私は茶道を始めるまで着物に縁の無い生活だった。

成人式に振袖を着させてもらい、時は過ぎた。

着物を時々着るようになってから、実家で押し入れを物色?

その時に成人式で着た振袖と振袖用長襦袢も持ち帰った。

さて、しばらくはしまっておいたが、どうしたら良いだろう?

・人に譲る
・リサイクルショップで売る
・オークションへ出品
・訪問着にお直しする

とにかくシワ取りと臭い取りのため、着物用ハンガーに掛けて風に当てたりしていた。

しかしどうしよう。

リサイクルショップでは二束三文。

オークションは中古着物は人気がない。

人に譲るにも大女を探さねば(笑)

結局、お直しすることに決めた。

私の財政状況では、生涯自分の寸法の訪問着など作ることはできないかも。

それならば、お直しの方が安く上がるし。

せっかく親が作ってくれたし、柄も気に入ってるし。

決めたら、お直しをしてくれる店を探した。

大雑把な見積もりを聞き、実際にどのようなお直しになるのか、着物を見ていただく。

着物を預け、返事待ちしているところだ。

訪問着を着る機会はどのくらいあるかわからないが、未来に期待?して、、

また、私が亡き後は茶道好きな大女に譲ろう、ぜひ(笑)
今夜もフィギュアスケート全日本選手権が放送されている。

土日祝日に働く確率が高い私は、今日も仕事!

フィギュアスケートは途中から観始めている。

フィギュアスケートで、茶道関連のことを思い出すことがある。

~フィギュアスケートの解説で、大柄の選手は雑な演技だと小柄な選手より目につきやすい。

だが、きれいな演技をすると小柄な選手より、より美しく見える~

私は何気なく聞いていた。

その後、先生からこのことを言われた。

茶道のお点前も当てはまるのだ。

先生は大柄な弟子(私のこと)を教えることになり、「大柄な」が心の片隅にあったのだろう。

私にとっては、とてもうれしいことだった。

あれ以来、お稽古のたびに「大柄な人は~」が出てくる。

ただ、フィギュアスケートという言葉はいつの間にか抜けているが、、、

私は忘れられず、フィギュアスケートを観るたびに思い出す(笑)

今夜先生が御覧になっていたら、新年からあの言葉が出てくるかも、「フィギュアスケートでは」が付いて(笑)
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根津美術館は12月25日まで「中国の陶磁・漆・青銅」の展示をしている。

茶道関連は「色絵いろいろ」と「夜ばなし(携帯では変換できず)の茶」を展示中。

中国の陶磁と青銅は、他の展示で観たことがある。

だが、漆はほとんどなかったように思う。

一番印象に残った展示品が「堆黒」である。

「堆朱」は村上市などの名産で日本ではおなじみだが、「堆黒」はインパクトがあった。

なんと表現してよいか判らないが、、。


そして茶道関連の展示へ。

「色絵いろいろ」コーナーは、肥前、鍋島、薩摩などの鉢、皿などが展示。

まあ、茶道関連ばかりではないが、茶道に興味のある方は楽しく観られるのではないだろうか。

尾形乾山の向付、角皿も観ることができた。

続いて「夜ばなしの茶」へ。

夜ばなしの茶の道具組み。

表示を見ずに、何焼か?何茶碗か、何茶碗か?などが判るレベルまで達していない。

こういうのがわかってくると、更に面白くなるのだろう。

利休瀬戸茶入「一夜」が展示されていた。

また、一番心に残った展示は、「大津馬図」である。

背に荷物をたくさん積んだ大津馬を重き荷を背負う人間と重ねたようだ。

私の荷など軽いが、最近落ち込んでいたので、なんだか励まされた。

しばらくお軸が見える所で、佇んでいた。

根津美術館へはもう少し前に行こうと思っていた。

だが、いつの間にか冬至の日に、、、

だからこそ、「大津馬図」が心にしみたともいえる。


日が短いから、美術館を出た頃は薄暗くなっていた。

明治神宮前駅への道のりは、イルミネーションが。

そうだよな、こういう時期なのだ。

今年もあと僅かだ。
歳を重ねると、細かい字などが見えづらくなったり、視野が狭まる傾向があるという。

いわゆる老眼など、、

私も以前より、ちゃくちゃくと近づいているのが判る。

だが、目から離して見る状態はよく解らない。

少し年上の方が、調味料や瓶に貼られている紙(成分などか書かれている)を

眼鏡がないから見えないの。読んでくれない?見える?

などと頼まれると、結構大変なんだな、と思う。

その日は近づいているのだ、私も。

最近、茶道のお道具などに興味を持ち、美術館ではじっくり観るようになった。

元々細かい部分に気付かない方なので、視力の衰えでどうなるのか心配なところだ。

しかし茶道は五感をフル稼動させるもの。

視力以外に働かせる場は十分ある。

元々茶室は暗い。

視力に頼るのではなく、聴覚、嗅覚、触覚などなど

お茶を点てる時も、視力に頼るべきではないようだ。

私は薄茶も、特に濃茶は視力に頼っている。

お点前さんや御亭主だけでなく、お客も五感をフル稼動するのだろう。

しかし、大寄せの茶会だと視力が物をいうような気がする。

お茶事なら五感を生かせそうだが。

まあ、あまり経験のない私は、何とも言えないが、、

やはり現代の茶人は、視力が頼りかも。

大広間の隅から隅まで、、10mくらい離れた所からお道具を鑑賞?

視力が衰えたら眼鏡に頼っても、いろいろ観てみたい。

遠くから、時には近くから。
おのれを磨く日々のけいこ (お茶のおけいこ)/堀内 宗心
¥1,575
Amazon.co.jp


かなり前に買った本である。


著者が堀内宗心氏。


まだ茶道を始めて一年以内に買ったように覚えている。


いざ読んでみると表千家の方が書いているから、お点前関連のことはちょっと違うし、まだまだ私には理解できなかったのだろう。


そのため、少し読んでから本棚に、、、


最近、何を思ったか読み返してみた。


お点前以外のことも、かなり心に響くことがあった。


特に「好きな禅語一五題」の


「看看朧(?変換不可?)月尽」※みよみよろうげつつくる


について書かれた最後の部分だ。


~時の流れに呑みこまれてはならぬのです~


~地球を足で蹴って押し回すくらいの意気込みでなければ~


時の流れに呑み込まれている私には、かなり響いた言葉だ。


最近、地球を足で蹴っているかな?と自問したりして(笑)


本にも読み頃があるのだろう。


特に茶道関連本は、何度も読んだ方が良いのかも。