義家族と絶縁するまで -35ページ目

義家族と絶縁するまで

遺産相続で主人の姉兄弟達と絶縁。。
結婚から30年足らず。
その経緯を綴り、自分の記録としたい。

義母は義姉に全財産を取り上げられて動揺し、

怒りに任せて義兄の恥部をぺらぺらと話しだしてしまった。

しかし、これらは義母が元気な時にはひた隠しにしてきたことだ。

動揺して吐き出すというのは、

感情の深いところに義兄への怒りがあったということだろう。

もし、義兄への愛情から世間への盾となって隠していたのであれば、

根本的に義兄への怒りはなく、庇ってあげることに意義を感じていただろう。

しかし、義母は女風呂を覗いてしまったり、

嫁や自分の実家の援助を当てにして、家やマンションを買ったり、

息子を思うように育てられない義兄に対して怒りがあったのだ。

しかし、世間体を取り繕う為に体裁の悪いことは隠して、

義兄を校長になった立派な長男として世間に見栄を張って生きてきた。

感情の深いところにある、義兄への不信感に目を瞑ってきた。

それは義兄の為ではない。全て自分の世間体の為だ。

義姉も然り。

しかし、人間って愚かな者で、その時には自分が世間体第一で生きてるとは思わず、

純粋にわが子への愛情だと思っている。

義姉も又、純粋に兄弟への愛情だと思っている。

自分の他者への愛情さえ、自分で本物か偽物か認識できない人もいるのだ。

もちろん、正しく認識できる人もいる。

それは、自分の感情に素直に生きてきた…生きてこられた人だ。

人からどう思われるかを基準に生きてきた人は…

そのようにしか生きて来れなかった人は、
自分の本当の気持ちが分からない。

もちろん、分からないことにも気付いていない。

そのようにしか生きられなかった人とは、世間体重視、自分の感情重視の

母親に育てられ、

親がどう思うか、友達にはどう見えるか、体裁の良い自分とは…

と考えることに慣れすぎて、本当の自分はどうしたいのかが分からなくなる。

これは、怖いことだ。

分からなくとも、本当の自分は存在するから、

何をしても心から楽しいとか、満足だということがない。

子どもの感情を解消出来ずに、

子どもの心のまま大人になった、大人子ども…

つまり未成熟な大人だ。

そういう人に限って、自分を人格者と感じており、

そのように振る舞う。そして、回りを混乱させ、

その子どもも、そのような人生になる。

負の遺産が受け継がれる。

義母も義姉も綺麗に負の遺産を受け継いでいっている。

義母は晩年の元気な頃、ヨーロッパ旅行に行き、悠々自適にみえた。

でも決して心から寛ぎ幸せな時間を共有する身内はいなかったと確信している。

わが子でさえもだ。

義母には同情しているが、

人生で気付く場面はいくらでもあったのではないだろうか。

自分は、わが子に負の遺産を残したくない、と強く思う!

それが教訓だ。
前々回、前回あたりの纏めになるが、

義母は義兄がマンションを購入するに当たり、資金援助をした。

又、義母は義兄長男の借金も肩代わりしてあげた。

そのことを義母は《むしんされた》《たかられた》《義姉に説得された》と

憤っている。

その憤りが、義兄夫婦は子どもをまともに育てられない…となる。

そして、義兄長男は、あるスポーツをする為に大学に進学したが、

寮に、規則違反である女子を連れ込むという行為をして退学となった…

と語る。

そして、憤りは波及していき、

その義兄長男の、女で問題を起こすというのは、

かつて、女性の入浴を覗いて問題となった義兄と同じだ…

ということまで話す。

私はそれらの一連の出来事を初めて知り、非常に驚いたが

義兄を軽蔑したかと言うと、そんな事はない。

人間は弱いものだと思う。

子どもの頃に興味に負けて女風呂を覗いてしまう…

そんなこともあるだろう。

もちろん、それの常習者となれば話しは違うが、義兄はそのようなことはなかった。

又、自分の子どもが学校を退学になるなど、

親の希望とは違う方向に行ってしまう…そんなこともあるだろう。

人間は万能ではないのだから、子育てを間違うこともある。

又、親の思い通りの道を子どもが歩んでいるからといって、

子育てが成功とか、その子どもが例外なく幸せかというと、それも違うと思う。

そんな人生の困難に直面しながら、弱い人間として生きていけば良いと思う。

だから、義母にお金を出してもらってマンションを買ったことや、

義兄長男の不祥事で、義兄のことを軽蔑する思いなんてない。

ただ、それら一連のことがあるにも関わらず、

義姉から「立派な長男、あっぱれな長男」と持ち上げられて

「いや、俺は別にそんな立派な人間じゃない」と否定しなかったこと、

否定するどころか、そのような立派な人柄としておさまっていたところが、

人間的に残念な人だと思う。

体裁の悪い出来事に蓋をし、校長になれたことを強調し、

世間に立派な長男と吹聴してくれる…義兄にとっては義母や義姉がそうであったが、

それらの人は本当に自分を愛してくれているのか?

