訪問いただき、ありがとうございます!

以前から、ちらほらほのめかしていたような気もしますが、本日をもって「今ここから茶人への道~第二席」をお開きとさせていただきます。

もちろん私のブログは、ここで終わるわけはありません。

新ブログを始めさせて頂きます。
明日以降のスタートとなります。

今ここから茶人への道~第三席




予想通りの展開でしょうか?

なお、新ブログはブログランキング系には関わらない予定です。

このような私のブログでよろしければ、引き続きお付き合いくださいませ。

今まで、こちらのブログに訪問いただき、ありがとうございました。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

先日、冬季展「畠山即翁の茶会‐光悦雪峯茶碗を中心に」が開催中の畠山記念館へ行った。

畠山即翁氏が催した茶会の道具の一部が展示されている。

懐石に使った向付なども並ぶ。

以前なら、お茶事についても解らなかったので、懐石道具もピンとこなかっただろう。

少しは知識が増えたかも。それだけに、美術館へ行くことが更に楽しくなった。

さて見所は本阿弥光悦作の赤楽茶碗「雪峯」である。

実物を観たら、赤い色が思ったよりも強烈ではなかった。

写真によっては、かなり赤く写っていたのだ。

やはり実物を観る意味はこのようなところにあるのかも。

「雪峯」は割れ目を金で継いである。

それがいい具合だ。

継いである茶碗は無名の茶碗でも、かなり格好良く見えることがある。

私は継いである茶碗が好みという傾向があるかも(笑)

冬季展のチラシには、「雪峯」の写真と、即翁氏の写真が載っている。

手元を観ると、「雪峯」でお茶を点てているではないか!

そうだよな、茶会で使われたんだよな~。

「雪峯」のような、今は美術館の展示品となっている有名茶碗はたくさんあるのだろう。

よく茶碗は使われてこそ、とも聞く。

だが、展示品となったら、ほぼ使われることはないだろう。

茶碗の気持ちとしては、どちらが幸せかな?


「雪峯」という銘で思い出したが、即翁氏は石川県の金沢出身だ。

金沢あたりからは、白山連峰が見えると思う。

茶碗「雪峯」に何か感じるものがあったのだろうか?

私も金沢から白山を観る機会があったら、「雪峯」を思い出してみたい。
茶道関連の本、ブログには、

茶人、茶道家、数寄者

という言葉が出てくる。

その定義は?

茶道家は茶を教える人のようだ。

また、数寄者は茶道で生計を立てない人のようだ。

私がブログの題名に使っている「茶人」は、茶道に通じた人をいうらしい。

解釈により茶人も人に教える人という意味も含んでいるようだ。

だが、戦国武将などはお茶の指導者でない方がほとんどだし。

茶人は、茶に通じた人~という定義で良いのだろう。

茶道家、数寄者も正確な定義はよく解らない。

ブログの題名に使っている方たちは、それぞれの解釈でその言葉を使っているようだし…

私は、自分のブログの題名「茶人」の言葉をあまり理解せず使ってしまったかもしれない(笑)

茶人の定義、茶に通じた人が私の目指すところ?なのか?

ブログの題名に使っていながらどうかと思うが、??のままきてしまったかも(汗)

しかし、どういう茶人になりたいのか?と、最近考えることがある。

考えるような機会、出来事もあるのだ。

この冬は、あのようなことをする茶人にはなりたくないな、と思う事が多かった。

反対に、このようなことが出来る茶人になりたい、と思った事もあったが。


「戦国茶闘伝」という以前読んだ本がある。

橋を渡った者、渡らなかった者について、ブログに書いた記憶がある。

橋を渡ったのは利休。

山上宗二にそれを批判されている。

権力に乗っかったのだ。

さて、私から遠くない世界でも、橋を渡りたい人はたくさんいるだろう。(茶道関係での話)

それは決して悪いことではない。

人それぞれの価値観だから。

イロイロな人がいる中で、自分はどのような茶人になりたいか、イメージを持ち続ける方がいいのかもしれない。

その方が振り回されないし(笑)

私は橋を渡ることには興味がない。

おそらく貧乏茶人、フリーター茶人、変わり者茶人などへ向かうか?(笑)

ちょっと、これもあんまり…

言うと(ブログは書くと)ホントになるかもしれないから、このくらいでやめとく…

どのような茶人に~などと考えるようになったとは、私も少しは成長したか??
平成二十四年二月の稽古・三回目

●和巾点

○和巾点(客役)

○流し点(客役)

・入門以来、初めて?先生から少しばかりお褒めの言葉が(笑)

今日は…が良かったわよ

と。「は」が「も」に変わる日がくるように…

出来の良くない弟子を粘り強く教えていただき、感謝!

・和巾点はノート作りも完全でなかった。今回でいくらか、書きこめたかな。
小説「利休にたずねよ」は映画化、ドラマ化されていない。

するってウワサはあったようだが…

小説「利休にたずねよ」は、約3年数ヶ月前に読んだ。

まだ、茶道入門一年目?だった。

茶道を習っているから、用語なども少しは解る。

それも結構うれしくて(笑)

もちろん、内容も面白かったが。

そして時は流れ…

少し前に中古本をいただいた。

持っているのだけど、せっかくだから再び読むことにした。

やはり年月の経過で変わるな。

視点も違うし…

?と思うところもあるし…

小説ではなく茶道関連本は、買った頃よりも今の方が勉強になることも多い。

只今、残すところ四分の一である。

小説の中で、

「…茶は人を殺す…」

という台詞が。

茶道具に関しても、美しいお点前を追求してもそうなる場合があると…

お点前に関しては、畳一目違って蓋置を置いただけで身もだえすると…

才能が与えられた人にはこのような苦しみも待ち受けているのだな。

そういえば先日のNHK「歴史ヒストリア」は葛飾北斎だった。

晩年になってから、幼い頃から絵筆を毎日握ってきたが、猫一匹思うように描けたことはない、と涙をこぼすエピソードが紹介された。

才能は闇へ連れてゆく~とも聞いたことがあるが、スゴイ世界があるのだな。

「利休にたずねよ」はそのようなスゴイ世界を中心に書かれているわけではない。

いつか、凡人では計りしれない世界を中心とする利休小説が誕生するかもしれない。

ここしばらく、一目違って身もだえ~が印象に残り…

身もだえしないだろう我だからこそ、よかったのかもと思う。

茶道で悩む、と書いても、その悩みは高尚なことではなく(笑)

身もだえせずに楽しみ、お気楽にブログも書いていられるのだから。

我は闇へは連れていかれずにお茶を点て続けるだろう。

茶に殺されることなく(笑)