さよなら・山手線6扉車 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

昨日、けいせいママ達と別れて、秋葉原で買い物してふとTwitterを見ると


enari

chakeshiがリツイート


というツイートが!!
慌てて秋葉原駅に取って返し、10分ほどホームで待ってみると…

たいちょうの心のつぶやきVer.2
ツイート通り、外回り47G運用(1847G)にて現れました。
せっかくなので乗車。

たいちょうの心のつぶやきVer.2
乗ったのは、サハE230-503。
502編成の10号車に組み込まれた車両です。

たいちょうの心のつぶやきVer.2
最期まで、日常のまま運用を終わります。

たいちょうの心のつぶやきVer.2
大崎にて

たいちょうの心のつぶやきVer.2
恵比寿にて
この車両の退役により、手付かずだったホームドアの工事が本格化します。

たいちょうの心のつぶやきVer.2
腰掛のステッカーと引き出し可能を示すランプ。
しかし、昨年2月19日以降このランプが消えることはなくなった。

このサハE230-500は、山手線E231系500番台導入に合わせて新造された6扉車。
合計104両が作られ、205系の1編成1両に対して各編成2両が組み込まれた。
以降、平日朝は腰掛を収納してラッシュ時に威力を発揮。
しかし、ホームドアの整備開始によって4扉車のサハE231-600・4600を新造して組み込みを行い
中央・総武線用の0番台より先に、わずか車齢6~9年そこそこで廃車の運命を辿ることに…

自分はどちらかというと、一代前のサハ204形(現在、埼京線横浜線に移籍し運用中)のほうが
通学でおよそ6年間馴染みが深く、このサハE230-500は昨年初頭に池袋に転勤してからわずか
9ヶ月程度の付き合いになる。
それも、転勤してからわずか一ヶ月半後はに4扉の置き換え車両が入り始める。
山手線が発祥だったラッシュ時の腰掛収納は2月19日で終わりを告げ、以降はただの6扉車に…
それも、月を追うごとに少しずつ減って行っていた。
最近は時々しか山手線に乗っていなかったが、だんだん姿を見ることさえ珍しくなっていた。

もう、そろそろだよね?

そんな話をけいせいママとしていた矢先、唐突の運用離脱…
先代が入った当初は批判もされ、決して評判はよろしくなかった。
それでも腰掛の座り心地も改良され、個人的にも嫌いではなかったけど…
ただやみくもに扉を増やすだけで、ラッシュがすぐ解消されるわけでもない。
いろいろな世論や、時代の流れに翻弄されてしまったのだろうか。
そう考えると、なんとも不遇な車両だったと思う。

それでも、廃車になった車両の一部の部品は、代替に投入されているサハE231に流用されて
その魂は細々ながら引き継がれている。
残った車両たちの、末永い活躍を祈りたい。

自分の最終乗車は、1847~1947G 秋葉原→(外回り)→新大久保

これで、自分とサハE230-500の短い付き合いは終わった。

ありがとう、サハE230-500!