昨日は、東京都国立市立国立第二小学校(以下国立二小と称す)の第一回同窓会。
63年の長きに渡り止まり続けていた歯車が、ついに動き出した。
総卒業生数、8,601名(平成25年現在。一時的にあった分校も含む)
今まで、自分が通ってきた学校でこういった動きは皆無だった。
それぞれに細々とした縦横のつながりはあれど、これほど大掛かりなものはなかった。
専門学校に至っては廃校になってしまい(爆)その後ろ盾を失っている。
しかし、連絡手段の希薄さにより集った人数は僅か。
しかも、自分より下(平成5年以降)の参加者は皆無という寂しい状況。
先に書いた8,601名の卒業者数から、幾らか鬼籍に入られた方がいるにせよ、この少なさは
とてつもなく寂しい。(我々の年代でも、1998~2005年の間に3名死去している)
さらには、当時お世話になった先生方も誰もお見えにならなかった。
身体が大きくなり、以前より狭く感じる体育館ですら、空きスペースが多くて広く感じるほど。
個人情報保護の流れが強くなり、連絡に困難を極めたとはいえ、残念なことではあった。
しかし、今回の同窓会を種として。
種を蒔き、花を咲かせ、広げて行くきっかけになれば…
その強き郷土愛、母校愛が自分を、志ある諸大先輩方を揺り動かした。
また、現校長の川畑先生、副校長の齋藤先生の情熱も絶大だった。
3年前の創立60周年記念行事以降、その動きが活発になったのは大いに喜ばしい。
そして昨日、この晴れの集いになった。
だから、総参加者数の数倍、数十倍も意義のある素晴らしい集いになったと思う。
総会後、桜の木を記念植樹。
台風の影響が懸念されたが、無事に上がった。
その天気が、前途を祝福しているかのよう。
総会後の空いた時間、久々に母校の校舎に足を踏み入れた。
折からの少子化で一学年3→2クラスとなり、教室の配置も大きく変わっていた。
特に、一階に1年生が居たのが居なくなっていたのが大きな変化だった。
それでも、その校舎の雰囲気は27~21年前まで居た学校のほぼそのままだった。
足を踏み入れると、色々な思い出が走馬灯のように蘇るのがわかった。
川畑現校長先生の招きに応じ、校長室にも訪ねた。
在学中に関わった3名の校長先生の写真を見つけ、また思い出が頭をよぎる。
特に一番左の比留間先生は、5年の鉄道研究クラブの校外見学で交通博物館に行った時
秋葉原駅の改札からなかなか出てこなくて、逆に自分が引率したようだったとか(爆)
当時からテツだった自分は、妙な行動力を発揮していたのだ(^-^;)
そして、校長室の本棚に、自分たちの頃の卒業アルバムがあったので見せてもらう。
この頃の自分の写る写真は、さまざまな事情があってほとんど笑っていない。
それでも、こうやって愛着を持ってかかわろうとしているのだから不思議なものだ。
とにかく、在学中もさまざまなことがあった。
そして、この学校を巡っては卒業後もさまざまなことがあった。
詳しくは書けないが、何度心が折れかけ、また離れそうになったことだろう。
悲しみ、怒り、さまざまな感情が沸き起こった学校だった。
だけどそれでも、6年間過ごした学舎の記憶は消えることはない。
シンボルの「二本松」、春に学校の周囲を彩る「桜」、etc…
この学校に通い、唯一無二の縁を作れたことに、今はただ感謝をしたい。
すでに鬼籍に入られた恩師の先生方、同期の仲間達も居る。
その人達の分も、大いに盛り上がり大いに意義ある同窓会を作りたい。
たかが小さな街の小さな小学校の、ごく僅かな集まりに思えるかもしれない。
しかしそこで紡いだ縁は、これからも続くのだから。
ここを新たなスタートラインとして、母校発展の一助になるように。
果ては地域活性化の一助になるように。
今後も微力ながら、我が力を捧げることができればと誓った。
実は、地元の市議会議員になっている(民主党)
彼女からFacebookで知らせを貰わなければ、この集いに参加することもなかった。
その類いまれなる行動力には、ひたすらに感謝。
でも、喋り方がすっかり議員しちゃっている以外は
あんまり変わってないねw
約二時間、挨拶ありのスライドショーあり、現校長指揮による校歌斉唱ありの濃密な二時間。
世代を超えて、同窓の下に新たな前進が始まった。
国立二小万歳!!
来年10月、校庭の芝生化が行われるという。
それを目標に、またこの同窓会の歯車は力強く回転を始めた。
我々平成4年3月卒42期生も、まずは周囲から少しずつ。
残念ながら同期の集いは台風の影響を懸念して中止になっていたのだが、また近いうちに
改めて開催し、つながりを強くできるようにしたいね。