義家族と絶縁するまで -4ページ目

義家族と絶縁するまで

遺産相続で主人の姉兄弟達と絶縁。。
結婚から30年足らず。
その経緯を綴り、自分の記録としたい。

義姉の置き土産の介護ノートは正しくは土産ではなく、返却せねばならないものだった。

もちろん欲しくもないが………。

只、義母も亡くなった今頃、私達にわざわざ介護ノートを見せるのかも謎なのだが、

明日返すのか、明後日返すのか、と拘ったのも不思議だった。

主人が、義姉が来た翌日か翌々日かの仕事帰りに、

義姉宅のポストに返すと約束していたので、

私はポストに入れられる薄い紙袋にノートを入れ、

仕事帰りに届けらるよう主人の仕事場に準備しておいた。

主人が義姉宅に返却すると約束した日、帰宅した主人に「返してきたん?」と尋ねると

「いや、行ってない」と主人。

私はそれはダメなんじゃないかと言ってみたが、

「いや、別に急がへんやろ」と主人。

いや、どう考えても急がないだろうことを、義姉はメッチャ急いでたのだが……。

そこは主人と義姉は実の姉弟……私はそれ以上何も言わなかった。

確かに義母も亡くなった今、介護している時につけていた介護ノートが、

そうそうなくても困らないだろうと軽く考えいたことも事実だ。

また義姉に嫌みのネタを与えてしまったな……くらいにしか考えていなかった。

ところが……

ピンポーン🎵

私達家族が夕食の食卓を囲んでいる時、インターホンが鳴った。

私は「まさか…」という気持ちも起こらず「誰かな〜」とモニターを覗いてみたら、

そこには義姉が❗

私「パパ、お義姉さんよ!!」

主人「えーーっ!!」

何と言っても、義姉がわが家を訪れることなど、ほぼ20年ぶりなのだ。

「もうっ!」と言いながら主人がインターホンを受けた。

義姉「○○ですっ!」

わが家はダイニングが2階、玄関が1階なので、主人が玄関を開け義姉の対応するのを

私と子どもは階段の上から窺っていた。

「貴方ねっ!今日持って来ると言ったのに来ないから貰いに来ました!」と義姉。

確かに約束を破った主人が一番悪いが、何故一先ず電話の対応ではダメのか。

義姉がインターホンを鳴らして私がモニターを見た時には、

義姉はジロジロとわが家を見上げ、覗き込み、観察しているように見えた。

実はわが家はこの時、新築したばかりの家に住んでいた。

以前の記事に詳しく載せたが、この時より1年余り前に、わが家は貰い火で、家が全/焼した。

それで、やむ無く新築となった訳だ。

家が全/焼するということは、

私達家族にとって相当大きな、今まで経験したことのない辛い出来事だった。

しかし、今まで経験したことのない人の温かさに触れる出来事でもあった。

逆の立場なら、自分は絶対に出来なかっただろうと思う人様の温かさに触れた。

自分の器の小ささと、他人(自分以外の人)の器の大きさを痛感した出来事であった。

特に人と親密になることの苦手な主人は、この時にとても変わった。

しかし、義姉兄弟だけはある意味、期待を裏切らない対応だった。

主人と付き合いのある義姉の長男は、この火/災の直後にこのことを知っていたのだが、

義姉兄弟からは何の音沙汰もなく、店にお見舞いに訪れたのは4ヶ月後だった。

その時、私は店に居なかったのだが、義兄の第一声は「何で連絡してこえへんねん♪」と、

主人を責めるものだったと、後から主人が呆れていた。

私達夫婦の顔を見るなり涙を流してくれた友人知人と、何と違うのだろうか。

極めつけに私は義姉から「貴女、私達がお見舞い渡したこと聞いてはる?

