されていた。
2両という小単位が好まれて廃車後も19本全車が新たな移籍先を見出し、今もなお多数が活躍する。

そのうち、群馬県の上信電鉄には2両1本が譲渡されていました。
元407編成で、同社150形の151編成として長く活躍してきました。
昨年9月に下仁田に訪問した際にも対面していますが…
いよいよこの25日で、営業運転からの引退が決定。
先週11日に群馬を訪問した帰り、時間を調べてどうにか乗りに。

なかなかダイヤのタイミングが合わず、高崎駅で駅員氏に聞いたら下仁田から戻ってくる列車に充当中との
話で、ダイヤを調べて『西山名』駅で迎撃することに決定。
無事に当該を捕まえ、最後の乗車となりました。

車内はワンマン化装備がされた以外は、ほぼ西武時代のまま。

しかしシートモケットはところどころ継ぎ接ぎされていたりと、疲弊は隠しようがない。
製造から53年、上信電鉄再デビューからも四半世紀を超え、芳しくない線路状況の中よく走ってきた。

そして、モーターの走行音は西武時代の唸りそのものだった。
西武多摩湖線で野球の応援に行った時や、2014年に三岐鉄道に訪問した時の記憶が蘇る。

15分足らずで、高崎に到着。

駅員に断りを入れて運賃計算を後にしてもらい、構内で撮影。
これは発車前点検でヘッドライトをつけたタイミングで撮影。

2014年に飾り帯の磨き出しが行われてからは、より原型に近いスタイルで最後を迎える。

シンプルながら好ましいデザインのさよならヘッドマークが、8日から貼り付けられている。

運転台も、ワンマン機器が追設された以外は西武時代と大差ないか。
それでも、確実に年代を重ねてきたことは伺える。

この日は、先頭側のパンタグラフを降下。
2基とも残されており、状況によって上げるパンタグラフを変えている様子。

高崎駅(車両センター)構内に残されている115系との並び。
この並びも、まもなく見納め。

折り返し発車まで見送って、ここでの撮影を終えた。
発車近くになって、群馬在住の知り合いにバッタリ出くわしてかなりビックリしたが(笑)

厳密に言えば、原型で走る旧401系はもはや皆無だが…
それでも近年は西武時代に限りなく近い姿で走り続けてくれたことは幸いだった。
ついにそれも、残り10日余りで終わることになるが…
故障、事故、トラブルが無いように、最後まで務めを全うして欲しい。