プラユキさんとお会いしてから
少しだけ仏教に対するイメージ?信仰心?考え方?
というものが変わってきました。
仏教書や哲学書を読むことは
幼い頃から習慣になっていたので
実家を飛び出してからも
読むことだけは続けていました。
それでもやはり「好き」にはなれません…
ただ、プラユキさんが言ってくださった
「良いんだよ、良いんだよ」というお言葉だけは
わたしの中で強かったので
そのあたりからです…
もう一度、否定的な感情は持たずに
仏教書を読もうと思うようになりました。
プラユキさんのお言葉が
わたしの実家の浄土真宗の教えに
ものすごく似ていたので
余計に心に沁みたのかもしれません。
実家の宗派でさえも
「好き」ではありませんでしたが
再び、「浄土真宗の教え」も
読み始めました。
プラユキさんとお会いして
すぐに思い出した言葉がありました
一つだけありました。
浄土真宗の教えでもあり
開祖の親鸞聖人のお言葉で
「一人いて喜ばば、二人と思うべし
二人いて喜ばば、三人と思うべし
その一人は親鸞なり」
親鸞聖人『御臨末の書』
「一人でいるときは二人
二人でいるときは三人と思ってね。
嬉しいときも悲しいときも 決してあなたは一人ではないのだよ。
いつも側に親鸞がいるからね」
こういう意味のお言葉です。
浄土真宗の教えは
この一言に大部分が集約されていると思います。
プラユキさんにお会いするまでは
このお言葉すらも
「好き」ではありませんでした。
とにかく否定的でしたから…
プラユキさんの笑顔が私の中に
焼き付いているのであれば
それもまた、
「あなたは1人じゃないよ」と、
言ってくれているような感覚がありました。
少しずつでしたが、
仏教に対して、
「忌み嫌う」というようなことは
なくなりました。
少しだけ「好き」という感覚に
なっていたのかもしれません。
その後、浄土真宗だけではなく
再び他宗派の仏教書も読むようになりました。
未だに「救われる」
ということについては
どこの宗派に関しても
理解に苦しみますが。。
「救いって?」と思ってしまう心が
どうしても拭い去れません。
「1人じゃないよ」という言葉は好きなので
わたし自身も使います。
でもそれは「救い」というような思いからではなく
このお言葉に、とても温かみを感じ
穏やかさを感じたからです。
いつか誰かに
「この言葉を伝えたい」
そんな気持ちになりはじめました。(回し者ではないです笑)
僧侶でもない私が
こんなことを思うのも
どうかと思いますが…
それでも自分自身が
とても、温かみを感じられて
こんなわたしでも
「共感」できる。。
それであれば、
わたしと同じような感覚の人にも
何かしら「伝わるのでは?」と…
「一人じゃないよ。私も傍にいるよ。。」
「一人じゃないよ。みんなもいるよ。。」
私のような人間が口にしてしまうのは
おこがましいことかもしれませんが
この一言に、そしてプラユキさんのお言葉で
わたしは感動し、温もりを感じられた…
口で言うことは簡単かもしれません。
でも、お寺の娘ということでいじめられ
「お寺嫌い」になってしまったわたしが
少なくとも「お寺嫌い」ではなくなれた。。
それだけでも一つの「救い」というものに
なるのかな…と、思えるようになりました。
付け足しになりますが
わたしが同じように「一人じゃないよ」と
言ったところで、救いになるというようなことは
まったく思ってもいません。
仏道を歩むものでもなければ
信仰しているものでもありません。
だからこれを多くの方々に
伝えようなどということは
おこがましくて、とんでもないことです。
今、もし目の前に
一人の人が孤独を感じ
絶望感などに苛まれているとすれば
その方、一人のために伝えたい。。。
「一人じゃないよ」と。
大勢ではなく
ただ一人のために伝えたい。。。
わたしにはそれしか出来ませんし、
そうすることしか
許されないのだと思っています。
それに、こんなにも
仏教を否定してしまっている
自分がいます。
長くはなりましたが
このような浅はかな人間ですから
この度のお話はお断りさせて頂きたいのです。
申し訳ありません。
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わざわざ読んでくださった方
申し訳ありません。
この記事は
ある依頼をいくつか頂きまして
お断りする理由を
一からご説明させて頂くために
書かせて頂きました。
失礼には当たると思いますが
ブログにて、思いの丈を述べさせて頂いた次第です。
わたしのようなものが、
お断りすることすらも、おこがましいのですが
どうかお許しください。
本当に申し訳ありませんでした。