いろいろ本を読んでいくうちに
少しずつではありますが
難しい言葉の理解も出来るようになり
中学生になった頃は
哲学書などを読むようになりました。
でも、言葉を理解できても
「だから何?」という感覚が拭い去れませんでした。
なんと言えば良いのでしょうか…
あまり宗教を否定する発言は避けたいのですが…
「仏教を信仰して、わたしに何が残るのかな?」
というような感覚だったかもしれません…
「救い」とか「悟り」とか
人間が偉そうに言って
「だから??」という気持ちだったのかもしれません。
「人間が大勢の人救う?」
「どうやって?」
「死にそうになったら助けてくれるの?」
など…本当に捻くれた考え方ばかりしていたと思います。
でも、哲学書を読んでいると
驚かされる世界観もありました。
もちろん、宗教に通ずるものもたくさんあって、あまり納得できない著書もありましたが、、
過去の宗教者は
哲学者であり
学者であり
それこそ「天才」と言われるほどの方が大勢いらっしゃいます。
でも、天才が故に苦労し、
わたしには到底理解など出来ない
しがらみのようなものもあったのだろうと…
勝手に解釈しています。
でも、それでもわたしは
「この人たちの言葉で
誰もが救われる訳ない」
と、思っていました。
むしろ、救われる?何それ?
誰が決めたの?
というような感じでしょうか…
本当に否定的でした。
それよりも
いじめを受けたことで
気が付くと「お寺嫌い」になっていたのだと思います。
お寺で生まれたから…
お寺の娘だから…
いま思えば、子供じみた感覚でしかないのですが
そんな思いが、わたしの心から離れることはありませんでした。
「寺の娘は寺に嫁ぐ」
わたしの実家は
このような古い習わしがあったので
幼い頃から、言われ続けてきました。
でも、
わたしは絶対に、お寺には嫁ぎたくなかった。。
その思いが強すぎて
その頃から「自分で起業をする」ということを
考え始めました。
お寺に嫁がないためには
普通に働いてもダメ。
それなら自分で創るしかない。
そんなふうに考えていたと思います。
「お寺に嫁ぐ」ことから
とにかく逃げ出したかった。。
「夢のために起業をした」と言えば
聞こえは良いですが、本心はそこにあったのかもしれません。
そんな思いで、再び、さまざまな本や
週刊誌の情報、「起業」や「ビジネス」や「商売」
そのような名の付くものを
読みふけりました。
当然のごとく、
その頃も変な目で見られることもありました(笑)
高校生の頃には、
現実的に起業を考え出すようになりましたが
親にはずっと言えませんでした。
反対されることは当然分かっていましたし
何より「商売」という言葉が
大嫌いな父親でした。
それでもいつかは言わなければならないので
進路相談の時期になった頃、
わたしの思いを話しました。
予想通りの反応でした(笑)
何度も何度も説得しましたが
やはり分かってもらえることはなく
「商売をするなら出て行け!二度と帰ってくるな!」
父親に言われました。
父親だけでなく
兄弟にも同じことを言われました。
「出て行くしかないか…」
お寺に嫁がないためには
それしか方法がありませんでした。
高校を卒業するころ
わたしは、家を出る準備も始めていたのですが
母親には、何度も何度も止められました。
父は厳しくもありましたが
それ以上に、優しい所がたくさんあることは
分かっていました。
でも、とてつもなく
頑固親父なのです(笑)
とにかく反対を押し切り
わたしは本当に家を飛び出しました。
それから…本当に実家とは
絶縁状態になってしまいました。
両親はやはり
心配してくれていたと思います。
親は親だし、子供を心配しない親なんかいない。
そんな思い込みがありました。
でも、兄もまた
父親に輪をかけたような頑固さで
わたしが家に帰省したりすることを
絶対に許しませんでした。
高校を卒業してから
実家に戻れたのは
3年前、父親の葬儀のときでした。
父が病気であることも知らず
わたしは仕事ばかりしていました。
本当に親不幸な人間です…