と、義兄は考えたこともないのだろう。

義母と義姉は体裁の良い義兄だけを受け入れられるのではないか。

そして義姉は自分に従順であることが条件なのだ。

本当に自分のことを愛してくれている人を見つける条件はそのままの自分で良いか、

ということ。

社会的地位や経済力だけではなく、その人の全てを受け入れているということ。

だから、その人の何かを世間に隠すというのは、

その人の為というより、自分にとって都合が悪いということだろう。

本当にその人の為を思って、世間の盾になってくれる人と、

偽物(支配しようとする人)を見分けるのは、

本物ならば、その人といて居心地が良いとか、空気が軽いということだろう。

悲しいことがあった時、その人を思い浮かべると元気になれる、

という人だろう。

また、逆に偽物ならば、この人は自分のことを思ってくれているのだが、

何か、空気が重い、できれば避けたい、良い自分を演じなければならない、

という人だろう。

これは夫婦、兄弟、親子間のような、

愛情ありきと思われがちな関係にも当てはまると思う。

それまでは義兄の弱いところを隠していた義母が、

義姉に財産を取り上げられた途端に、義兄に暴言を吐き、

世間(少なくとも私達夫婦)には何もかも話し出した。

義兄は、この時点でも全く、今までの生き方に疑問をもたなかったのだ。
義母は義兄のマンションの資金援助をしたことや、

義兄長男の借/金の肩代わりをしたことについて、

自分が助けてあげれて良かった、という満足感などは全くなく、

義兄からむしんされ、義姉から説得され、

無理矢理に援助させられたという気持ちなのだ。

そして、心底怒っていた。

この時期、義母が義兄夫婦や義姉に暴言を吐くのでホトホト参る、

というようなことを、義姉も義兄も言っていたが、

義母は本当に怒っていたのだ。

私達夫婦は義母と長い間距離をとり、

(これは何度でも確認しますが、私達夫婦は義母が嫌なのではなく、

不信感を拭えない義姉が義母に密着しているから距離をとっていたのです)

そういう事情から、義母と私達夫婦は

お互いに信頼関係が築けていなかったかも知れない。

これは幾度となく、義姉から指摘され侮辱されてきたことだ。

しかし、自分がお世話をしてきたと胸を張る義姉も又、

義母と信頼関係を築けていなかったということが、

この時期の義母の怒りでハッキリした。

義姉というのは、義母に対しても、義兄に対しても、否、全ての人に対して

「私の思いどうりの貴方なら愛してあげます」という生き方だ。

☆☆☆私と《仲良く》するなら、

貴方(義兄)がお金に困ったなら母(義母)に助けてあげるよう説得もしてあげますし、

貴女(義母)には食事を作って届けてあげたり、病院に車で送ってあげたり、

一人暮しを支えてあげましょう☆☆☆

しかし、その裏側には

但し、常に私(義姉)を正しいと認め、敬意をもって接し、私に敬意を示さない次男(私の主人)夫婦を貶めよ!

の、圧力がある。

もちろん、そんな圧力は本人さえ気付いておらず、全力で否定するだろう。

そして、回りに居る人々もほとんど気付いていないだろう。

義姉といると、得体の知れない重苦しい空気に包まれる、

と感じてる人くらいは居るかも知れない。
無意識の圧力が空気を重苦しくするのだ。

義母は義姉から物理的に独り暮らしを支えてもらった。

しかし、それは圧力との交換条件であった。

意識にのぼっていなくても、無意識では分かっている。

だから、義姉に財産を取り上げられた途端に怒りが爆発した。

又、義姉は無条件の愛から義母をお世話したのではない。

だから、義母が抵抗を示すと怒りが込み上げた。

以心伝心!

話しが横道に逸れたが、義母は義兄長男(以下G君とする)の

借/金を肩代わりさせられたことを話す時に、

G君が大学を退学になった理由などもぺらぺらと話し出した。

G君はあるスポーツの強豪高から、そのスポーツの流れで大学へ行った。

大学の寮に入っていたのだが、そこに女の子を連れ込んでしまったらしい。

それが二度続いて退学になったと言う。

義母曰く、女の子にだらしないのは父親(義兄)譲りで、

義兄も昔、隣家で義父方の親戚でもあった家の新婚さんのお嫁さんの入浴を覗いて

大騒ぎになったことがあったと、そんなことまで話した。

自分がどれだけ肩身の狭い思いをしたかという悔しい気持ちを吐き出した。

しかし、それを聞いて義兄を軽蔑するという気持ちよりも、

義母の人生を悲しく感じた。

義母は、自己執着から抜けきれないまま人生を終えようとしている。

自分に恥をかかせたと怒るばかりで、失敗を犯した息子を守る母性がない。

かといって、自分に恥をかかせたと、息子に毅然と怒りを表明することも

なかったのだろう。

ひとつひとつ、怒りを消化せず、いい顔をしたりいい人の振りをして、

怒りを蓄積してここまできたのだろう。