別に家(新築の)呼んでくれとは言わないけどね、

貴女からお礼の言葉がないから様子も聞けないしね、何か言ってくるかと思っていたわ」

と言われ、義姉にはその場で非礼を詫び、義兄弟にはお詫びの葉書を書いたことがあった。

家が全/焼するということは、悲しみに浸る間もなく、

やらなければならない役所の手続きなどが山積し、

自分では冷静なつもりであったが、恐らく人様に対して非礼の連続であったと思う。

しかし、お見舞いのお礼を言ってこないと責められたのは義姉だけだった。

そして、義姉にとっては私達を4ヶ月放置したことは何でもないことなのだ。

例えば「息子が知っていたのにあの子が何にも言ってこないから遅くなって……」などの

言い訳さえない。

それを言うと自分と息子の関係性が非常識なことが分かってしまうから。

例えば、息子から聞いていたのに自分が、或いは義姉兄弟で放置していたのなら、

自分達が非常識なことが分かってしまうから。

自分が非常識なことはなかったことに、或いは正当化して、

気に入らない相手を非常識と、責めるのが義姉だ。

火/災から4ヶ月後にお見舞い金を受け取り、そこからほぼ1年後に新しい家が出来た。

別に新築祝いを戴いた訳でもない。

そして私達夫婦は未熟者だが、ほとんど付き合いもない義姉兄弟に

新築した家を見せたくなるほどに病んではいないのだ。

なので、義姉から「……(新築した)家に呼んでとは言わないけど……」などと嫌みを言われても

家に招待しない。

と、物凄く話しが横道に逸れてしまったが、義姉がわが家をジロジロ見ていたのは

そんな伏線があったのだ。

主人は介護ノートを仕事場である店に置きっぱなしにしてきたので、家にさえなかった。

そして、夕食時に飲酒していたので、車を運転することは出来ない。

そこで奇妙なことに、主人は義姉の車に載せてもらって店まで行くことになった。

10分ほどかかる店まで二人で出掛けて行ったのだ。

私と子ども達が二階から眺めていると、大きなベンツが去って行った。

そこは実の姉弟、狭い車内で打ち解け合えた……などということには

もちろんならなかったのだ。



義姉が帰り、奥の部屋に戻ってきた主人は介護ノートをポンと私に投げて、

「何で今頃こんなん渡すんやろな。おかしいやろ?」と言った。

そんな主人は、その介護ノートを1ページも見ていない。

流石に私はぱらぱらっとページを捲ってみたが、

《○月○日…○○の薬を飲ませる》みたいなことで、やはり今読む必要性を感じなかった

「しょうもないな」と思い直ぐにページを閉じた。

ノートの内容より、義母も亡くなってしまった今、何故介護ノートを見せたいのだろう?

という事に興味が向いた。

恐らく義姉は自分が如何に頑張ったかをアピールし、

私達夫婦から、「大変でしたね」「お義姉さんがおられて本当に助かりました」

という言葉と感謝が欲しいのだろう。

だが、義姉と私達夫婦の関係は拗れていたのだから、それはあり得ないのだ。

そこを求めてくる義姉は承認欲求が強い。

義兄夫婦や義弟夫婦が、義姉に感謝を示し良い関係が築けているなら、

そちらと親しくして、分かり合えない次男夫婦とは距離を置く………

というのがごく普通の人だろう。

だが、義姉は今更ながら関係の拗れている次男夫婦に介護ノートなど持って来て読ませる。

自分に感謝を示さない人が神経に引っ掛かり気になって仕方ないのだ。

そこには「自分にも悪いところがあったかも知れない」というような自省の念は欠片もない。

次男夫婦に自分を認めさせなければならないという強迫観念にさえかられているようだ。

そこには、色々と言いたいことがあっても折り合いをつけ、

お互いに認めるところは認めていこうという前向きな温かい人間関係は存在しない。

一方的に自分を認めさせたいだけ。

それが承認欲求というものの正体な気がする。

「娘として当たり前だと思って介護してきました」と言いながら、

本当は「ありがとう」という感謝を熱望している。

当然と思ってしてきたことでも、関わった人達から

「ありがとう」「助かりました」と言われて嬉しくない人はいないだろう。

それは人間として当然の感情だろう。

義姉が一般論的なそれと違うのは、終始恩着せがましい雰囲気があるところだ。

義母が入所してからずっと「義母がわがまま、勝手」「私は大変、私は辛い」と口に出し、

自分は大変オーラを放ち続けてきた。

義姉は常に眉間に皺を寄せ、ヒステリックでノイローゼっぽかった。

それでいて「私は娘として当然と思って介護してきた」と言い、

何の見返りも求めていないということを強調しても、

恩着せがましい雰囲気に満ちているから、義姉を取り巻く空気は重い。

はっきり言って義母は、家族がほとんど関わらなくても済む施設に入所し、

(もちろん小まめに逢いに行ってあげた方が良いに決まっているが、

同居して全てのお世話をし、目を離せないという状況ではないということ)

義姉は時には気晴らしに海外旅行に出掛けたりしていたのだ。

義母が入所中に、私の実父が亡くなったのだが、

その葬儀の時、義姉夫婦は海外旅行中であった。

密接な付き合いをしていたのではないから、そんなことはいくらでもあるだろう。

「運悪く旅行中でした」で済む話しだ。

しかし、義姉夫婦の代わりに葬儀に出てくれた義姉の長女は

「両親は父の退職の記念の旅行に出掛けていて………」と説明していた。

義姉にそう言うよう言われたのだろうが、言い訳じみている。

本当は自分は自分の生活を犠牲にして介護をしているのだが、

《たまたま出掛けた》ということを強調したいのだろう。

それが本当だとして、父親を亡くしたばかりの者に父の退職記念云々は

必要ないだろう。

自分の葛藤にいっぱいいっぱいで回りが見えていない。

何故、葛藤があるのか?