「いつか、父親に理解してもらいたい…」
ずっと願い続けてきたことは
叶いませんでした。
それも仕方がありません。。
わたしが勝手に出て行ったのですから…
ただ、悲しかったのは
葬儀の時、
家族からも他人扱いをされてしまったこと…
そして父の臨終を知らされたのが
家族からではなく
幼馴染からのお悔やみの電話で知ったことでした。
遺族席には座らせてもらえず
一般参列者の席でお参りをしました。
周りには、幼い頃から可愛がってくれた
檀家さんのお婆ちゃんも居たので
驚いた表情でわたしのことを見ていました。
それはそうですよね…
遺族席にいないのですから…
その時から
「わたしには家族がいないんだなぁ…」
と、虚無感のようなものでいっぱいでした。
お寺に嫁ぐことを拒否した私は
帰る実家を本当になくしてしまいました。
後悔のような、虚しさのような、
何とも言えない気持ち…
うまく言えないのですが
複雑な気持ちでした。
孤独感。
絶望感。
執着心。
嫉妬。
怒り。
何かは分かりませんが
とにかく色んな感情で
押しつぶれそうな感覚というのでしょうか…
色んな感情が頭の中を
ぐるぐる駆け巡っていました。
婚約者が亡くなって
親が亡くなって
家族もいなくなって
帰る実家もなくなって
「わたしに残ったのは何?」
というような感情になったかと思います。
もちろん会社や
仲間は居たのですが…
色んな感情を抱えたまま
父の葬儀から
一ヶ月くらい経ったとき
わたしは京都へ行きました。
父のお参りをするためです。
その京都で、わたしの虚無感のようなものを
消しさってくれた方との出会いがありました。
プラユキ・ナラテポー(坂本 秀幸氏)
日本人でありながら、タイの山寺で出家し
仏道に入られた方です。
タイでも有名な高層様で
おそらく大勢の方がプラユキさんにお会いすると
「安心感」のような
「救われた」というような感覚になるような気がします。
とにかく優しい笑顔で
言葉では言えないのですが
「魂の笑顔」とでも言えばいいのでしょうか…
とにかく
心からの笑顔を向けてくださる方でした。
たまたま来日しておられて
京都の知人から紹介を受け
お会いすることが出来ました。
すごく驚いたことが
プラユキさんにお会いした時
私のことは何も知らないはずなのに
「悲しいね」と、言われたことでした。
父親が亡くなったことを言って下さったのか
それとも何か別のことで、
そのように言って下さったのかは分かりません。
なにも話していないのですから。
でも「悲しいね」の一言に
わたしはとても温かみを感じ
とても大きな「安心感」のようなものを
頂いたような気がします。
わたしのことを話させて頂いて
一通り話しが終わり
「プラユキさんはすごいですね…
わたしは本当にダメな人間です…」
というようなことを言いました。
そうすると、プラユキさんは
「なに言ってるの~!
今、わたしのことをすごいと言って
こんなに喜ばせてくれたじゃない!」
と、言ってくださったのです。
眩しいくらいの笑顔で…
プラユキさんは、わたしの手を握りながら
何度も何度も
「ね?ね?わたしを喜ばせてくれる貴女はすごいんだよ!」
と、言ってくれたんです。
気が付いたときには
わたしはボロボロと泣いていました。
「良いんだよ、良いんだよ」と
繰り返し言ってくださいました。

わたしは信仰心がないと思います。
嫌いとか好きとか
そういうものではないのですが
お寺を飛び出したわたしが、信仰心などを
持ってはいけないという思いもありました。
宗教に対する冒とくのような気もして…
でも唯一信仰するとすれば
プラユキさんだったかもしれません(笑)
お寺で育ったために、
小さい頃から
たくさんのお坊さんとお会いしましたが
プラユキさんたけが
「本物の僧侶」ではないか…
というような気持ちになったことを
今でも忘れられません。
一度だけしかお会いしていませんが
あまりにも印象が強く
プラユキさんの笑顔が、わたしの胸に
深く深く、刻み込まれています。。
追記③へ
お食事に行くので
終わったらまた書きます☆