義姉は、義母の為…義兄の為…と、行動しているところがあるが、

義姉の行動は、そういう自分を人に認めてもらわなければ完結しない。

それが神経症的非利己主義というものかと、いろいろなことが終わった今、思う。
義姉の《棄て台詞》に続き、義姉の《置き土産》について記していこう。

義姉の《置き土産》は二つ。

その一つは介護ノートなるものだった。

「私は娘として当然のことと思って介護してきました」

「貴女は仕事をしているから出来るだけ負担をかけたくないと思ってやってきました」

などと言いながら、私達夫婦を貶める必要のある時には

「介護しなかったくせに」と当て擦りを言う義姉。

義姉のダブルスタンダードは今に始まった訳ではないが………。

この時の義姉と主人の話し合いで、一番ヒートアップしたのは、

義姉「どうして勝手に遺言書を作ったりしたのよ?!」

義姉が主人を責めた時。

主人「おばあちゃん(義母、主人と義姉にとっては実母)が作ろうって言うから……」

と答えたら、

義姉「どうして、そういう大変なことを言い出したのなら一言、私に言わないのよ❗」

主人「よう言うわ。自分も遺言書作った時、何も言わへんかったやん」

義姉「公文書なのよ❗そんなの人に言うはずないじゃない❗」

主人「………」

さんざん記してきたことだが、義母の遺言書は義姉が関わって作った遺言書と、

主人が関わって作った遺言書と二通存在する。

この話し合いの時、義姉は、主人が遺言書を作った時に

何故自分に言わなかったと主人を責めている。

しかし、自分が作ったことを黙っていたのは、

「公文書というものは人に話すような性質のものではない」と言っているのだ。

主人と義姉の関係は義母が施設に入所するよりずっと前から拗れており、

ほとんど付き合っていない状態だった。

関係が拗れているから、お互いに遺言書の件を話さなかったのだ。

現に義姉は「公文書は人に話す性質のものではない」と言いながら、義兄嫁には話しており、

二通の遺言書が存在すると分かった時に、どちらにも関わっておらず激怒した義兄に対して、

「○○ちゃん(義兄嫁)に話したから当然耳に入ってると思ってたわ」と、

ぬけぬけと私達夫婦の前で言い放ったのだ。

それを踏まえての「公文書は人に話す性質のものではない」という主張なのだ。

義姉は「大好きな長男夫婦には話しますけど、大嫌いな貴方達夫婦に話すはずないじゃない」

と言えば言動が一致するのだ。

そして主人も「何でお前に話さんとあかんねん」となる。

それでこそ、腹を割った話し合いに通じるのではないかと思う 。

義姉は本来の自分ではない《立派な人》に執着するから、

どうしても病的に規範意識が強くなる。

だが、それはいつも二重規範だ。

時と場合、或いは相手によって基準が変わる。

とにかく主人は口下手なので、そこを理路整然と指摘できなかった。

とにかく、感情的にならないように神経を使っていたようだ。

自分がどれだけ興奮して感情的な台詞で声を荒げようと、

主人が同じことをしたなら「恐い」だの「傷ついた」のと詰るのだ。

義兄が遺言書の存在を知らなかったことから、

お酒を浴びるほど飲み夫婦喧嘩になったというエピソードの時には、

義兄は可愛そうで、主人が義兄をそのようにさせたと頭ごなしに責め立てた。

しかし、もし主人が怒りからお酒を浴びるほど飲み、私達夫婦が喧嘩をしたなら、

意思が弱いだの、夫婦の信頼関係がどうのと言い出すのだ。

それが、義姉のダブルスタンダード、二重規範だ。

話しが横道に逸れたが、二人の話し合いの場面に戻すと、

「娘として当然だし、仕事をしている貴女には負担をかけたくなかった」と言って、

嫁に出た立場でありながら、積極的に実家の母親の介護をしてきた義姉は、

とうとう《介護に関わらなかった次男夫婦》に、

自分が書いた介護ノートなるものを読ませることにしたようだ。

4〜5年分くらいだったと思うが、大学ノート1冊か2冊だった。

少なっ❗

そして、義姉は何故か、この《介護ノート》をいつ返してもらうかに拘っていた。

もう義母は亡くなり、この《介護ノート》は緊急性のあるものではないと思う。

言えば、義姉の思い出ノートのようなものだろう。

大変だった自分の記録だから、必ず返して貰いたいと思うのは当然だと思うが、

何故、明日や明後日に返してもらいたいと言うのか、

奥の部屋でやり取りを聞いていた私は疑問ではあったが、

主人は、翌日だったか翌々日の仕事帰り○○時頃に義姉の家に返しに行くと約束していた。